第5話
ブリスティアーズ家の別邸へ向かうポンメルの市街は、まさに別世界だった。
道の両側に並ぶ建物は、どれも名のある建築家が設計したと言われても信じてしまいそうなほど洗練されている。
商店もまた、貴族を相手に商売をしているだけあって、彼らの目を引こうと派手な色彩や絵で美しく飾り立てられていた。
人々はどうか。
この街を行き交う者の多くは、当然ながら貴族である。
美しいドレスに身を包んだ令嬢。
仕立ての良い礼服をまとった紳士。
きらびやかな装身具を身につけた彼らが、上品そうに笑みを交わしながら歩いている。
もちろん、彼らとは明らかに服装の違う者たちもいた。
おそらく、この街の冒険者ギルドに所属する討伐者たちか、外部から商品を運び込む商人たちだろう。
「ブラッドハートとは大違いだな。ずいぶんキラキラした街じゃないか」
「当然です。各国の貴族が集まり、滞在する街なのですから」
セリアが当然のように言うと、ローズマリーもそれに続いた。
「貴族だけではありませんわ。王族の方々だって通われるのですよ?」
王族。
その単語を聞いた瞬間、デトロはこれからの学校生活に不安を覚え始めた。
世間で語られる王族の評判といえば、だいたい決まっている。
傲慢で。
礼儀知らずで。
自分のことしか考えない連中。
もちろん、貴族にもそういう者は多い。
だが貴族の場合、自分より上位の貴族が存在するため、常に好き勝手できるわけではない。
しかし王族は違う。
同じ国の中で、王族より上に立つ者などそうそういない。
つまり、彼らがどれだけ無茶をしようと、真正面から止められる者はほとんどいないということだ。
もちろん、そうではない王族もいるだろう。
だが泥水の中に一滴だけ澄んだ水を垂らしたところで、その一滴だけを見分けることはできない。
――王族の目にさえ留まらなければ、まあ何とかなるか……。
デトロは深く息を吐いた。
「デトロ坊ちゃま、ローズマリー様、セリア様。別邸に到着いたしました」
走っていた馬車が、ゆっくりと止まる。
外から声が聞こえた。
「止まれ、止まれ」
タルセンは馬車から降りると、近づいてくる門衛たちの前へ進み出た。
「こちらへは、どのようなご用件で?」
「失礼いたします。ブラッドハート男爵家に仕える従者、タルセン・ヒルトンと申します。こちらがブリスティアーズ伯爵家の別邸と伺っておりますが、間違いございませんでしょうか」
「そうだが……ブラッドハート家の者が、ここに何用だ?」
ギィィ――。
馬車の扉が開き、ローズマリーが外へ降り立った。
「わたくしはローズマリー・デ・ブリスティアーズ。魔法学校への入学準備のため、ポンメルの別邸へ参りました。すぐに門を開けなさい」
「お……お嬢様……!」
慌てた門衛はすぐさま敬礼し、背後へ向かって声を張り上げた。
「門を開けろ! ローズマリーお嬢様がお戻りだ!」
その言葉が終わるや否や、鉄門がゆっくりと開かれる。
ローズマリーは再び馬車へ乗り込み、タルセンも御者台へ腰を下ろした。
「道なりにお進みください。屋敷の馬車寄せまでお越しいただければ結構です。お嬢様が降りられましたら、馬車はこちらでお預かりいたします」
「かしこまりました。では、よろしくお願いいたします」
タルセンは穏やかな笑みを浮かべ、馬車を敷地の中へ進め始めた。
――はあ。やっぱり伯爵家は伯爵家、ってことか……。
ポンメルは、数多くの貴族が集まる都市だ。
当然、屋敷の値も地価もかなり高い。
「さすがブリスティアーズ伯爵家ですね、ローズマリー様。お屋敷がとても広いです!」
「セリ、当然でしょう。伯爵家ともあろうもの、この程度の別邸も持てなくては名折れですもの」
セリアの言う通り、屋敷はかなり広かった。
広大な庭園。
数多くの使用人。
噴水に、ドーム型の東屋まである。
外観だけならブラッドハート家の屋敷と大きな違いはないようにも見える。
だが、このポンメルという都市の中に、これほどの規模の別邸を構えているとなれば話は別だ。
並の財力では到底不可能だろう。
道なりに進むこと数分。
馬車は屋敷の前で止まった。
