第4話
その声に、金髪の少女がゆっくりと首を回し、紫髪の少女を見た。
紫色の強い瞳が、デトロを呑み込まんばかりに睨みつけている。
デトロはそんな彼女を、馬車に乗ったまま見下ろしていた。
「僕が、なんで?」
「命令だからです!」
「だから、なんで僕が他国の貴族の命令を聞かなきゃいけないんだって聞いてるんだけど?」
「あなた、伯爵より下の爵位でしょう? なら、伯爵家のローズマリーお嬢様のお言葉に従うべきです!」
「他国の――」
「お黙りなさい!」
デトロは呆れ果てた顔で彼女を見つめた。
下働きをするなら大貴族の家で、という言葉はある。
だが、それはあくまでも下働き同士の間で通じる話だ。
今、彼女が相手にしているのは貴族である。
たとえ他国の貴族であっても、貴族は貴族。
従者が口答えしていい相手ではない、ということだ。
「君、従者のくせにずいぶん口が回るね?」
その言葉に、紫髪の少女は目を大きく見開き、ぎりっと歯を食いしばった。
「じゅ……従者? 私が? どこをどう見たら私が従者に見えるんですか!?」
「え、従者じゃないの?」
「失礼な方ですね!」
怒る彼女に加勢するように、ローズマリーも声を上げた。
「セリは私の従者ではなく――」
「ローズマリーお嬢様。私が言います!」
紫髪の少女は勢いよく前に出ると、堂々と声を張り上げた。
「私はヘフトンの町、ロプロスを治める子爵家、ロフォン家の長女、セリア・デ・ロフォンです! お分かりになりましたか?」
「なんだ、従者じゃなかったんだ」
「当然です!」
「服装もそうだし、顔つきもそうだし。てっきり従者かと思ったよ」
「何ですって……? 私の服装のどこがどうだと言うんですか!?」
怒りに満ちた顔で近づこうとする二人の前に、タルセンがすっと立ちはだかった。
「申し訳ございません、ローズマリーお嬢様、セリアお嬢様。デトロ坊ちゃまの許可なく、これ以上近づけるわけにはまいりません」
タルセンを見た二人の少女は、ぎくりとした表情で慎重に後ずさった。
「デトロ坊ちゃま」
「何?」
「一つ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「何を?」
タルセンは背後にいる二人の少女を見ながら言った。
「たとえ他国とはいえ、このお二方は領地を賜った家門のご令嬢です。デトロ坊ちゃまが手を差し伸べられれば、ブラッドハート家にとっても大きな助けとなるでしょう」
――そんなこと、僕だって分かってるよ……。
デトロにも分かっていた。
たかが一貴族が国家間の外交を左右することなどできない。
しかし情勢次第では、他国との外交関係が何らかの形で変わることもある。
もし彼女たちと親しくなった状態で、情勢が戦争よりも融和へ傾いたなら。
その時、彼女たちの家門から何らかの助力を得られる可能性は、低いながらも存在した。
「つまり、タルセンが言いたいのは、この二人を僕の馬車に乗せてポンメルまで連れていけ……ってこと?」
「はい。ここで親交を築ければ、お父上様だけでなく、我が主もお喜びになるでしょう」
タルセンの言う主。
それが誰なのか、デトロも知っていた。
デトロを学校へ放り込んだ、エドベンである。
しばらく悩んだデトロは、深いため息を吐いた。
「分かったよ。そうする」
「さすがは坊ちゃま。賢明なご判断でございます」
デトロは馬車へ乗り込み、二人に顎をしゃくった。
「それじゃあ、ローズマリーお嬢様、セリアお嬢様。馬車にお乗りください」
タルセンが手を差し出すと、ローズマリーとセリアはごくりと唾を飲み込み、緊張した表情で彼の支えを受けながら、慎重に馬車へ乗り込んだ。
やがて馬車は再び走り出し、ポンメルへ向かう。
「てっきり有名な家門かと思いましたのに、聞いたこともない家だったのね」
ローズマリーの高慢な物言いに、デトロは興味がなさそうに頬杖をつき、窓の外を眺めた。
「セリア、あなたも聞いたことのない家門でしょう?」
