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黒猫ヴァレリーの事件簿  作者: 高橋 なぎ
第6章 葉桜
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第1話 閉じた別邸

山あいに佇む一条寺家の旧別邸は、春だというのにどこか冷えて見えた。


「……なんでこういうとこなんだよ」


千束恭介は門の前で足を止める。

桜は咲いている。

だが本邸のそれとは違い、どこか手入れが行き届いていない。


「人が住まなくなると、家も拗ねる」


足元で、黒猫が当然のように言った。


「いや、拗ねるってなんだよ」


「人間も似たようなものだろう」


「似てねぇよ」


即座に返すが、自信はない。

門をくぐると、空気が変わった。

人はいる。

警察も来ている。

だが、どこかぎこちない。


「お待ちしておりました」


声がかかる。

振り向くと、一人の男が立っていた。

三十代後半ほど。

きっちりとした身なり。

背筋はまっすぐで、無駄な動きがない。


「別邸の管理補佐をしております、神代と申します」


深く一礼。

動作に淀みがない。


(……ちゃんとしてるな)


恭介は素直にそう思った。


「突然のことで驚いておりますが、状況は把握しております」


落ち着いた声で言う。


「発見は14時32分。私が巡回を終えたのがその3分前になります」


「……細かいな」


思わず口に出る。


「記録は正確であるべきですので」


神代は表情を崩さずに答えた。

足元で、ヴァレリーの尾が一度だけ揺れる。

神代の案内で恭介とヴァレリーは室内に入った。

ひやりとした空気。

階段の下に、シートがかけられている。


「転落、という見方が有力でして」


神代が説明する。


「……結構、ひどい状況じゃないか?」


恭介が顔をしかめる。


「……ええ、遺憾に思います」


淡々とした返答。


(……あれ?)


違和感が、ほんのわずかに引っかかる。

神代は続ける。


「足を滑らせた可能性が高く、現場の状況とも一致しております」


指し示す先。

だが——


(そこじゃないだろ)


恭介の目には、別のものが映っていた。

小さな棚。

その上の花瓶。

わずかに、位置がずれている。


「ここ、誰か動かした?」


何気なく聞く。

ほんの一瞬。

神代の手が止まった。


「……いえ」


すぐに動き出す。


「発見時のままです」


(今の、なんだ?)


違和感は小さい。

けれど、消えない。


「他に出入りは?」


恭介が続ける。


「本日は私以外、立ち入っておりません」


間髪入れずに返る。


「……へぇ」


(早ぇな)


考える間がない。

まるで——


(用意してたみたいだ)


「整っているな」


足元から、低い声。


「——不自然なほどに」


「おや」


神代が視線を落とす。


「……猫、ですか…」


「問題はない」


ヴァレリーが短く言った。


(——しまった)


「も、問題ないです!」


恭介が慌てて声を上げる。


「えーと、その……うちの猫で大人しいっていうか、ほら、ちゃんと躾もしてるし!」


言いながら、自分でも何を言っているのかわからなくなる。


(いや猫に躾ってなんだよ)


内心でツッコミを入れるが止まらない。


「……失礼いたしました」


神代は一礼する。


「驚いたもので」


「い、いや全然! 気にしないでください!」


恭介は必要以上に明るく返した。

背中には冷汗が流れている。

足元で。

ヴァレリーがゆっくりと尾を揺らす。


「見苦しいな」


小さく、低く。

恭介にしか聞こえない声で呟いた。


(うるせぇよ!誰のせいだと思ってるんだよ!)


神代は一瞬だけ沈黙し、


「……そう、でございますか」


とだけ答えた。

屋敷の外に出る。

恭介は息を吐いた。


「なんかさ」


恭介は頭を搔いた。


「ちゃんとしてるんだけど、ちゃんとしすぎてないか?」


「ようやく気づいたか」


ヴァレリーが目を細める。


「人間はな」


黒い鍵尻尾が揺れた。


「そこまで綺麗には揃わない」


風が吹く。

桜が、ひとひら落ちた。


「……あの人さ」


恭介がぽつりと言う。


「ミス、しなさそうだよな」


その言葉に。

ヴァレリーは、わずかに視線を細めた。


「——そう思わせることに、価値がある人間もいる」


静かな声だった。

その意味を、恭介はまだ理解していなかった。


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