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黒猫ヴァレリーの事件簿  作者: 高梨 梛
第7章 初夏の影
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第10話 癖を追う

ガレージの前に藤堂が立っていた。

恭介が足を止める。


「お気をつけて、いってらっしゃいませ」


藤堂は深く頭を下げた。

その姿は、いつもの家令の藤堂だった。

恭介は手の中の鍵をきゅっと握りしめる。


「行ってきます」


四輪駆動車のドアを開け、乗り込む。

反対側のドアを藤堂が開ける。

ヴァレリーは藤堂を一瞥すると、無言で助手席に飛び乗った。


「……決めたか」


藤堂は何も言わずに頭を下げる。

ヴァレリーのしっぽがシートを軽く叩いた。

エンジンが静かに唸りを上げる。

ヘッドライトが夜の庭を切り裂くように照らした。

藤堂は車の横に立ったまま、恭介の顔をじっと見つめていた。


「恭介様」


「なんだ」


「……“派遣”の手続きは、すでに整えてあります。別邸の鍵も、道も、すべて問題ございません」


「派遣……?」


藤堂は静かに頷いた。


「恭介様は“当主として”現場へ向かわれる。そのための準備は、家令の務めでございます」


恭介は息を呑んだ。


(……俺が“派遣される側”じゃなくて、“派遣する側”なんだな)


藤堂は続ける。


「どうか……お気をつけて。“癖の持ち主”は、必ず気づきます」


恭介はハンドルを握り直した。


「気づかれて困るなら、なおさら行くしかねぇだろ」


藤堂の瞳が、ほんのわずかに揺れた。


「……かしこまりました」


ヴァレリーが窓の外を見ながら言う。


「行くぞ、恭介。影は、見られるのを嫌う」


「分かってる」


車はゆっくりと動き出した。

藤堂が小さく頭を下げる姿が、バックミラーに映る。

夜の別邸へ向かう道は、月明かりだけが頼りだった。

だが恭介は、もう迷っていなかった。


「……“癖”を追う。影の末端を見つけるために」


ヴァレリーの尻尾が、満足げに揺れた。

車は静かに闇の中へ消えていった。





夜の別邸は、昼間とはまるで別の顔をしていた。

静かで、冷たくて、どこか“息を潜めている”ような空気。

恭介は懐中電灯を手に、くれ縁へ続く廊下の前 に立った。


「……ここだな」


ヴァレリーが 縁側の(へり)を嗅ぎ、尻尾をゆっくり揺らす。


「匂いが薄い。“整えられた”後だ」


「整えられた……?」


「影の末端は、痕跡を残さない。だが——完全には消せない」


恭介は 雨戸の溝 に光を当てた。

一見、ただの埃。

だが——


「……あれ?」


溝の埃の“流れ”が不自然に揃っている。


「ここ……掃除したみたいに綺麗だな」


「違う。“整えた”んだ」


ヴァレリーが低く言う。


「帳簿と同じだ。都合の悪い部分だけを抜き、残りを“自然に見えるように”整える」


恭介はしゃがみ込み、縁側の下 を照らした。


そこに——

ほんのわずか、紙の端のような繊維が引っかかっていた。


「……これ、紙か?」


「帳簿の紙と同じ繊維だな」


恭介の背中に冷たいものが走る。


「じゃあ……橋爪さんはここで“帳簿の一部”を持ってた……?」


「そして“抜かれた”」


ヴァレリーの金色の瞳が細められた。


「影の末端は、“紙を抜く癖”がある。帳簿の空白と同じだ」


恭介は 踏み石の周囲 に光を当てた。

そこには、埃の“流れ”が一箇所だけ逆向きになっていた。


「……ここだけ、埃が“消えてる”」


「消したんだ。影の末端の癖だ」


恭介は踏み石の周囲を照らしながら、乾いた血痕の縁に目を落とした。


(……鑑識は事故だと言った。でも、これは——)


雨戸の溝に残った埃の“流れ”。

踏み石の周囲だけ逆向きになった埃。

紙繊維。


全部が、帳簿の“癖”と一致していた。


「……ヴァレリー」


「なんだ」


「これ……“同じ奴”だよな」


「そうだ。帳簿を抜いた手と、橋爪を脅した手と、ここを整えた手は——全部、同じ“癖”を持っている」


恭介は立ち上がった。

その瞬間だった。


——カサ……


風ではない。

虫でもない。

“何かが動いた音” が、くれ縁の先の暗がりから聞こえた。

恭介は懐中電灯を向ける。

だが、光の先には何もない。

ただ、夜の庭が広がっているだけ。


「……聞こえたか?」


「聞こえた」


ヴァレリーの毛が、わずかに逆立っていた。


「影の末端は、“見られた”と気づいた時——必ず距離を取る」


「逃げたってことか?」


「違う。“位置を変えた”だけだ」


恭介の背筋に冷たいものが走る。


——見られている。


その感覚が、皮膚の表面にじわりと広がっていく。


「……ストーカーかよ」


軽口を叩いたつもりだったが、声が少しだけ震えていた。

ヴァレリーがふっと笑ったように見えた。


「お前を付け狙うとは酔狂な。だが——影はそういうものだ」


恭介は懐中電灯を握りしめた。


「……上等だよ」


その時、くれ縁の奥の闇が、ほんの一瞬だけ“揺れた”。

風では説明できない揺れ。

生き物の動きとも違う。

“人の気配”だけが残る揺れ。

恭介は息を呑んだ。


「……ヴァレリー」


「分かっている。“いる”ぞ」


夜風がくれ縁を撫で、雨戸の溝の埃がわずかに舞った。

その流れの中に、確かに“癖”が残っていた。

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