「はい。テルペンの有名な家門といえば、紅炎の祝福を受けたとされるフレイムウィズ家、氷竜の庇護を受けるフェルアイス家、光剣術で有名なヒシュフェル家などがありますが、ブラッドハート家など一度も聞いたことがありません」
「そんな家門が、私たちにあのような無礼を働くなんて。本当に呆れた話ですわ」
「君たち、ずっとそうやって喋ってるつもり?」
いくら興味がなさそうに窓の外を眺めていても。
彼女たちがどれだけ小さな声で話していても。
鼓膜が破れていない以上、完全に聞こえないわけではない。
デトロの言葉に、ぎくりとした二人がぎこちなく笑った。
「わ、私たちが何を言ったと……」
「そうですわ。先ほどのように勝手な思い込みで、私たちを悪者扱いしないでくださる?」
――口を開かなければなあ……。
「皆様。間もなくポンメルに到着いたしますので、ご準備ください」
「はーい」
外から聞こえたタルセンの声に、二人はすぐさま反応し、空気を切り替えた。
高い城壁。
城壁の上にある弓兵塔の頂には、旗がはためいている。
多くの人々が出入りする巨大な城門には、馬車がひしめいていた。
本来なら商団の馬車で埋まっているはずの入口は、今や貴族たちの馬車でいっぱいだった。
「さすがポンメルだね。貴族の馬車が多い」
「はい。間もなくイェルペロス魔法学校の入学式でございますから」
「イェルペロス魔法学校?」
デトロが聞き返すと、セリアは目を大きく見開いて彼を見た。
「まさか……イェルペロス魔法学校をご存じないのですか?」
「別に、学校には興味ないから」
「いくら興味がないとはいえ……」
「でしたら、私が説明してさしあげますわ!」
ローズマリーは一つ咳払いをすると、流れるように語り始めた。
「イェルペロス魔法学校は、ポンメルでもっとも古い魔法学校です。ポンメルでは一年のうちにいくつもの魔法学校や騎士学校が消えていきますが、イェルペロス魔法学校は二百年という長い年月の間、一度も廃校の噂が出たことのない学校の一つです。名前は魔法学校ですが、剣術も同時に学ぶため、イェルペロス魔法学校を卒業する魔法使いたちは基礎体力も優れており、さらに有名な魔法剣士までも輩出した――」
彼女の講義らしきものは、ほとんど二十分も続いた。
「さあ、どうです? これでイェルペロス魔法学校がどれほど素晴らしい場所か、お分かりになりましたでしょう?」
「ああ、うん。よーく分かったよ。耳にタコができるくらいにはね」
デトロが興味なさそうに顔をそらすと、セリアが彼を見つめながら尋ねた。
「あなたも魔法学校へ入学するためにポンメルへ来たようですが、どの学校へ向かわれるのですか?」
その言葉に、デトロは一瞬固まった。
――そういえば……僕、どこの学校に行くんだ?
デトロは懐から、エドベンにもらった手紙を取り出した。
その瞬間。
手紙に押された印章を見て、ローズマリーが目を大きく見開いた。
「待って!」
ローズマリーの反応に、セリアとデトロは驚いた。
ローズマリーはデトロから手紙を奪うように受け取り、じっと確認する。
「こ……ここここ……これは……! イェルペロス魔法学校の入学許可書……!」
「え?」
ローズマリーは印章を見つめながら続けた。
「ここが見えませんの?」
彼女が指したのは、手紙の右上。
そこには、魔法陣と杖が描かれた印章が押されていた。
「これはイェルペロス魔法学校の紋章ですわ!」
「まさか……あなたもイェルペロス魔法学校の新入生だったなんて……」
「ちょっと待って……あなたも、ってことは……」
ローズマリーとセリアは、そろってうなずいた。
――ああ……。
その瞬間、頭が痛くなったデトロは額に手を当てた。
彼はこの二人を、自分とは何の関係もない人間だと思っていた。
だからこそ、さっさと降ろして学校へ向かうつもりだったのだ。
だが、この二人もイェルペロス魔法学校へ入学しに来た生徒だというなら、結局は学校まで一緒に行かなければならない。
――しかも、学校で知り合いみたいな顔をされた日には……!
