第3話 崩れる記録
別邸のホールは、再び人で満ちていた。
警察。使用人。
そして——神代。
部屋の隅には千束恭介と黒猫が立っていた。
「……で?」
恭介が腕を組む。
「ここからどうすんだよ」
「簡単だ」
ヴァレリーが、ゆっくりと前に出た。
「“記録”を正すだけでいい」
「はいはい、俺の役目です」
やれやれと恭介が前に出た。
神代の視線が、わずかに動く。
「これは事故ではない……そうですよね、神代さん」
「お話の意味が、よく」
「理解しているはずだ」
遮るように言う。
「君は“正確”だった。時間も、行動も、すべてな」
「当然です」
神代は淡々と答える。
「管理を任されておりますから」
「だが」
ヴァレリーの尾が、ゆっくりと揺れた。
「三分、ズレている」
神代の目じりが微かに動いた。
「何のことでしょうか?」
「巡回を終えたのが三分前、だが、記録上は——」
「合っていない」
「誤差の範囲では?」
神代は微笑む。
「違うな。あなたは“誤差を出さない人間”だ」
その言葉が、静かに刺さる。
神代の指先が、わずかに動いた。
「……それは私への評価、ですか?」
「そうだ」
ヴァレリーは一歩、近づき、神代を見上げた。
恭介が続ける。
「“あの人はミスをしない”そう思われている人間は、ミスを、認められない」
空気が、張り詰めた。
「あなたは気づいた。帳簿のミスを」
「……」
「だが、それを報告すれば……評価が揺らぐ」
恭介は神代を見た。
「違いますか?」
神代は、何も答えない。
「だから整えた、帳簿を記録を」
ヴァレリーの尻尾が揺れる。
「——そして……事故を作った」
その瞬間。
神代の表情が、止まった。
「……違う」
小さく、声が漏れる。
「私は……私は、ただ——」
言葉が、途切れる。
「“正しく”しただけです」
その声は、かすかに震えていた。
「誤りは、訂正されるべきです」
「そうだな」
と呟いたヴァレリーの声は恭介にしかきこえなかった。
「だがあなたは——誤りそのものを、消した」
神代の肩が、わずかに揺れる。
「……仕方なかったんだ」
その声は、もう抑えきれていなかった。
「一度でもミスを出せば、終わる…全部、終わるんだ。そう思われる、そう見られる、だから——!」
神代は見えない何かを睨みつけるように視線を巡らせた。
「だから、整えたんだ!何もなかったことにした!それの何が悪い!」
叫びが、ホールに響く。
叫んだことで耐えていたものを爆発させたのち、神代は肩を落とした。
虚ろな神代の目が恭介を見た。
「あなたは恐れていた。失うことを…しかし、手を染めた時点ですべてを失ったんです」
神代は、言葉を失う。
警官が一歩、近づく。
神代の膝が崩れた。
警察に連れていかれる神代の肩に、桜の花びらが落ちた。
神代はそれを払うこともできずに、ただ俯いて歩いた。
「……やれやれ」
ヴァレリーが、わずかに目を細める。
「実に人間らしい」
その声は、嘲笑ではなかった。
明日の17時30分のエピローグ投稿で第6章が完結となります。いつものように2話投稿出来ませんでした。




