第3話
この世界には、モンスターというものが存在する。
緑色の肌に小柄な体。
手には棍棒を握り、チンピラのように群れて歩く、いわゆるゴブリンもいれば、ゴブリンよりも大柄で、凄まじい筋肉を持ちながらも、知能はかなり低いモンスター――オークもいる。
その他にも、数えきれないほどの種類のモンスターが、世界中の至るところに生息していた。
基本的に、人が多く暮らす場所では見かけにくい。
だが、完全にいないとは言い切れない。
ヒヒィン!
順調に進んでいた馬車が、ゆっくりと止まり始めた。
「何だ?」
デトロは窓の外へ顔を出し、前方を見た。
まず目に入ったのは、遠くに見える巨大な都市だった。
「うわぁ……兄さんも父上も、本当に容赦ないな。僕一人を追い出すために、ここまで送り込むわけ?」
テルペンの隣にある都市国家、ポンメル。
その姿が、デトロの視界に入ってきた。
領地と呼べるものが一つしかない都市国家ポンメル。
しかし、この都市を攻撃する国はなかった。
理由は単純だ。
数多くの貴族の子息や令嬢たちが、教育という名目でこの都市に滞在しているからである。
かつてのポンメル国王は、実に頭の切れる人物だった。
都市国家である以上、周辺諸国がよだれを垂らしながら狙ってくるのは当然のこと。
普通の国王であれば、軍備を増強し、どうにかして周辺国の侵略を防ごうとしただろう。
だが、ポンメル国王は違った。
彼が引き上げたのは、軍事力ではない。
教育だった。
軍備に金を注ぎ込む以上の勢いで教育に力を入れ、数多くの人材を育てていった結果、いつしか他国の貴族たちまでもがポンメルの教育を求めるようになった。
そして今では、数多くの国の貴族たちが、我先にと子供を留学させる場所になっていたのである。
もし周辺国が、そんな都市を攻撃するために軍を差し向けようものなら、当然、他国の貴族たちは自分の子を守るために黙ってはいない。
長い時間を経た末に、ポンメルは教育という巨大な城壁を築き、他国からの攻撃を根本から封じ込めてしまったのだ。
もちろん、そんな国である以上、教育には相当な金がかかっているはずだった。
「その金、どこから工面したんだか」
デトロは乾いた笑みを浮かべながら、視線をそらした。
次に目に入ったのは、街道の真ん中だった。
そこには、無数の足跡が残っている。
人間の足跡もあるにはあった。
しかし、その大半は人間のものではない。
モンスターの足跡だった。
――襲撃か……。
街道の真ん中に残された足跡と、壊れた馬車。
状況を理解するのは簡単だった。
この道を進んでいた一行が襲撃を受け、モンスターに連れ去られたのだ。
馬車の形や描かれている紋章を見る限り、おそらくこれは貴族の馬車だろう。
「デトロ様。どうやら、この周辺に馬車を襲うモンスターどもがいるようです」
「みたいだね」
「私としては、まずこの周辺で襲撃を行っている連中を見つけ出し、処理してから向かうのがよろしいかと思いますが、いかがなさいますか?」
デトロは考え込むように、彼を見つめた。
――急いで都市に行ったところで、観光できるわけでもなさそうだしな……。
エドベンが、彼にレベル八十二もの人間をつけたのには理由があった。
デトロが学校に到着する前に逃げ出すのを防ぐためである。
それ以外に、理由らしい理由など考えられなかった。
都市に着いても、それは同じだ。
目の前にいるタルセンは、デトロが学校の中へ入るまでは、絶対に目を離さないはずだった。
都市へ早く着いたところで、どうせ見物する暇もなく、そのまま学校へ直行だろう。
――それなら、ここでもう少し遊んでから行く方がいいよな。
デトロは、にやりと笑った。
「いいよ。そうしよう」
