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黒猫ヴァレリーの事件簿  作者: 高橋 なぎ
第4章 雪明り
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第5話 雪

警察の現場確認が終わり、

部屋の前の廊下はようやく静かになった。

宿の従業員と他の客はロビーへ移され、

警察官も一人を残して階下に降りていった。

真島の部屋には、今は恭介だけが立っていた。

窓から冬の光が差し込んでいる。

昨夜の吹雪が嘘のように、空は澄んでいた。

だが外は一面の白だった。

深い雪。

雪明りがまだ残るような、眩しい白さだった。

恭介は息を吐いた。


「……信じられないな」


ベッドを見る。

真島は、まるでまだ眠っているようだった。

昨夜、宴会場で笑っていた顔が、頭に浮かぶ。

そのとき。

足元で黒い影が動いた。

ヴァレリーだった。

黒猫は静かに部屋を歩き回っている。

恭介は小声で言う。


「おい。何かわかるか?」


ヴァレリーは答えない。

ただ窓の前で立ち止まり、ガラスを見上げた。

恭介も近づく。

窓は、びっしりと曇っていた。

水滴がガラス全体に広がっている。

まるで霧の膜が張られているようだった。


「……すごいな」


恭介は指でガラスを触る。

冷たい。


「暖房のせいか?」


ヴァレリーが首を振った。


「違う」


短く、はっきりと言う。

恭介は眉を寄せた。


「違う?」


ヴァレリーは部屋を見回した。

テーブル。

ベッド。

壁。

そして部屋の隅にある加湿器。

猫はその前に歩いていく。

加湿器はまだ動いていた。

コポ……。

水の切れる音。

タンクはほとんど空だった。


「最大だ」


ヴァレリーが言う。


「乾燥対策じゃないのか? 温泉宿だし」


恭介が言うと、ヴァレリーは答えず、今度はファンヒーターの前に座った。

古い型の石油ファンヒーター。

表示ランプがまだ点いている。


「警察も見てたな。異常なしって」


恭介が言うと、ヴァレリーはヒーターを見つめたまま言った。


「強い」


「え?」


「設定だ」


恭介は表示を見る。

確かに、運転は「強」になっている。


「……寒かったんじゃないのか」


ヴァレリーは静かに言った。


「そうだろうな。だが――それだけではない」


沈黙。

恭介は部屋の中央に立った。

なんとなく、落ち着かない。

何かが引っかかる。

だがそれが何なのか、まだ分からない。

耳を澄ませる。

廊下からは、遠くで誰かが歩く音。

階段の軋む音。

だが――

この部屋は妙に静かだった。


「……変だな」


恭介が言う。

ヴァレリーが振り向く。


「何がだ」


「音だよ。響かない」


恭介は壁を見る。


「廊下の音は聞こえるのに、この部屋……こもってる。空気が重い」


ヴァレリーの耳がわずかに動いた。


「ほう」


恭介は窓を見る。

白い結露。

そして窓の上。

小さな換気口。


「……換気」


恭介が呟くとヴァレリーは頷いた。


「空気だ。この部屋は、空気が動いていない」


恭介の胸がざわつく。


「どういうことだ」


ヴァレリーは窓の外を見た。


「外を見ろ」


恭介はカーテンを開けた。

眩しい光が入る。

庭は完全に雪に覆われている。

木々も石灯籠も、すべて白い。


「すごいな……昨夜の吹雪か」


ヴァレリーは言う。


「外へ出るぞ」


玄関から外へ出ると、空気は鋭く冷たかった。

吐く息が白く広がる。

真島の部屋の外壁まで歩く。

恭介は見上げた。

壁の上。

そこに小さな換気口がある。

そして――

その周囲には、厚い雪が張り付いていた。


「……塞がってる」


恭介が言う。

ヴァレリーは静かに答えた。


「空気が逃げない」


風が吹く。

雪がさらさらと舞った。

恭介は換気口を見つめた。


「じゃあ……部屋の空気は」


「減る」


ヴァレリーが短く言う。


「ヒーターは空気を使う」


恭介の背中に冷たいものが走った。


「まさか……」


ヴァレリーは雪を見た。

白い外壁。

張り付いた雪。

そして小さく言った。


「意図があるようで、ない」


恭介は振り向く。


「どういう意味だ」


ヴァレリーはしばらく黙っていた。

そして言う。


「事故とは言い切れない。だが――殺すつもりでもない」


風がまた吹いた。

雪が壁を滑り落ちる。

恭介は換気口を見上げた。

胸の奥に、ひとつの疑問が残る。

ヴァレリーが最後に言った。


「問題は――誰がヒーターを強くしたかだ」


白い雪明りの中で、その言葉だけが静かに残った。


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