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黒猫ヴァレリーの事件簿  作者: 高橋 なぎ
第7章 初夏の影
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第5話 電話

別邸の玄関先。

鑑識が引き上げ、警察車両の音が遠ざかっていく。

恭介は記録板を抱えたまま、深く息を吐いた。

胸の奥に、まだざらつくものが残っている。


「……帰るか」


「帰るのはいいが」


ヴァレリーが鍵尻尾を揺らした。


「“帰れる”と思うのか?」


「は?」


その瞬間、恭介のスマートフォンが震えた。

画面には、見覚えのない番号。

一瞬、藤堂の表情が脳裏に浮かぶ。


(……まさか…いやあの人なら…)


通話を取る。


「……千束です」


『——記録板を持ち出したそうだな』


恭介は息を呑んだ。

低く乾いた声。

微塵も揺れのない声。

知らない声


「……あんた、誰だ」


『朝比奈だ』


名乗り方があまりに淡々としていて、逆に背筋が冷える。


『当主であるなら、“整えられた記録”と“整えられていない記録”の違いくらい、理解しているはずだ』


「……整えられた、だと?」


『事故は事故として処理されるべきだ。家が乱れぬようにな』


恭介は記録板を握りしめた。

指先が白くなる。


「勝手に決めんなよ」


『勝手ではない。これは“家”のためだ』


「家のためだ?……人が死んでんだぞ」


『だからこそ、だ』


朝比奈の声は、まるで石のように冷たかった。


『混乱は、家を壊す。整えることが、家を守る』


恭介は言葉を失った。

その思想は、あまりにも“古い”。

だが、ヴァレリーが静かに言う。


「恭介」


「……なんだよ」


「言うべきことを言え」


恭介は息を吸い、通話口に向かってはっきりと言った。


「整えさせねぇよ」


一瞬、沈黙。

風の音すら聞こえない。


『……理由は』


「俺が当主だからだ」


『……』


朝比奈の沈黙は、怒りでも、驚きでもなかった。

ただの“観察”だった。


『ならば——結果を出せ』


「結果?」


『言葉ではなく、記録で示せ。それができなければ、お前の判断は“無かったこと”になる』


「……脅しかよ」


『違う。試しだ』


恭介は息を呑んだ。


『家を継ぐ者なら、影と向き合え』


通話が切れた。

静寂。

ヴァレリーが、ゆっくりと恭介を見上げた。


「……どうする」


恭介は記録板を見つめた。

その重さが、さっきよりもずっと重く感じる。


「決まってんだろ」


「ほう」


「“整えられる前に”俺が真相を見つける」


ヴァレリーの鍵尻尾が、満足げに揺れた。


「ようやく、当主らしくなったな」


「うるせぇ」


だがその声には、もう迷いはなかった。

恭介の“初めての反抗”は、ここで“朝比奈継信の試し”へと変わった。

そして——

影の系譜が、静かに動き始めた。


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