第6話 別邸使用人
床の間の掛け軸。
花器に活けられた季節の花。
すべてが予定調和のように整えられた和室。
ヴァレリーは座布団に寝そべっている。
反対に恭介は落ち着かない。
座卓の上には記録板。
「何から手を着ける気だ?」
ヴァレリーが見上げてくる。
「あーっ……お前なら何からする?」
「……」
伺うような恭介に、ヴァレリーは深いため息を吐いた。
「恭介。物事には順番がある」
「順番……」
「当主、考えろ」
細められた瞳が、じわりと刺さる。
「それとも、さっきのは勢いからの出まかせか?」
記録板を持つ手に力が入った。
(……順番に考えろ。何があった?)
古い書類を調べるために来た。
来たその日に使用人が死んだ。
使用人はなぜ死んだ?
あの使用人はなんて言っていた……。
『……“渡さなきゃ”と……言っておりました。恭介様に……』
何を?
『はい……ですが……“渡すな”と……誰かに……』
誰が指示した?
渡す……
渡すな……
点が繋がる。
恭介の胸が、ひやりと冷えた。
「……記録か」
「やれやれ、やっと一つ」
「悪かったな、不詳の当主で」
「全くだ」
呆れた声とは裏腹に、尻尾は左右に揺れている。
「手を下したのは……朝比奈か?」
「外れだ。あれは自分では実行しない」
「なんで言い切れるんだよ」
「そういう匂いだ」
「匂いって……俺は警察犬じゃねぇよ!」
ヴァレリーは目を細めた。
「朝比奈の匂いは“整える匂い”だ。これは違う。“隠す匂い”だ」
恭介は息を呑んだ。
「じゃあ……誰が?」
ヴァレリーは答えない。
ただ、静かに尻尾を揺らした。
「それを探すのが“当主の仕事”だ」
恭介は記録板を見つめた。
その重さが、さっきよりもずっと重く感じる。
恭介は深く息を吸うと立ち上がった。
ヴァレリーが顔を上げて恭介を見た。
「うだうだ考えるのは、性に合わねぇ。聞きに行ってくる」
「誰にだ?」
「古い記録なら、昔からいる使用人だろう」
ヴァレリーがやおら立ち上がる。
福間の前まで歩いて行く。
「行くぞ」
合格点をもらえたようで安堵する自分に恭介は苦笑した。
「おう」
恭介は襖を開けた。
襖を開けると、廊下の空気がひんやりと流れ込んだ。
廊下にいた若い使用人に古参の使用人を聞く。
「福間さんですよ。福間さんは長い間、ここに住込みで勤めていますから」
「部屋わかりるか?」
「ええ」
恭介ヴァレリーと共には古参の使用人である福間の部屋へ足を向けた
襖越しに声を掛ける。
中から弱々しい声が返ってきた。
「……どうぞ」
恭介が入ると、福間は畳の上に正座していた。
年季の入った背中が、いつもより小さく見える。
「福間さん、少し聞きたいことがある」
福間は恭介を見ると、
一瞬だけ目を伏せた。
「……橋爪の件、でございますか」
「そうだ」
福間の喉が、ごくりと動いた。
「……あの人は、何かを見つけておりました」
「何を?」
福間は答えない。
ただ、手が震えている。
ヴァレリー恭介を促す。
恭介が静かに、しかし少し圧のある声で言う。
「言え」
福間は肩を震わせた。
「……“帳簿”でございます」
恭介の胸がざわつく。
「帳簿……?」
「はい……古い……とても古い記録を……橋爪は……見つけてしまったのです」
福間の声は震えていた。
「それを……恭介様に“渡さなければ”と……そう言っておりました」
恭介は息を呑んだ。
「じゃあ……なんで渡さなかった?」
福間は、顔を上げられない。
「……“渡すな”と……言われたのです」
「誰に?」
沈黙。
部屋の空気が、わずかに重くなる。
福間は唇を噛みしめ、
震える声で絞り出した。
「……“古い方”に、でございます」
「古い方?」
恭介は眉をひそめる。
福間は、まるで名前を口にすることすら恐れるように、
視線を畳に落とした。
「……朝比奈様では……ございません」
恭介の背筋が冷えた。
「じゃあ……誰だよ」
福間は首を振る。
「申し上げられません……申し上げれば……わたくしも……」
言葉の先は、震えで途切れた。
恭介だけに聞こえる声でヴァレリーが低く言う。
「“隠す匂い”だな」
恭介は福間の肩に手を置いた。
「……分かった。もういい…すまなかった」
福間は深く頭を下げた。
「恭介様……どうか……どうか、お気をつけくださいませ……あれは……“続いている”のです……」
恭介は息を呑んだ。
「続いてる……?」
福間は震える声で言った。
「はい……先代様の……さらに前から……“影の手”は……ずっと……」
その瞬間、部屋の障子が、風もないのにわずかに揺れた。
恭介は振り返る。
誰もいない。
だが、ヴァレリーは静かに言った。
「……見ているぞ」
恭介は拳を握った。
「……上等だよ」
その声は、もう迷っていなかった。




