第7話 影の末端
「匂いって……俺は警察犬じゃねぇよ!」
恭介が声を荒げると、ヴァレリーは尻尾を一度だけぱたりと打った。
「匂いというのは比喩だ。誰もお前を犬とは言っていない」
「ぐっ‥‥‥」
ヴァレリーに呆れたような目を向けられて恭介は言葉に詰まる。
頭脳でもそうだが、口で勝てた試しもない。
(こいつ、絶対、猫じゃねえ…)
「……だが、手口には“癖”がある」
ヴァレリーの鍵しっぽが揺れる。
「癖……」
恭介は記録板を見下ろした。
中庭の橋爪の転落現場。
整えられた埃。
足跡の消し方。
そして——古参使用人の証言。
(渡す……渡すな……古い帳簿……“古い方”……)
頭の中で点が線になり、線がゆっくりと形を作り始める。
「……なあ、ヴァレリー」
「なんだ」
「これ……“朝比奈じゃない誰か”が動いてるってことだよな」
「そうだ」
「でも、朝比奈は“整える匂い”なんだろ?」
「うむ。あれは“後始末”の匂いだ。今回のは違う。“隠す匂い”だ」
恭介は息を呑んだ。
「じゃあ……“隠した”のは誰だよ」
ヴァレリーは答えない。
ただ、恭介の目をまっすぐに見た。
「考えろ。古い帳簿を知っている者。橋爪に“渡すな”と言える立場の者。朝比奈ではない者」
恭介は記録板を握りしめた。
(古い帳簿……先代のさらに前……影の手口……古い方……朝比奈じゃない……でも、朝比奈の“時代”を知っている……)
胸の奥がざわつく。
「……まさか」
「気づいたか」
「“影の末端”……まだ残ってるってことか?」
ヴァレリーは静かに頷いた。
「影は一人では動かない。“系譜”だ。古い手は、古い者が継ぐ」
恭介の背中に冷たいものが走った。
「じゃあ……橋爪を脅したのは……“影の残り”か?」
「可能性は高い」
「でも……なんで今さら……」
ヴァレリーは座布団の上で体勢を変え、恭介を見上げた。
「お前が“書庫を開けた”からだ」
恭介は息を呑んだ。
「俺が……?」
「影は眠っていた。だが、お前が帳簿を開いたことで、“続き”が動き出した」
恭介は記録板を見つめた。
その重さは、もうただの記録の重さではない。
「……じゃあ、橋爪は……俺に渡そうとして……」
「そうだ。そして“古い方”に止められた」
恭介は拳を握った。
「ふざけんなよ……そんな理由で……」
ヴァレリーは静かに言った。
「恭介。影は“理由”で動かない。“習慣”で動く」
恭介は顔を上げた。
「じゃあ……その“古い方”を見つければいいんだな」
「そうだ」
「どうやって?」
ヴァレリーは目を細めた。
「影は“匂い”を残す。人間で言えば——“癖”だ」
恭介は記録板を開いた。
「癖…足跡の消し方……埃の整え方……帳簿の空白……全部……同じ“癖”ってことか」
「ようやく気づいたな」
恭介は深く息を吸った。
「……よし。“癖”を追う」
ヴァレリーの尻尾がゆっくり揺れた。
「それが、当主の推理だ」
恭介は立ち上がった。
「影の系譜……終わらせてやるよ」
その声は、もう迷っていなかった。




