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黒猫ヴァレリーの事件簿  作者: 高橋 なぎ
第5章 桜の季節
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5エピローグ 残されたもの

人の気配が消えた庭に、静けさが戻っていた。

華加賀美の桜は、変わらず淡く咲いている。

だが、昼間とは違う。

どこか、静かすぎる。


(……終わった、のか)


千束恭介は、テラスの椅子に腰を下ろした。

スーツのまま、深く背もたれに体を預ける。


「はぁ……」


長く息を吐く。


(なんだったんだよ、あれ……)


自分は何かしたのか。

気づけば、すべてが終わっていた。


「考えても仕方がない」


不意に声。

顔を上げると、ヴァレリーがテーブルの上にいた。


「……お前な、いつの間に」


「猫だから問題はない」


いつもの調子。

少しだけ、肩の力が抜ける。


「なあ」


恭介は、テーブルの上に置かれた帳簿を見る。


「これさ」


ぱらり、とページをめくる。

指先が、ある箇所で止まる。

そこだけ、不自然に空白になっている。


「数字の流れが、ここで途切れてる」


ヴァレリーはちらりと視線を落とす。

一瞬。

それだけで、十分だった。


「欠けているな」


短く言う。


「だよな? これ——」


「だが」


言葉を遮る。


「今回の件とは無関係だ」


「……なんでわかるんだよ」


「匂いが違う」


あっさりと答える。


「は?」


意味がわからない。


「気にするな。今は、な」


(……またそれかよ)


納得はできない。

だが、これ以上聞いても無駄だとわかる。


「失礼いたします」


藤堂が現れた。

帳簿を静かに手に取る。


「後ほど、こちらは整理しておきます」


「いや、それ絶対なんかあるだろ」


思わず口に出る。

藤堂は、わずかに微笑んだ。


「ご安心ください」


それだけ言って、一礼する。

そのまま、音もなく立ち去った。


(……絶対、安心できないやつだろ)


恭介は、諦め混じりに息をついた。

ボリボリと頭をかく。

桜が、ひとひら落ちる。

静かな夜だった。




——その頃。

屋敷の一室。

灯りは落とされ、わずかな明かりだけが残っている。

藤堂は、一人で立っていた。

手には、先ほどの帳簿。

ゆっくりと開く。

問題のページ。

空白。


「……」


指先で、そっとなぞる。


(抜かれている)


ごく小さく、息を落とす。


「いえ」


すぐに、否定する。


「最初から、か」


帳簿を閉じる。

その目の奥に、わずかな硬さが宿る。

ポケットから、携帯端末を取り出す。

短く、操作。


「……藤堂でございます」


静かな声。


「一件、処理いたしました」


わずかな間。


『——そうか』


低く、乾いた声が返ってきた。

年齢を感じさせるのに、揺れがない。


『問題は、そこではない』


藤堂は、ほんのわずかに目を細めた。


「……朝比奈様は、相変わらずでございますね」


『家が続く限り、やることは変わらんよ』


淡々とした感情の起伏がない声。

ただ事実だけを述べるような響き。

藤堂は、静かに息を吸った。


「しかし、先代様は——」


『実淳様は理解しておられた。“必要なもの”を、な』


その言葉は、妙に静かだった。


『まだだ』


短く告げられ、通話が切れる。

藤堂はしばらく動かなかった。

ただ、閉じた帳簿を見つめる。


「……さて」


小さく呟く。


「これは、少々骨が折れますな」


窓の外。

桜が、何も知らないふりで揺れていた。


これにて第5章完となります。まさかこんな展開になるとは投稿を始めた時には、思ってもいませんでした。

「気づいたか」

「いや、なんとなくだけどな」

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