表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒猫ヴァレリーの事件簿  作者: 高橋 なぎ
第4章 雪明り
PR
43/86

第4話 雪に閉ざされた部屋

朝だった。

吹雪は夜のうちに去り、空は驚くほど澄んでいた。

だが宿の周囲は、深い雪に埋もれている。

屋根からは氷柱が垂れ、庭木はすべて白く凍りついていた。

恭介は玄関前で肩をすくめた。


「……すごいな」


車は完全に雪に埋まっている。


「帰れるのか、これ」


後ろから梶原の声がした。


「無理だな」


久我も笑う。


「まあ、もう一泊だろ」


「温泉三昧じゃん」


そのときだった。


廊下の奥から女将が慌てた様子で出てきた。


「皆さん……」


声が少し震えている。


「まだ、真島さんがお部屋から……」


恭介が首をかしげる。


「起きてないんですか?」


女将はうなずいた。


「朝食のお時間なのですが……ノックしてもお返事がなくて」


佐伯が言う。


「昨日、飲みすぎたんじゃない?」


梶原が笑う。


「ありえる」


久我だけは何も言わなかった。



古い木の廊下が、きしりと鳴る。

真島の部屋の前に着く。

女将がノックする。


コンコン。


「真島様」


返事はない。


もう一度。


コンコン。


「朝食のお時間です」


沈黙。


佐伯が眉を寄せる。


「ほんとに寝てるだけじゃ……」


女将がドアノブを回した。

だが動かない。


「……内側から鍵が」


恭介の胸がざわついた。

梶原が言う。


「大丈夫か?」


久我が低く言った。


「開けたほうがいい」


女将はうなずき、ポケットから鍵を取り出す。


カチャリ。


鍵が回る音。

ドアがゆっくり開いた。

部屋の空気が、廊下に流れ出た。

ぬるい。

湿った空気だった。

中は静かだった。

異様なほど静かだった。

恭介は一歩踏み込む。


「……真島?」


ベッド。

布団の中に、真島がいた。

仰向けに寝ていた。

目を閉じている。

まるで眠っているようだった。

だが――動かない。

女将が小さく声をあげた。


「……真島様?」


恭介の背中に冷たいものが走った。


「……おい」


近づく。

肩に手をかける。

冷たい。

恭介の手が止まった。


「……嘘だろ」


梶原が言う。


「どうした?」


恭介は振り向いた。

声が出ない。

佐伯がベッドを見た。

次の瞬間。


「……っ!」


息を呑む音。

部屋の空気が凍りついた。

久我が静かに言った。


「……死んでる」


誰も言葉を返せなかった。

そのとき、


カチッ。


ファンヒーターが小さく音を立てて止まった。

加湿器は空だった。

コポ……と水の切れる音がする。


恭介は部屋を見回した。

窓。

カーテン。

テーブル。

争った形跡はない。

本当に、ただ眠ったようだった。


「……なんだよ、これ」


梶原が呟く。

佐伯は青ざめている。


「昨日まで……普通だったのに」


女将が震える声で言った。


「警察を……」


恭介は窓を見た。

ガラスは白く曇っている。

結露だった。

だが――量が異様だった。

水滴がびっしりと張り付いている。

まるで雨のように。

そのとき。

恭介の足元で黒い影が動いた。

ヴァレリーだった。

猫は静かに窓を見上げる。

黄色い瞳が細くなる。


「ニャ」


恭介だけに聞こえる声が届いた。


「多すぎる」


「……何が?」


「結露だ。多すぎる」


恭介の胸がざわつく。



警察が到着した。

宿の廊下は静まり返っていた。

笑い声はもうない。

朝の光が、窓から差し込んでいる。

雪明りの残る庭。

白い世界。

誰かが廊下に立っていた。

真島の部屋の窓。

その上の小さな換気口。

その周囲に、雪が張り付いている。

白く。

厚く。

まるで塞がれたように。

警官の声が聞こえた。


「ヒーターですね。古い型ですが、問題はなさそうです」


別の声。


「加湿器が最大のままだ」


「乾燥対策でしょう」


恭介は窓を見る。

結露。

外壁。

換気口。

胸の奥が、急に冷たくなる。

――もし。

その穴が塞がれていたら。

ヒーター。

密閉。

空気。

頭の中で、ゆっくりと何かがつながる。


(……まさか)


もう一度、換気口を見る。

雪は厚い。

昨夜の吹雪なら、十分ありえる。

ありえる。

ありえるが――

指先がわずかに震えた。



外に出ると、空気が鋭く冷たい。

窓の下。

確かに足跡があった。

雪の上に、はっきりと残っている。

佐伯が言う。


「誰か……来たんですか?」


警官が首をかしげる。


「しかし妙ですね」


恭介も見る。

足跡は――

窓の下まで続いている。

だが。

そこで終わっていた。

戻る足跡がない。

梶原が言う。


「え? どういうこと?」


警官が雪を踏みながら調べる。


「吹雪で消えたのかもしれません」


恭介は空を見る。

夜の吹雪を思い出す。

確かに風は強かった。

だが。

ヴァレリーが静かに雪を見ていた。

猫の足が雪に沈む。


「……ふむ」


小さく呟く。


「雪はよく証拠を消す」


恭介が小声で言う。


「犯人?」


ヴァレリーは首を振る。


「自然だ」


そして窓の上を見る。

換気口。

その周囲には、厚く張り付いた雪。

ヴァレリーの目が細くなる。


「……ほう」




制服の警官が部屋を見回す。


「争った形跡はありませんね」


「急性疾患の可能性もあります」


恭介は思わず言った。


「でも……」


警官が首をかしげる。


「何か?」


恭介は言葉を飲み込んだ。

窓を見る。

白い結露。

その向こう。

外壁の上。

小さな換気口。

その周りに、雪が厚く張り付いている。

まるで、誰かが塞いだように。

ヴァレリーが小さく呟く。


「雪は、ときどき人間の共犯になる」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