「かしこまりました。では、すぐに処理してまいります」
「え……? 一人で……?」
デトロが呆けた顔で見つめると、タルセンは静かにうなずいた。
「はい。足跡を見る限り、ワイルドボアとオークが数匹いるだけです。その程度、朝飯前ですので」
「そ、それでも一人で行くのは危なくない?」
「問題ありません。それでは――」
「ちょ、ちょっと――」
ヒュンッ。
デトロの制止をこれ以上聞くつもりはないとばかりに、タルセンは目にも止まらぬ速さで、一瞬にして森の中へ飛び込んでいった。
呆然と彼が消えた場所を見つめていたデトロは、深いため息を吐く。
「まあ……レベル八十二の奴が、たかがオークやワイルドボアを狩るのに助けなんて求めるわけないか……」
そして、すぐに片方の口角をにやりと吊り上げた。
「そうでなくちゃ。当然だ」
今、自分を監視する者は誰もいない。
誰も見ていないこの状況でデトロが逃げ出せば、いくらレベル八十二のタルセンといえど、彼を見つけることはできないはずだった。
もちろん、兄には報告されるだろう。
後で兄に会えば、また説教が始まるに違いない。
だが――。
「今は狩りたいものが多すぎるんだよなぁ。空を漂う鯨、ベヒモスとか? 海の主、リヴァイアサンとかさぁ」
最も狩りたかったモンスターの一体であるアイアンワイバーンは、すでに討伐し、その心臓を手に入れている。
残るは、この二体。
ベヒモスと、リヴァイアサン。
もちろん、それ以外にもデトロが狩りたいモンスターはまだ多くいた。
だが、この三体を除けば、実際に生きていると知られているモンスターではなかったため、今のところ目標はベヒモスとリヴァイアサンだけだった。
「さて、と。タルセンには悪いけど――」
「どちらへ行かれるおつもりですか?」
不意に聞こえた声に、デトロはびくりと肩を跳ねさせた。
振り返る。
いつ戻ってきたのか、タルセンがデトロの背後に立っていた。
「何だよ……? もう倒してきたの?」
「はい。入学式まであまり時間がございませんので、できるだけ早く処理いたしました」
「す、すごいね……」
デトロはぎこちなく笑いながら、ぱちぱちと拍手した。
そして、視線をずらし、タルセンが両脇に抱えている二人の人間を見た。
「で、脇に抱えてきたそれは何?」
「モンスターに連れ去られていたところを救出してまいりました」
タルセンは、二人をゆっくりと地面に下ろした。
二人は少女だった。
一人は、黄金に輝く波打つ髪を持ち、後頭部には宝石のはめ込まれた蝶の髪飾りを留めている。
白いブラウスに青いスカートを身につけた少女。
もう一人は、紫色の短い髪に、質素な服装をした少女だった。
おそらく、一人は貴族令嬢で、もう一人は侍女だろう。
「連れてきたのはいいけど……この子たち、どうするつもり?」
「ひとまずポンメルへ連れていこうと思います。ポンメルの病院に預ければ、自力で戻るのではないでしょうか」
「まあ、そうだろうね」
没落貴族でもない限り、彼女たちにはどうにかして帰る手段がある。
特にポンメルには数多くの貴族がいるのだ。
交流のある家も、きっとあるだろう。
「よし、とりあえず乗せ――」
「ん……」
二人の話し声で意識を取り戻したのだろうか。
金髪の令嬢らしき少女が、ゆっくりと目を開けた。
髪の色によく似合う青い瞳が、デトロとタルセンを交互に見つめる。
「あなたたちは……」
「あ……どうも、お嬢さ――」
デトロが言葉を続けようとした、その時。
少女は隣に倒れている侍女を揺さぶり、必死に起こし始めた。
「セリ、起きて! セリ!」
その瞳は、警戒心で満ちていた。
考えてみれば当然のことだ。
彼女たちの最後の記憶は、オークに連れ去られているところなのだから。