光魔法で名高いブリスティアーズ伯爵家の令嬢と知り合いだという噂が広まり、無駄な注目を浴びるかもしれない。
――僕は静かに暮らして、静かに卒業しなきゃいけないんだよ……!
そうでなければ、彼が望むモンスター狩りの邪魔になる。
「それならちょうどいいですわ。返したくない恩であっても、貴族ならば返すのが筋というもの。今日は私たちの別邸でお休みになり、三日後に一緒に学校へ向かうことにいたしましょう」
「ええっ!? この男を屋敷に連れていくのですか!?」
「そうよ。どれほど礼儀知らずな貴族であっても、恩を受けたなら返さなければなりません。特に、我が家のように名のある家門がこのような恩を返さなかったとなれば、すぐに噂になってしまいますもの」
二人はデトロを見た。
どうやら彼女たちは、デトロが悪意ある噂を流すと考えているらしい。
「いや、その必要はないよ」
「遠慮なさらず、一緒にいらっしゃい。今の時期にポンメルで宿を取るのは、ほとんど不可能に近いはずですわ」
「大丈夫だって言ってるでしょ」
今は宿の心配をしている場合ではなかった。
数日楽をするために彼女の好意を受けた瞬間、数年、数十年。
いや、下手をすれば一生後悔することになるかもしれない。
「ああ、もう! いいから一緒に来なさいと言っているでしょう!?」
「大丈夫だってば。タルセン! 中へ入るまで、あとどれくらい?」
「間もなく中へ入ります」
「ちょうどいい。中へ入った瞬間、僕たちの関係はそこで終わりだ。分かった?」
ローズマリーは理解できないという顔をした。
「いったいなぜ、私の好意を拒まれるのです? ただ受け取れば、私も気分がよく、あなたも楽に――」
「はい、この話は終わり!」
デトロは慌てて話を遮った。
そして、ほどなくして彼らの馬車が都市の城門をくぐった瞬間。
「タルセン、止めて!」
タルセンは馬車を止め、後ろを振り返ってデトロを見た。
「どうされましたか、デトロ坊ちゃま」
「この二人、ここで降りるから」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! せめて別邸までは送っていただかないと……!」
「足があるんだから歩けばいいでしょ!」
デトロが素早く二人を降ろそうとすると、タルセンは深いため息を吐いた。
「坊ちゃま。どうやら本日は宿を取るのが難しそうですので、先方のご厚意を受けられてはいかがでしょうか」
「好意なら後で僕が勝手に受け取るから、早くこの二人を――」
「いいえ。魔法学校の入学式がある三日後までは、お世話になることにいたします」
「タルセン!」
「恩を返そうとする方に恩返しをさせないのは、礼に反することでございます」
「聞いたでしょう? デトロ」
勝ち誇ったように口角を上げ、ローズマリーがデトロを見た。
デトロは悔しげな表情で彼女を睨む。
「それでは、タルセン。今すぐブリスティアーズ家の別邸へ向かいましょう。道案内は私がいたしますわ」
「かしこまりました、ローズマリーお嬢様」
「タルセン……お前、どこの家の従者だよ……」
「もちろん、ブラッドハート家の従者でございます」
その言葉を最後に、タルセンは笑みを浮かべながら、馬車をブリスティアーズ家の別邸へと走らせた。




