第4話 別邸
都内から車で一時間半。
急な勾配が続く生活道路を四輪駆動の車が走っていた。
モダンで気品のある街並み。
近くには有名な温泉地があり、多くの観光客で年間賑わっていた。
市街地を抜けると自然が豊かになり、喧騒が消えた。
白壁に囲まれた門扉を潜る。
一条寺家本邸と正反対の純日本家屋の広い屋敷。
左右非対称の静寂な庭園は石と植栽で造られている。
玉砂利の敷かれた玄関先に車が止まった。
「ここか?」
恭介が車から降りた。
ヴァレリーが助手席から飛び降りた。
「ここだ」
黒い鼻がひくりと動いた。
「誰も住んでねぇんだろ?もったいねぇな…」
「人間は、新しく便利な方へ流れる……」
一拍の間
「古いところに留まるには理由がある……」
「理由?」
ヴァレリーは答えずに歩き出した。
(……またかよ…)
恭介はため息を吐いた。
肝心のことは話さない。
まるで自分で気づけとでもいうようだ。
諦めてヴァレリーの後に続こうとしたとき、脇の小道から使用人らしき初老の男が飛び出してきた。
酷く慌てている。
「どうかしたんですか?」
「あ、あ、橋爪さんが…倒れて…」
「転落事故ですかね」
警察が鑑識に問う。
「廊下で足を滑らせて、踏み石に頭をぶつけたのでしょう」
「事件性はないと?」
「多分」
その様子を恭介とヴァレリーが見ていた。
鑑識の会話が続く中、恭介は廊下の床を見下ろした。
踏み石に落ちた血痕は、すでに乾き始めている。
だが、その周囲の埃の散り方が妙だった。
「……なんか変じゃねぇか?」
「ほう…何が変かわかるか?」
「…何となく?」
「……」
恭介の顔を見てヴァレリーはしっぽを廊下に打ち付けた。
「仕方ないだろ、お前じゃないんだから」
「恭介、頭は使うためにあるんだ」
ヴァレリーが恭介の足元に座り、黒い鼻をひくりと動かした。
「匂いが薄い」
「薄い?」
「血の匂いはある。だが……それ以外が、ない」
恭介は眉をひそめた。
「どういう意味だよ」
「普通、人間が倒れれば、もっと“乱れる”」
ヴァレリーの視線が、庭へ向く。
「足跡がない」
恭介ははっとした。
確かに——
使用人が倒れたというのに、駆け寄った形跡がほとんどない。
「……おかしいだろ、これ」
「おかしい」
ヴァレリーは淡々と言った。
「“整えようとした跡”がある」
「整えようと……?」
恭介が言いかけたとき、
初老の使用人が震える声で近づいてきた。
「……あの……」
「どうしました?」
「橋爪さんは……その……何かを……」
「何か?」
使用人は言い淀んだ。
目が泳いでいる。
「……“渡さなきゃ”と……言っておりました。恭介様に……」
恭介の心臓が、どくりと鳴った。
「俺に?」
「はい……ですが……“渡すな”と……誰かに……」
「誰か?」
使用人は首を振る。
恐怖で口が動かない。
ヴァレリーが低く言った。
「恭介」
「なんだよ」
「この屋敷は……匂いが古い」
「古いって……」
「お前の知らない“家の匂い”だ」
恭介は息を呑んだ。
その瞬間、別邸の奥から、風でもないのに障子がわずかに揺れた。
警察は気づかない。
使用人も気づかない。
ただ、ヴァレリーだけがその揺れの意味を知っているようだった。
「……始まったな」
「何がだよ」
「影の“続き”だ」
恭介は言葉を失った。




