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黒猫ヴァレリーの事件簿  作者: 高梨 梛
第7章 初夏の影
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第12話 それぞれの選択

日付を回った時刻。

一条寺家の門扉が静かに開いた。

四輪駆動車が入ると来客を拒むように門扉が閉じられた。

恭介はガレージに車を停めた。

按針を切り、ドアロックを解錠する。

ヴァレリーを抱えると車を降りた。


「おかえりなさいませ」


家令服姿の藤堂がいつものように出迎えた。

深夜にも関わらず服の乱れひとつない。

この人はいつ休んでいるんだろうと恭介は思う。


「ただいま帰りました」


ヴァレリーが恭介に抱かれているの見て、藤堂が微かに顔を顰めた。


「ヴァレリー様に何か?」


「何もない。歩くのが面倒なだけだ」


ヴァレリーが答えた。


「さようでございますか。安堵いたしました……お休みなられますか?」


「ああ」


「いや……」


恭介は様々なことが脳裏にあり、眠れそうにない。

まとめて結果を出し、朝比奈に見せつけなければならない。


「恭介、効率が落ちる」


ヴァレリーのしっぽが恭介の腕を叩く。


「けどよ…」


「下手な考え、休むに似たりだ」


「下手なって…お前」


「恭介様、ヴァレリー様は無理に考えても良い結果は出ない。一度休息をとり見直すことも大事だと仰っているのですよ」


藤堂が目元を綻ばせていう。

恭介は深く息を吐いた。

”こいつの言い方、どうにかなんねぇのか?”と思うが、すぐにいつもことかと恭介は諦めた。

一理ある。

恭介は休むために自室へと足を向けた。

ヴァレリーは恭介の腕から身を躍らせ、床に降りた。


「お休みなさいませ」


藤堂が頭を下げて見送った。

恭介が廊下の角を曲がろうとした時、ヴァレリーは立ち止まり、ふと振り返った。


「……藤堂。決まったか?」


藤堂は一瞬だけ目を伏せ、次に顔を上げた時には、家令としての表情ではなく“個人”の顔になっていた。


「……私は実淳様から託されましたゆえ。恭介様の“選択”に従う覚悟は、とうに決めております」


「そうか……」


ヴァレリーの鍵しっぽが静かに揺れた。

その揺れは、“藤堂が恭介側についた”ことを確かに示していた。

廊下を歩き出したときだった。


——コツ……。


微かな音が、本邸の奥の暗がりから響いた。

足音というには軽すぎる。

だが、風ではない。

ヴァレリーがぴたりと立ち止まり、耳をそばだてた。


「……今の、聞いたか」


「聞いた」


ヴァレリーの声は低い。

そのしっぽが、ゆっくり左右に揺れる。


「影の末端は、“お前が戻った”ことを確認しに来た」


「……ここまで来るのかよ」


「来るとも。影は“見たもの”を追う。そして“見た者”を量る」


恭介は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


(……本邸の中にまで?)


廊下の奥は暗い。

灯りは落とされ、月明かりだけが障子越しに淡く差し込んでいる。

その光の境目——

闇と光の境界が、ほんの一瞬だけ“揺れた”。


「……っ」


恭介は反射的に顔を向けた。

だが、そこには何もいない。

ただ、静まり返った廊下があるだけ。


「気配だけ残して消えたな」


ヴァレリーが呟く。


「影の末端は、“存在を示す”ことで相手を揺さぶる。今のは……牽制だ」


「牽制……?」


「お前が“癖”を追った。だから向こうも“お前を見た”と知らせに来た」


恭介は唇を噛んだ。


(……来るなら来いよ。逃げる気はねぇ)


そう思った瞬間——


——ブゥゥゥ……。


ポケットのスマホが震えた。

恭介は画面を見た。

番号は表示されない。

だが、誰からかは分かっていた。


「……朝比奈か」


ヴァレリーが目を細める。


「出ろ。“次の圧”が来る」


恭介は通話ボタンを押した。


「……」


『——影が動いたな』


朝比奈継信の声は、低く、揺れず、まるで“夜そのもの”のようだった。


『お前が動けば、影も動く。それが一条寺の理だ』


「……あんた、見てたのかよ」


『見ていなくとも分かる。影は“当主の動き”に反応する』


恭介は息を呑んだ。


『恭介。お前は今日、線を越えた』


「線……?」


『“癖”を追った。“整え”を暴いた。影の末端に“気づいた”』


朝比奈の声が、さらに低く沈む。


『ならば——お前はもう“選ぶ側”ではない。“責任を負う側”だ』


恭介の喉がひりつく。


「……脅しかよ」


『違う。これは“当主の段階”だ』


ヴァレリーが恭介の足元で、静かに尻尾を揺らした。


『家を守るか。真相を守るか。どちらかを切り捨てねばならん』


「両方守るといった」


恭介は即答した。

朝比奈は、わずかに息を吸ったように聞こえた。


『……ならば、示せ。“整えずに”結果を出せ』


通話が切れた。

廊下に、再び静寂が落ちる。

恭介はスマホをゆっくり下ろした。


「……やってやるよ」


ヴァレリーが言う。


「恭介。お前はもう“見られる側”じゃない。“見返す側”だ」


恭介は前を向いた。


「影の末端も、朝比奈も——全部、俺が相手する」


月明かりが、廊下の先を静かに照らしていた。

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