第三話:友情
第三話:友情
だだっ広い屋敷には、美術室と呼ばれる場所がある。
芸術を嗜む、または本業とする魔女、魔法少女達が設計し、デザインし、創造した場所。
賑わう時もあれば、賑わない時もある。
今日の利用者は二人だけ。この屋敷が存在する魔女島のデザインに関わった魔女である、ソヨンと真奈だ。
二人は今、回廊に飾る絵を制作している。だが、これからおそらく何百年、いや何千年もの間飾られることになる絵であるからか、二人ともいつにも増して真剣な眼差しでキャンバスに向かっている。
「…だめだわ、ソヨン。見てこの配色。あの時の使い回しよ…」
「こっちもよ真奈…ああだめ、これじゃ十五の時の私の絵の方がマシよ…!」
そんな時に限って、二人揃ってスランプときた。
二人ともキャンバスにうんうん唸りながら向き合い続けて、何と八時間を経過させていた。
二人とも今は人間が住まう地上から魔女島が浮かぶ天空へと引っ越してきている。
三桁単位の月日が流れた今となっては知る人こそ少ないが、人間として生きていた頃はその時代の最先端を駆け抜けた、二人の若き芸術家だったのだ。
生半可な気持ちで描いた絵を、先輩や同輩、ましてや後輩に晒すわけにはいかない。
自分の描いた絵なのだ、誰しもがあっというような、素晴らしい物を飾らねば。
そんなプライド一つで、二人は三週間前から美術室に立て籠って絵を描き続けている。
あんなものは狂気の沙汰であると揶揄する魔女もいれば、素晴らしいと褒め称える魔女も、あんな風になりたいと憧れる魔法少女もいる。
そんな野次馬達が、連日こぞって美術室を訪れていたのだが。
二人のコアなファンはそもそも邪魔になるから来ていないし、興味本位でしかなかった野次馬達は見飽きてしまい、先日ついに美術室は二人の芸術家の独壇場となった。
__そして、そんな二人を前に赤封筒を持って狼狽える少女が一人。
イタリア生まれイタリア育ちの少女、ベアトリーチェである。
彼女は魔女達のリーダー的存在のうちの一柱、チェシカから『二人に渡すように』とそこそこ重要度の高い文書が入っていることを示す赤封筒を握らされ、一人てくてくここまで歩いてきたのだ。
ただでさえ魔法少女になった時期が人一倍幼少の頃であり、体が未発達なまま成長をやめてしまったベアトリーチェは、だだっ広い屋敷を東から西に歩かされただけで疲れてしまった。
だが、自分の面倒を何百年も見てくれた恩人であり、愛する近所のお姉様であるチェシカの頼み事を途中で断念するなんてことを、人一倍忠誠心の強いベアトリーチェは許さなかった。
…ので、何とか気合と歳上の魔女達の力添えで何とかここまで来たはいいものの。
蓋を開けてみれば、ソヨンと真奈がキャンバスを前に恐ろしい顔をしていて、壁には締切まであと二日とデカデカと書かれた紙が貼ってあるのだ。
わがまま姫と名高いベアトリーチェも、今割って入れば二人の作業を中断してしまうことはわかっていたし、それが許されないことだと知っていた。
だからこうして、三十分ほど美術室の前で立ち往生をしているのだ。
ちなみにこの時点で出発してから二時間半ほどかかっており、チェシカを死ぬほど心配させているのだが、そんなことをベアトリーチェは少しも知らない。
結局そのあと二十分ほどさらに立ち往生し、ちょうど本を読み昼寝をし終えた椿が通りかかるまで、ベアトリーチェはドアの隙間越しにうんうん唸る二人を眺めるハメになった。
…というのが、今までのことだと、たった今ベアトリーチェは椿に説明し終えた。
「はあ…それは災難でしたねシニョリーナ。」
さてどうしたものか、と椿は頭を悩ませた。
芸術家の集中力は恐ろしい。物理攻撃力トップの魔女が殴りかかってもキャンバスに向かうのをやめなかったという伝説があるあの二人だ、一筋縄では行くまい。
そこで椿は考えた。
やっぱり魔女も生き物なのだから、生命の危機に瀕させてやればいいだろうと。
そう思い立つや否や椿はベアトリーチェのポッケに入っていた銃を拝借し、自分の頭に当て三発鉛をぶち込んだ。
銃声を聞いたソヨンと真奈が美術室からあわてて転がり出てきたときはに、フリーズしたベアトリーチェと、頭に開いた風穴に指を突っ込んで銃弾を穿り出そうと画策する椿という何とも非日常的な光景が広がっていた。
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「うそっ、わざわざ美術室の前で待っていたの!?」
「遠慮なく入ってきてくれてよかったのに…しかもヒールで西館から東館まで歩いてきたの!?靴擦れ、してない!?」
張り詰めた緊張がぷつりと切れた美術室に、二人の少女の驚愕の声がこだました。
二人が驚くのも無理はない。
この館の西館から東館までの距離は、およそ5キロである。
そんな長距離を踏破したベアトリーチェがわざわざ三十分以上美術室の前で立ち往生していたことに、二人は驚きと申し訳なさが隠しきれずにいた。
二人は滅多に使われないソファにベアトリーチェを座らせ、茶食という韓国の菓子を振る舞った。
これにはベアトリーチェも大満足で、三箱近くあったお菓子の大部分は、ベアトリーチェのお腹へと吸い込まれていった。
そうしてベアトリーチェのお腹も満杯になった頃。
「…そういえば、二人って元々支配する側の国民と、される側の国民だったんでしょう?一体どうやって仲良くなったの?」