タルセンを含めた四人が馬車から降りると、屋敷の扉が開かれる。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
左右に整列した使用人たちが、ローズマリーが入ってくるなり、一斉に頭を下げた。
「留守中、変わりはなくて?」
「はい、お嬢様」
その中から、一人の男が前へ歩み出る。
後ろで束ねた、長い茶色の髪。
黒い礼装に磨き上げられた靴。
そして手には白い手袋。
「久しぶりね、レオナルド」
「お帰りなさいませ、お嬢様。お待ちしておりました」
レオナルドと呼ばれた男は深く一礼すると、周囲の使用人たちに手で合図を送った。
すると使用人たちは四方へ散り、それぞれの仕事へ戻っていく。
「別邸に問題はなかった?」
「はい。ただ、ご到着予定の時刻を過ぎておりましたので、少々心配しておりました」
「少し事情があったの」
「事情、でございますか?」
「道中でモンスターに襲われたのよ」
「襲撃を!? では、ただちに討伐隊を――!」
「いいえ、その必要はないわ。後ろの方が、すべて片づけてくださったから」
その言葉に、レオナルドはタルセンへ視線を向けた。
「そういえば、そちらの方々は……」
「紹介するわ。わたくしとセリアを助けてくださった方々よ。こちらはタルセン様」
「ブラッドハート男爵家に仕える従者、タルセン・ヒルトンと申します」
「それから、この方は……」
ローズマリーはデトロを見た。
そして、少し困ったように笑う。
「お名前、何でしたかしら……?」
「デトロ・デ・ブラッドハートだよ」
「ああ、そうでしたわ。デトロ・デ・ブラッドハート様」
レオナルドは柔らかな笑みを浮かべ、二人へ近づくと頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました、タルセン様、デトロ様」
「デトロ様もイェルペロス魔法学校へ入学される予定ですの。入学式までの三日間、この別邸に滞在していただくことになったわ。食事はお二人の分も用意して。それから、客間も二部屋お願い」
「かしこまりました。お二方、どうぞこちらへ。お部屋へご案内いたします」
「恐れ入ります」
「どうも」
レオナルドが先へ歩き出すと、ローズマリーはにこやかに手を振った。
「それでは、夕食の席でお会いしましょう。セリ、私たちも行きますわよ」
「はい、ローズマリー様」
* * *
デトロはベッドの縁に腰掛け、部屋の中を見回した。
一人で使うには、かなり広い客間だった。
部屋にはいくつもの装飾品が置かれ、高級そうな模様が彫られた衣装棚もある。
さらに窓の外にはバルコニーがあり、そこには景色を眺めながら楽しめる茶器と菓子まで用意されていた。
一人で過ごすには広すぎる部屋だ。
だが、仕方がない。
「私は従者でございます。よほど特別な事情でもない限り、デトロ坊ちゃまと同じ部屋で休むわけにはまいりません」
当初、デトロはタルセンと同じ部屋で休むことになると思っていた。
だが、それをタルセンが強く拒んだ。
理由は、身分差である。
彼がどれほど強かろうと、従者は従者。
ブラッドハート家に仕える従者が、家の子息と同じ部屋で床につくなど、あってはならないことだった。
共に休むことが許されるのは、野営中か、危険が迫っていて護衛する必要がある時だけ。
そしてその場合でさえ、従者は眠るのではなく、夜通し主を守らなければならない。
だが今は、そうした非常時ではない。
治安の悪い下町にある屋敷でもなければ、荒くれの討伐者たちが出入りする安宿でもない。
並の討伐者では突破できないほど厳重な警備を誇る、伯爵家の別邸なのだ。
そんな場所で従者と主家の子息が同室で寝るなど、骨の髄までブラッドハート家に仕えるタルセンにとっては、到底受け入れがたいことだったらしい。
「はあ……」
ベッドへ倒れ込むと、デトロの体はふかふかの寝具に沈み込んだ。
顔まで埋まりそうになった彼は、深く息を吸い、そして吐く。
それから勢いよく布団を払いのけた。
「ああああっ!」
息苦しかった。
今すぐにでも飛び出して、強大なモンスターを狩りに行きたい。
それなのに、出られない。
その事実が、どうしようもなく彼を苛立たせた。
