一番人気の思い
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マフル・ハーシェは、初めて会ったときから変わった女だった。
俺に接触してくる人間は、たいてい顔を真っ青にするか真っ赤にするかのどちらかだ。
だがあいつは、平然とした顔で謝ってきた。
まるで、俺のことを“知らないいち生徒”として扱うかのように。
それがとても新鮮に思えて、彼女のことはなんとなくずっと覚えていた。
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あいつにこの広場で再会したあの日――つまり、マフルに降光祭の紙を拾われたあの日、俺は悩んでいた。
俺はもともとこの学園に入る気は全くなかった。
将来オスカー財閥を継ぐための勉強で毎日忙しく、恋愛している暇などない。
そのため、後継ぎを作らなければならなくなってから適当にお見合いで会った相手と結婚すればいいと思っていた。
しかし、そのことを両親に話すとなぜか大反対を受けた。
うちの両親は大恋愛の末の結婚だったのも、理由としては大きいのかもしれない。
彼らはとにかく、結婚相手は自分で見つけるべきだと強く主張し、なかば放り込むような形で俺はこの学園に入れられたのだ。
しかし、いざ学園に通い出しても何も変わらなかった。
好きになれるような相手もいなければ、そもそも女子は俺を遠巻きにして騒ぐばかりで深く知る機会もない。
近寄ってくるのは、気も押しも強い女子ばかり。恋愛なんてどうでもいいと思っている俺は、恋愛対象になりそうな女子が近付いてこないのをいいことに自分から何か行動を起こすこともなかった。
しかし、あの日の前日、俺は両親に呼び出された。
「セフィード、学園はどう?いい人見つかりそう?」
「ああ」
笑顔で聞いてくる母に、俺は素知らぬ顔で答える。しかしこの母は昔から勘が鋭く、すぐに俺の嘘を見破った。
「その様子だと、何もないわね?」
「…………」
嘘がばれた俺は下手な言い訳をせずに沈黙を守る。
そんな俺を見て父がため息をつき、言った。
「まったく、私たちの唯一の子がこれとは、本当に嘆かわしい。……決めたよ、セフィード」
父のこの顔は、何かよからぬことを考えている顔だ。
嫌な予感でいっぱいになった俺は、聞きたくないと思いつつおそるおそる尋ねた。
「……何を」
「セフィードがラース学園で恋人を見つけられなかったら、オスカー財閥の後継ぎからセフィードを外す」
父のあまりに横暴な決定に、俺は拳を震わせる。
しかしそんな俺に気付いているのかいないのか、父は手のひらをおでこに当てて心底苦しそうに続けた。
「私だってもちろんそんなことはしたくないよ!でもね、セフィード、恋愛から知ることのできる人間の機微だってたくさんあるんだ。お前は今はそれを無駄だと思っているみたいだけど、一度でも経験すればきっと将来のお前が成長するための糧になるはずだよ。オスカー財閥のトップが薄っぺらい人間であってはならないからね」
父の言葉に俺は何も返せなかった。言い返したくても、たしかに俺は恋愛については何も経験していない。
自分で経験していないことを勝手に決めつけるのは悪手だと今までの学んできたことからもわかっている。
俺が納得はしていなくてもなんとなく理解はしたことを察してか、いくぶん態度を和らげて父は言う。
「別に、結婚相手を必ず見つけろとは言っていない。とにかく恋愛を経験してくれればいいんだ。まずは、好きな人を作るところから始めてみてはどうかな」
それが一番難しいというのに。
俺は非常に複雑な気持ちで両親の部屋をあとにした。
とりあえず、差し当たってチャンスがあるのは降光祭だった。
ここでうまく相手を作れれば一番スムーズにいく。しかし残念なことに、俺がまともに話したことのある女子はシャーリー・アストンだけだった。
とりあえず何もしないよりはいいかと彼女の名前を書いてみたはいいものの、そういえばシャーリーには彼氏がいたことを今更ながら思い出す。
唯一の可能性がなくなったことに気付いてすべてが馬鹿らしくなり、紙をぐしゃぐしゃに丸めて家に帰ろうと歩き出したところで――――あの紙を、マフルに拾われた。
あのときのあの用紙は、俺の唯一の弱みを凝縮したようなものだった。
恋人を作れなければ後継ぎから外される弱み、仲の良い女子が一人しかいない弱み、そしてその女子すら望み薄な弱み――――
馬鹿にされ、面白おかしく言いふらされると思った。もしくは、これを盾に脅されるんじゃないか、と。
しかし、マフルはそのどちらもしなかった。
一緒に悩んで、あろうことか自身の好きな人をばらしてまで俺を安心させようとした。
その姿が俺にはとても眩しく映った。
マルディー先輩を追いかけるマフルは、常に一生懸命で全力だった。
彼女は艶のない妙に量が多い髪をわざわざおさげにして、すっぴんで眉もぼさぼさのまま整えず、ぶあつい眼鏡をかけており、確かに見た目こそあか抜けない印象だが、マルディー先輩と話して嬉しそうに笑う姿はとてもかわいいと思った。
その笑顔が、俺に向けられるものだったらいいのにと思い始めたのはいつ頃からだろうか。
はっきりとは思い出せない。
マフルは最初こそマルディー先輩との接点を俺に頼ったが、そのあとはずっと自分一人で頑張っていた。
だから降光祭が終わるまで話す機会はほとんど無く――無かったけれど、いつの間にか教室の外に出るとマフルの姿を捜している自分に気が付いた。
女子に囲まれていても、人垣の向こうにあのださいおさげ髪を見つけるだけでその日は一日少しいい気分になった。
今思えば、あの頃からきっと俺はマフルが好きだった。
マフルがマルディー先輩に振られたときも、なぐさめつつ俺にチャンスがめぐってきたことを内心喜んでいた。マルディー先輩の見る目のなさにも感謝した。
だから、すっかり忘れていたのだ。
マフルが、俺がシャーリーのことを好きだと勘違いしたままだということを。
マフルの勘違いを思い出したのは、二人で放課後に寄り道したときだ。
彼女に「シャーリーと付き合ってるの?」と聞かれてやっと思い出した。
しかし俺はそのとき、その質問をされたことより、その質問をするマフルが平然としていることに腹が立って、きちんと返事をせずに家に帰ってしまった。
否定し忘れたことに気付いたのは家についてマフルにもらったお菓子の袋を再び開けてからだった。
自分のことばかりで相手にどう受け取られるかを全く考えていなかった。
恋愛をしたことがないとこういうところで差が出るのかもしれない、と自己嫌悪に陥る。
しかし、その後も否定する機会は訪れなかった。
はやめに誤解を解きたかったが、わざわざ自分から出すような話題でもない。
なぜあのとき否定しなかったのか、と何度も後悔した。
そして、マフルが弁当を持って広場に現れたあの日。
マフルと過ごす時間が心地良くて、今なら俺がシャーリーを好きだという誤解について話しても引かれないかもしれない、と思った。
しかし、俺がそれを話すより先にマフルに言われてしまった「応援するよ」の言葉。
どう返せばよかったのだろうか。あの場で伝えてしまえばよかったのだろうか?応援なんてしないでほしい。マフルのことが好きだと。
……マフルは俺のことをなんとも思っていないのに?
マフルが話しかけてこなくなった今でも、その答えは出ていない。
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