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透明な刃  作者: 椎名悟
17/17

17章

佐伯の逮捕を受けて、特捜本部で記者会見が開かれた。


県警記者クラブの仕切りによる、午前11時からの会見は、新聞・テレビ各社が狭い会議室にひしめいていた。


本部長と署長が中央に並んで座り、その両脇を県警の幹部クラスが固める。開始の合図がテレビ局のスタッフによって出された。


「容疑者の氏名は佐伯辰雄、39歳。職業不詳、住所不定。本日、午前8時26分、殺人未遂の現行犯により、須賀駅にて逮捕。本年5月に発生した、池田雄一の殺害にも関与があるとみて、現在取り調べ中です」


報道各社には、事前に資料が配られているので、生放送用の儀礼的な対応でしかなかった。


各社が代わる代わる質問を繰り出すが、ほとんどの質問には「現在捜査中のためお答えできない」と返された。


世間を騒がせていた、連続通り魔事件の犯人が逮捕されたというニュースは、とりわけ地域住民にとって、安心を得る、良い知らせであることに違いはなかった。警察に対する信頼度の上昇という効果もあった。


3人が殺害され、1人が未遂に終わったこの凄惨な事件のニュースでさえ、コンテンツとして消費されていく。


テレビのコメンテーターや、それを観た人々は、足りない情報を好き勝手に補い、佐伯辰雄の虚像を作り上げた。


どんな小さな特異点でも拾い上げ、自分や周囲とは異なる特殊な事例として切りわけ、安心の材料にしていく。


たまたま発生した特殊な事例で、自分たちには関係ないと解釈し、日々の暮らしへと戻っていった。



逮捕後、2日が過ぎた。佐伯は取り調べで名前すら語らず、黙秘を貫いた。今回の逮捕は石上に対する殺人未遂だったので、駅の監視カメラ映像、現場に居合わせた目撃者の証言を取りまとめて、佐伯の身柄と共に検察に送致した。


検察は裁判所に勾留延長を申請し、最大の20日間の勾留が認められるはずだ。佐伯は定住しておらず、同居する家族もいない。犯行の認否もしていない。勾留期間が満了すると、今度は池田事件で再逮捕し、またここにやってくる。


警察は総力を上げて、証拠の収集に努めた。他の3件についても、佐伯の犯行であるという確かな理由が必要だった。再逮捕までは20日。


逮捕時に所持していたスマホ、コインロッカーのノートパソコンと、包丁は全て鑑定に回された。


包丁に付着していた血液は、小西、加藤両名のものと一致した。池田事件の先端の欠けた包丁は、見つかっていない。どこかで処分したのだろうというのが、本部の共通した見立てだった。


カバンの取っ手からは、佐伯本人の指紋しか検出されなかったので、包丁が佐伯のものであることは間違いなかった。


スマホの通話歴、通信履歴も精査され、佐伯が石上特定のために利用した派遣型風俗と、その従業員からの聴取も完了している。


佐伯のもとに派遣された従業員は驚きとともに納得もしており「どこか寂しげな人だった」と供述調書には書かれていた。


スマホの通信履歴からは山崎からの着信と、ショートメールの履歴が残っていたが、佐伯からの発信や返信はされていなかった。


2人が共謀関係になかったことがわかり、山崎は自宅謹慎中であった。事件への山崎の関与を公表するかどうかは、県警の判断ではなく、警察庁内部で決定されるはずだった。


ノートパソコンの内部データは解析、復元され、佐伯が4人の割り出しをどのようにして行ったかが、ある程度把握できた。


佐伯が自宅で使用し、不動産屋に処分を任せたパソコンについては、持ち込み先のリサイクルショップを特定し、型落ちのため売れ残っていた現物を押収できた。こちらもハードディスクのデータを復元中で、いずれ結果がもたらされるはずだった。


消防本部や須賀駅にも足を運び、新たな証拠と証言も得られた。


いずれの証拠も佐伯の犯行を裏付けており、黙秘し続けても3件の殺人と1件の殺人未遂で起訴される。求刑は死刑以外ではありえないだろう。情状面で減刑を勝ち取れるかどうかは、弁護士次第といったところか。



池田事件で再逮捕された佐伯は、再び中央署で身柄を預かることとなった。48時間経ったらまた、検察に送致される。


「佐伯さん。これからまた、取り調べを担当する真田です。そこで記録を取っているのは今川と言います。このやり取りも2回目ですね」


佐伯は黙して語らない。


「佐伯さんは、フグを食べたことあります?」


顔をわずかに上げる。


「薄く切った刺身は思いの外硬くて、しかも噛んでも噛んでも一向に味がわからなかった。なんでこんなものをありがたがって食べるのか、よくわかりませんでした」


佐伯は全く表情を変えない。


「しかも、フグが安全に食べられるようになるまで、相当数の犠牲者が出たはずです。長い年月をかけて、安全に食べられる方法を探して、我々はルールを作った」


「誰もが安心してフグを食べられるのは、ルールをきっちりと守る職人がいるからです。それは、文化と呼んでもいいでしょう」


佐伯は何も語らないが、目は細かく動いている。意味を咀嚼しているのだろう。

 