「学校生活、どうやって耐えろっていうんだよ……」
まだ学校がどのような仕組みになっているのかは分からない。
だが、寮生活になることは目に見えている。
そうなれば、平日に外へ出るのはまず不可能だろう。
「せめて休日くらいは外出できればいいんだけどな……」
休日だけでも自由に外へ出られるなら。
それさえ可能なら、どこへでもモンスターを狩りに行ける。
コンコン。
「デトロ様。お食事の用意が整いました」
「分かった」
デトロはベッドから起き上がった。
* * *
食堂はそれほど遠くなかった。
たどり着いたデトロは、目の前に広がる光景に思わず喉を鳴らす。
「いらっしゃいましたわね」
食卓の上には、豪勢な料理の数々が並んでいた。
表面を飴色に焼き上げた七面鳥。
肉汁を滴らせるポークカツレツ。
香ばしく焼かれたパン。
取り分けやすいよう大皿に盛られたパスタ。
さらに料理の間には、火の灯った三叉の燭台が置かれている。
前世で見た映画に出てくる、クリスマスディナーの食卓そのものだった。
使用人に椅子を引かれ、タルセンの隣の席に腰を下ろす。
デトロは、自分の前に置かれた料理を見つめた。
今日の主菜はシチューらしい。
そこからは、じっくり煮込まれた肉の香りと、トマトの爽やかな酸味が立ち上っていた。
「大したものは用意できませんでしたけれど、どうぞ召し上がってくださいませ」
まるで、これでも普段より品数を抑えていると言わんばかりに、ローズマリーは軽く肩をすくめて言った。
――これで大したことないなら、普段はどれだけ食ってるんだ……?
ブラッドハート家の食卓とは、次元が違った。
あちらの食事といえば、焼いた鶏肉とスープ、それに数切れのパンがいいところ。
しかも香辛料や調味料は高価なため、味はたいてい薄い。
それと比べれば、これはもはや王族の晩餐と言われても信じてしまうほどだった。
ローズマリーとセリアが、優雅に料理を口へ運ぶ。
「どうかなさいまして? お口に合いませんの?」
「いや、違う違う。食べるよ」
デトロはわずかに震える手で、料理を口へ運んだ。
甘い。
しょっぱい。
酸味もある。
料理ごとに、いくつもの味が複雑に重なっていた。
――そうだよ……これだよ、料理ってのは……。
自然と笑みがこぼれる。
そんなデトロを見て、セリアがにやりと笑った。
「デトロ様は、普段こういったお料理を“召し上がれない”のですね?」
“召し上がれない”。
そこだけを妙に強調したセリアの言葉に、デトロの肩がぴくりと跳ねた。
「そ、そういうわけじゃ……」
「構いませんわ。正直におっしゃってくださって」
セリアは先ほどの屈辱を忘れていないのだろう。
何でもないような笑みを浮かべながら、にこやかに傷口をえぐってくる。
「デトロ様がたとえ“男爵家”の方であっても、デトロ様の従者が私たちを救ってくださったことに変わりはありませんもの。追い出したりはいたしませんわ」
「そ、そう……それはどうも、ご親切に」
二人がほほほと笑う。
デトロは眉をぴくぴくと震わせながら、片方の口角を引きつらせ、それでも食事を続けた。
そうして、数分ほど経った頃だった。
「ローズマリー!」
食堂の扉が勢いよく開き、一人の女性が中へ入ってきた。
「ロゼリアお姉様……!」
ローズマリーと同じ、黄金色の髪。
違いといえば、目元に泣きぼくろが一つあることくらいだろうか。
赤い上衣に白い乗馬ズボンという格好の彼女は、まっすぐローズマリーへ駆け寄ると、そのまま頬ずりした。
「全部聞いたわ、ローズマリー! オークに襲われたんですって? 怪我は? どこか痛むところはない?」
「だ、大丈夫よ、お姉様。どこも怪我していないわ」
ロゼリアは、うわああんと泣き始めた。
「ごめんなさいぃ~! 最近、オークが街道近くまで出ているって、手紙に書き忘れてしまったのよ! そのせいで、わたくしの可愛い妹が怪我をするところだったなんて……完全に姉失格だわ……」
「大丈夫だってば……。それよりお姉様、前……」
ローズマリーが引きつった笑みを浮かべながら視線で合図すると、ロゼリアはようやく顔を上げた。
そして、デトロとタルセン、さらにセリアの姿に目を向けた。