ベアトリーチェの純粋な質問に、二人は顔を見合わせてから、ベアトリーチェに語り始めた。
自分たちがかつて、人間だった頃の話を。
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初めて出会った時、ソヨンは『さよ』という日本名を使っていた。
朝鮮人であるということがバレれば、よくないことが起きるのは当時中学生だったソヨンにもわかりきっていたし、第一そっちの名前を使っていた方が生きやすい。
だから彼女が本当の名前を書くのは、いつも絵を描いた画用紙の裏だけだった。
ソヨン。顔も名前もわからない、自分のお母さんがつけた、名前。
それだけは忘れたくなくて、ソヨンとして、さよは狂ったように絵だけを描き続けていたのだ。
嬉しいことに、描けば描くほどソヨンの絵は上手くなっていった。
図画の先生には絶賛されたし、彼女自身も自分の絵がこの学校で一番上手いと思っていた。
そんなソヨンは、学校で開催された絵のコンクールに、自分の描いた絵を提出した。
今までで一番の自信作。絶対に誰にも負けやしない、そんな確信が彼女の中にはあった。
だが、優勝を掠め取っていったのはソヨンではなかった。
三上真奈という、隣の組の子だった。
誰しもが、ソヨンは三上真奈に敵わないと思った。
ソヨン自身さえ、そう思った。
そう思うほど、三上真奈の絵は素晴らしかったのだ。
散りばめられたさまざまな技巧。
混ざり合う色彩のセンス。
そして何より、象徴的な、人の目を引く絵。
三上真奈の絵は、小学校のコンクールに出されていいレベルではなかった、もっと大きなコンクールに出るべきだったと。
大人達は彼女の絵を絶賛した。
ソヨンは悔しくて堪らなかった。彼女の前では少しも輝けない自分の絵が。
そして何より、誰よりも彼女の絵を好きになってしまった自分が。
それからというもの、ソヨンはひたすら三上真奈の出場するコンテストに出続けた。
どれも自信作だった。
どれも歴代最高作品だった。
だが__三上真奈は、それをゆうに超えてみせた。
結局、ソヨンは三上真奈の後を追うように、高等女学校へと転がり込んだ。
そこで開かれた、コンテスト。
優勝者の作品は、壁画になって学校に残るらしい。
担任の先生からその話を聞くなり、先生の手からビラをひったくって、三上真奈のいる組に駆け込んだ。
「三上真奈。私と勝負しましょう。どちらが絵が上手いのか、このコンテストで決めましょう。」
三上真奈はソヨン__もといさよの事などなあんにも知らなかったが、断らせない、絶対に受けて立ちなさいという気概に押され、やや強制的に二人の戦いは始まった。
この時、三上真奈は正直いってソヨンを侮っていた。
『どこの誰だか知らないけど、全国大会で優勝した私に勝負を挑むなんて意気のいいこと。せいぜい遊んであげませう。』
こんなことを日記に書き残すくらいには、侮っていた。
だが三上真奈も一流の芸術家。
侮った相手といえど手は抜かない。
自分が今まででいちばんの出来だと思えたものを、出品した。
その結果、優勝に選ばれたのはソヨンの絵だった。
ソヨンは、三上真奈に勝った嬉しさで舞い上がっていた。
壁画になった自分の絵を、毎日毎日眺めるくらいには。
だがそんなソヨンに、冷ややかな侮蔑が刺さった。
「何あの子、勝手に勝負だの何だのいっておいて。」
「あんな絵のどこがいいのかしら。三上さんの絵の方が私好きだわ。だって__」
朝鮮人が描いた絵なんかより、三上さんの絵の方が魅力があったもの。
頭から氷水を浴びたようだった。
三上真奈は、勝負に破れても認められるのか。
そう思った途端、記憶の中で準優勝の枠に飾られていた三上真名の絵が煌びやかに見え出した。
その絵は、ソヨンのものより遥かに魅力的で。
泣くもんか、とグッと堪えてその場を立ち去ろうとした時。
「人の絵を嘲笑できるなんて。価値観がお粗末なのね。」
ピシャリと、そう言って退けたのは。
三上真奈だった。
「彩色センスも一流。構図も難しいのにしっかり立体感が表れてる。何より、このコンテストのテーマをよく表現しているわ。
…私が負けるのは、当然だったのよ。」
哀愁の漂う表情だった。
けれど、彼女の表情はどこか晴れやかだった。
「…私、あなたにずっと憧れていたのよ。だから、先生や師範に無理言って、ここまで連れてきてもらったの。」
ソヨンの口から、自然にその言葉はこぼれ落ちた。
するり、するりと蟠りが解けていく。
二人が初めて、面と向かって言葉を交わした日だった。
そのはずだったが、何だか数十年離れ離れにされていた親友と再会できたような、あついあつい何かが、確かにソヨンの胸を焦がしていた。
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「…意外でした、てっきり元々お友達同士だったのかと。」
「ベアトリーチェもそう思ってた…元々仲良くなかったの…」
ぽかんとする二人を前に、ソヨンと真奈は照れくさそうに笑い合った。
…椿とベアトリーチェはまだ知らない。
二人が戦禍を避けるため、そしてお互いの絵を身続け、描き続けるために思いついた箒での空中生活が今の魔女島の元祖であるということを。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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