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黒猫ヴァレリーの事件簿  作者: 高橋 なぎ
第4章 雪明り
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プロローグ お誘い

冬の晴れ間。

冷たく澄んだ空気と、雲ひとつない青天。

一条寺家の左右対称に整えられた庭には、冬バラが静かに咲いていた。

低温で成長が遅い冬のバラは、花弁が厚く、色が深い。

その硬質な凛とした美しさは、冬の光にいっそう映えていた。

全館最新式のセントラルヒーティングが稼働する一条寺邸は、外の冷気とは無縁の心地よい温度に保たれている。

格調高い室内。

深い色味のカーテンは開けられ、柔らかな陽射しが床と机を照らしていた。

その陽の温もりは、つい眠気を誘う。

オーク無垢材の重厚な机の上には、書類の束。

椅子に座る千束恭介は、ため息をひとつついた。

窓際に目をやる。

冬用のベッドで黒猫が丸くなっている。

ヴァレリーは、気持ちよさそうに眠っていた。


(……猫は苦手だったんだよな)


反射的に肩がすくむ。

だが、ヴァレリーは別だ。

あれは猫ではない。

あれを猫の部類にしてはいけない。

――そう思い込むことで、なんとか平静を保っている。

それに引き換え、自分は――。

恭介は恨めしげに、未決済の書類の山を見つめた。


ヴヴヴヴヴ。


机の上のスマートフォンが震えた。

ヴァレリーの耳がぴくりと動く。

恭介はスマートフォンを手に取る。

大学時代のゼミ仲間、真島からのメールだった。


“恭介、元気か?

今度、ゼミの仲間で日ごろの疲れをとりに

温泉旅行に行こうぜ。

久我と梶原、それに佐伯ちゃんにはOKを貰ってる。

返事は明日までな。

じゃ、そういうことで。よろしく~”


添付された写真を開く。

一枚は、雪に覆われた古民家風の宿。

もう一枚は、仲良さそうに写る真島と佐伯。


(あいつ、これを見せたかったのか……)


恭介はスマートフォンを閉じ、机に突っ伏した。


「断ろうかな……」


「断るな」


「おおっ?!」


恭介は飛び上がった。

ヴァレリーが、いつの間にかスマートフォンの画面を覗き込んでいる。


「お前……びっくりするだろうが!」


「人間は、昔の時間に戻りたがる」


「見るなよ。プライバシーの侵害だろうが」


「猫だから、問題はない」


「その通りでございますね」


恭介の前に、藤堂が優雅な手つきで紅茶を置いた。

いつものように、音ひとつ立てない。


(いつの間に……)


「ヴァレリー様、敷毛布を交換いたしましょうか」


藤堂が手にしているのは、カシミヤの敷毛布。

見ただけで最高級と分かる品だ。

しかもヴァレリー専用に仕立てられている。


(この家のヒエラルキーで、俺は確実に下の方だな……)


藤堂はふと、恭介のスマートフォンに視線を落とした。


「真島様のメール……。暗号化が甘い方が多いですね。恭介様もお気をつけくださいませ」


「……あんた、なんでそんなこと知ってんだよ」


藤堂は微笑を崩さず、


「申し上げるほどのことではございませんよ」


とだけ答えた。

恭介は眉をひそめたが、深追いはしなかった。

いや、してはいけない気がした。

やるせない思いを、ため息でごまかした。




夜。

山間の温泉宿は、深い雪に包まれていた。

外灯の光が、降りしきる雪を淡く照らしている。

雪は次第に強まり、吹雪となった。

宿の外壁に雪が張り付く。

廊下には誰もいない。

宿の古い木でできた廊下は静まり返っていた。

その静寂の中ーー

ひとつの部屋からかすかな音がした。


コポ……。


加湿器の水が切れる音。


カチッ。


石油ファンヒータのタイマーが入る。

そのたびに、部屋の空気が僅かに揺れる。

壁上部の換気口。

外側の積もった雪が、ゆっくりと吸気口を塞いでいく。

雪片が、吸い寄せられるように貼りついた。

それを見ている者はいない。

風の音も、雪の音も次第に遠のいていく。

やがて――

部屋は、静かすぎるほど静かになった。


翌朝。


その部屋の前の廊下は、まだ、誰も気づいていない。




本日より、第4章を投稿させていただきます。梅雨、夏、秋ときたら冬。雪国でも巻き込まれる恭介。お付き合いいただければ、幸いです。

「鈍感というのは、罪ではない」

「……何の話だよ」

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