だが、目を覚ましてみれば、二人の男が自分たちを見下ろしている。
もちろん、そこにオークではなく人間がいるということは、この二人が自分たちを助けてくれたという意味でもある。
しかし、その二人が善人かどうかなど、一目で分かるものではない。
「ううん……お嬢様……?」
紫髪の少女が目をこすりながら、上半身を起こした。
そして二人を見るなり、目を大きく見開く。
「ふ、ふた……二人……! 誰ですか!? どうして私たちをこんなところに……! あなたたちがオークに命令して、私たちを誘拐――」
「するわけないだろ!」
デトロが大声で叫ぶと、紫髪の少女は息を呑み、這うように後ろへ下がった。
「まったく……」
デトロは馬車の踏み台に腰かけたまま言った。
「君たち二人は、そこにいる僕の従者が助けたんだよ」
「従者?」
金髪の少女はタルセンの方へ顔を向け、それから再びデトロへ視線を戻した。
「あなたも、どこかの貴族というわけですか?」
「見れば分からない?」
「分かるわけないでしょう。あなた、貴族ではなく平民みたいに見えますもの」
「それはどうも、悪うございましたね」
デトロは呆れて乾いた笑いを漏らし、尋ねた。
「それで? 君はどれほど気品あふれる貴族家のご令嬢だから、そんなことをおっしゃるのかな?」
その言葉に、金髪の少女は立ち上がった。
つんと顎を上げ、胸に手を当てる。
「驚いて腰を抜かさないことですわ。私は大国ヘフトンの中心地、ブリスタを領有する、高貴なるブリスティアーズ伯爵家の次女、ローズマリー・デ・ブリスティアーズです」
それは、デトロも一度は聞いたことのある家名だった。
この世に存在する数ある属性魔法の中でも、祝福を受けた者だけが扱えると言われる光魔法。
その光魔法に特化した家門である。
「そんなに驚かなくてもよろしくてよ~」
デトロの表情を見て驚いていると勘違いしたのか、彼女は貴族令嬢特有の、ほほほという笑い声を上げた。
「はいはい……」
デトロは深いため息を吐くと、背を向けて馬車へ乗り込んだ。
「じゃあ、またどこかで。タルセン、出発――」
「ま、待ちなさい!」
ローズマリーが慌ててデトロを呼び止めた。
「何?」
「き、聞こえませんでしたの? 私はブリスティアーズ伯爵家の次女ですのよ?」
「それで?」
「あなたのような無名貴族にとっては、今が好機ではなくて? 私に取り入って、少しでも関係を作っておけば、後々あなたも我が家の助けを受けられるのですわ。違いまして?」
「僕が? どうして? 僕はテルペンの貴族で、君はヘフトンの貴族だろ」
「あ……あなた、テルペンの貴族でしたの?」
「そうだよ」
狼狽した彼女は、ぎゅっと歯を食いしばった。
しかしすぐに、名案を思いついたかのように微笑む。
「そ、それならむしろ好都合ではありませんか? 我が家とあなたの家が同盟を結び、ヘフトンとテルペンの関係を改善して、国家間の交流をより活発にすれば、テルペンにとってもヘフトンにとっても良いことでしょう?」
――本当に子供だな……。
外交というものは、そう簡単に成り立つものではない。
たとえば、こうだ。
互いに競い合いながら会社のために働いていた二人の役員が、何かのきっかけで親しくなり、家族ぐるみの付き合いをするようになったとしよう。
だからといって、競合関係にある会社同士が競争をやめるだろうか?
試みることはできるかもしれない。
だが、その役員一人の力で成し遂げられることでは絶対にない。
「僕は遠慮しておくよ」
デトロの言葉に、ローズマリーは目を丸くした。
その時、紫髪の少女がデトロを指差して叫んだ。
「命令です! 今すぐお嬢様と私をポンメルまで護衛しなさい!」




