束の間の平穏
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「えー、降光祭のペア希望の用紙の締め切りは明日までだ。もしまだ出していない生徒がいたら、忘れずに出すように。以上」
担任の先生からの事務連絡に、私ははっとなって立ち上がる。
シャーリーの情報をどう探ろうかに夢中で、記入はしたものの提出をすっかり忘れていた。
「先生、これ、お願いします」
「おう」
教室を出ていきかけていた先生を呼び止めて用紙を渡すと、先生はすっと受け取って去って行く。
これで一安心、と思いながら席に戻ると、タージェルが驚愕の表情を浮かべて穴が開くほどこちらを見ていた。
「なに」
不躾な視線に、眉をひそめて低い声で尋ねると、タージェルは慌てて言う。
「おい、もしかして今出したのって降光祭の用紙?」
「ほかに何があるの」
「噓だろっ!?寄りによってマフルが!?」
失礼すぎる。
腹が立って、もう無視しようとそのまま席につくと、いつものようにタージェルが後ろから高速で背中をつついてきた。
「もー、うるさいよ」
背中をつつくペンを振り払って言うと、タージェルがガッと私の肩をつかむ。
「相手誰?まさか、相手にも了承もらってたりしないよな?そんな奇特なやついないよな?」
「さすがに私に失礼すぎない?残念だけど、もう約束してます」
私がつん、と顔をそむけて言うと、彼は絶望したように頭を抱えた。彼の唯一の長所である銀髪がぐしゃぐしゃになる。
「嘘だろ!?マフルにできてなんで俺に相手ができないわけ!???マフルだぞ!?」
そして、顔を少しだけ上げると小声で確認してきた。
「まさか、まさかだけど、こないだ噂になってたセフィードじゃないよな?」
「違うよ、セフィードはただの友達」
「よりによってマフルに男の噂が立っただけでもおかしいのに、本命までいるなんてどうかしてる!!」
タージェルが、見た目から私を見下しているのは今よぉーーーく分かった。
分かったので、机の下にあるタージェルの足の甲をがんっと踏みつける。
彼が「いてーーー!!」と叫んで悶えているうちに、私は席を立ってタージェルから離れた。
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それからしばらく、セフィードと出会う前のような日々が流れた。
マルディー先輩にもセフィードにも会わない、クラスメイトと過ごすだけの日々。
マルディー先輩に会いたい気持ちはあったが、用事もないのに会いに行くのはなんだか憚られた。
それに、クラスを聞き忘れたためどこにいるのかわからない。植物学科ということはわかったので植物学科の研究室に通いつめれば会えたかもしれないが、そうすることで重い女だと思われるのは嫌だった。
セフィードに関してはもうマルディー先輩のことは協力してもらったし、シャーリーからは結局有益な情報を聞き出せなかったため、会う理由がなかった。
ときどき女子の黄色い声が聞こえてきてそちらに目を向けるとセフィードがいることがあったが、それだけだ。
向こうは気づいていないし、女子をかきわけてまで話しかける気にはなれない。
そうしてハイキングに行ったことすら夢だったんじゃないかとも考えるようになったある日の放課後。
突然私のクラスにセフィードが現れた。
「マフル・ハーシェいる?」
低音の耳に心地よい声と、クラスの女子の悲鳴とが同時に私の耳に入り込んでくる。
そのとき私はちょうど家に帰ろうとカバンに荷物を詰め込んでいるところだった。
驚きを隠せずにセフィードの立つ教室の入り口を見る。
セフィードは女子に囲まれながらもこちらをしっかりと見つめていた。
「ちょっと、マフル、セフィード様だよ!!」
「もしかして、こないだぶつかったときから付き合いがあるの!?」
私を取り囲んでわいわい騒ぐ友人たちを制して、セフィードのもとへ向かう。
「ど、どうしたの?」
「ここじゃちょっと。来いよ」
私がセフィードの目の前に立つと、彼は私の手をぐいっと引いて歩き出した。途端にうしろからキャーッと声があがる。
いつになく騒がしい教室を横目に、私は後で説明するのが大変だな……と思いながら、されるがままに引っ張られていった。




