5プロローグ 春の昼下がり
春の光に溶けるように、レンガ色の洋館がそこにあった。
庭には、薔薇の代わりに桜が植えられている。
華加賀美――淡紅色の大輪をつける八重桜。
一条寺家の亡き当主、一条寺実淳が、ことのほか愛でていた花だ。
――散り際が美しい、とよく口にしていた。
時期になると、設えたテラス席で午後を過ごすのが日課だった。
いま、その席にいるのは、新当主となった千束恭介。
実淳の孫である。
(……こういうの、やっぱり慣れねぇ……)
アンティークのガーデンテーブルセット。
素人目にも値の張るとわかる造りだ。
身体を預ければ沈み込むようなクッション。
テーブルの上には銀製の三段スタンドが置かれ、サンドウィッチ、スコーン、小ぶりなケーキが整然と並んでいる。
ボーンチャイナのティーカップからは、香り高い紅茶の湯気が立ちのぼっていた。
”しがない探偵だった自分には、無縁の世界”
そう思っていた。
向かいの席には、一匹の黒猫。
手足の先と首元から腹にかけては白。
左のウィスカーパッドには、三日月のような白い模様。
ヴァレリー。
その黒い毛並みは、春の陽光を受けて艶やかに光っている。
「お前は平和そうでいいよな……」
「猫だから当然だな。――余計なものは見ない」
(猫なんだよな、こいつ……喋るし、偉そうだけど……)
雨の日の、あの奇妙な出会いから、恭介はこの猫と行動を共にしている。
猫は怖いはずなのに、ヴァレリーだけは平気だった。
(……きっと猫らしくないせいだ……)
猫のくくりに入れてしまえば、何か大事な前提が崩れる気がする。
そんなふうに、密かに納得している。
「桜の季節でございますね」
音もなく、藤堂が現れた。
銀に近い白髪。伸びた背筋。
温和な表情の奥に、隙は一つもない。
「新年度も始まりましたし……そろそろ、“整える”にはよい時期かと」
その言葉は、恭介ではなくヴァレリーへ向けられていた。
(……俺は無視かよ)
そう思うが、口に出せば面倒なことになる予感しかしない。
「そうだな。――頃合いだ」
ヴァレリーは短く答える。
「では、そのように……恭介様」
藤堂がこちらを見た。
「しかるべき日に開催したいと思いますが、よろしいでしょうか」
「あ、はい」
反射的に頷く。
「畏まりました」
一礼し、藤堂は静かに踵を返した。
その背を見送りながら、恭介は小さく息を吐く。
(なんか……全部決まってる感じなんだよな)
気のせい、ではない気がする。
ふと視線を感じて顔を上げると、ヴァレリーが目を細めてこちらを見ていた。
「やれやれ、実にお前らしい」
「何がだよ」
問いに答えることなく、ヴァレリーはくるりと丸くなる。
その視線が、ほんの一瞬だけ。
咲きかけの桜へと向けられた。
八分咲きの花を、春風が揺らす。
静かに、何かが整い始めていた。
数日後。
一条寺家新当主のお披露目会の案内状が、関係者のもとへ送付された。
それが、音もなくすべてを動かし始めることになる。
本日より、第5章を投稿させていただきます。お披露目にいやいや出席する恭介。傍観者(猫だよね)のヴァレリー。謎の家令藤堂。この章より展開に変化が····((゜∀゜;))