「あなたが息子さんの動画を発見し、警察に再捜査を依頼したが断られた。そのことは山崎が供述しました」


わずかに拳に力が入る。反応したのは優也君か、山崎か。


「あなたは自力で解析を行い、張り込みで得たデータとネットの協力者の力も借りて、息子の死に立ち会い、スマホを拾って姿を消した1人と、そこに居合わせたそれ以外の3人を特定した」


「しかし、あなたが見たその『短い動画』は事故のごく一部しか映していませんでした。私は押収した『より長い元データ』を科捜研に持ち込み、消防・駅の記録を照らし合わせ、事故前後の流れを復元しました」


佐伯の目がやや開いた。少なくとも、俺にはそう見えた。


「あなたは何も語るつもりがなさそうなので、勝手に話します。聞いてもらえたらいいのですが」


一呼吸置き、俺は語り始めた。


「ある晴れた朝、優也くんは元気に玄関を飛び出し学校へと向かった。何事もないいつもの朝だった」


「駅前には生きた音が充満していた。街が生み出す雑多な音はそれぞれが生活をしている証だった。5月の朝、平凡な通勤・通学の一幕として誰の心にも記憶されなかったでしょう」


「佐伯優也くんが角を曲がり駅前の交差点に正対した時に、石上は駅前通りを駅に向かって歩いていた。イヤホンから漏れた音がビートを刻み、彼を世界と隔絶していた。音に合わせて上半身を揺らし、スーツの後ろポケットにはぞんざいに差し込まれたスマホが、不安定に揺れていた」


「石上の少し後ろには、駅に向かう池田が徐々に距離を詰めていた。小西はコンビニのイートインで朝食を摂り、階段を降り切って出口に向かい、横断歩道を渡った」


「優也くんの後方に加藤が現れる。さらにその後方では、青信号で交差点を越えようとして、運転手の石橋がアクセルを少し踏み込んだ」


「石上が優也くんの前方を横切るように、赤信号の横断歩道に差し掛かる。ポケットからスマホが落ちて歩道で2回バウンドする。石上は左右を確認することなく横断を始め、優也くんがスマホに気づき走り出す」


「加藤の横を石橋のトラックが追い抜き、直後、それを確認して加藤が車道を横断した。池田も赤信号を走って渡った。優也くんがスマホを拾い石上を追う。石橋がクラクションと同時にフルブレーキを踏むが距離が足りない」


「クラクションに驚いた優也くんが立ち止まったところに、トラックが突っ込んだ。対向車線で事故を目撃した運転手も交差点手前でブレーキを踏んだ」


「イヤホンの通信が途切れ、ポケットにスマホがないことを悟った石上が振り向き、加藤が走り出す。小西と池田も車道に駆け寄る。石橋が運転席から降りて立ちすくんでいた」


「ここまでは、よろしいですか。ほぼ、あなたが知る事実と同じでしょう。石上、あなたにとってはセイヤですか。彼の供述が足されたこと以外は。しかし、その先を、あなたは知らないのではありませんか?」


佐伯の目が俺を捉えたまま動かない。俺は一枚の紙を机に置いた。


「事故の直後、池田がスマホで消防に通報を始めました。警察より救急を優先し、一刻を争う事態だと判断し、119番を選択したのです」


「加藤が素早く呼吸と脈を確認し、人工呼吸を始めている」


「加藤は小西にも声を掛け、駅に走らせた。AEDを借りてこさせるために」


「混乱を深めていく現場で、石上は路上に落ちていた自分のスマホを拾いその場を離れる。駅方向から走ってきた警察官とすれ違い、駅へと消えていった」


「石上はホストクラブで、違法薬物の販売と使用を始めたばかりだった。警察に接触することなく、その場を離れた」


「池田が救急要請の第1通報者だったことは、消防本部に記録が残っていた。しかし、そのわずかな間に警察へ110番通報した女性がいた。我々の資料に『第1通報者』として彼女の名前が残ったのは、そのためです」


「加藤は運転免許を取得したばかりで、その上個人的に救急救命講習を受講し修了証を所持していた。これも消防本部で確認が取れました」


「小西が駅事務所でAEDを借りたことは、駅員の証言と駅の業務日報から確認がとれました」


「あなたが裁こうとしたはずの石上を特定できず、現場に居合わせたものの信号を無視し続け、息子さんの死を顧みなかったとあなたが断じた3人は、あなたの息子さんを救うため、その現場で最善を尽くした人々だったのです」


「あなたが駆使した最新の技術は、真実を映し出しませんでした。真実は、記録と、そして彼らの行動を記憶する人の中にあったのです」


佐伯は焦点の合わない目で、ただ、宙空を見つめていた。

 


石上は麻薬及び向精神薬取締法違反で起訴され、有罪が確定した。主導的立場であったこと、営利目的だったことから、初犯にもかかわらず、懲役5年、併せて罰金150万円が言い渡された。現行法で上限の刑期かつ最大の金額だった。



山崎は服務規律違反により減俸3ヶ月が言い渡され、依願退職で警察を去った。官報に記されたのみで、事件との関連をマスコミに発表することはなかった。


佐伯の裁判は長い時間をかけ、公判前整理手続きが行われ、3件の殺人事件と1件の殺人未遂事件を同時に裁くことになった。


俺は傍聴席の最前列に座った。背後には被害者それぞれの遺族が、小さな遺影を胸に座っている。遺族たちの沈痛なすすり泣きが、まるで俺自身の失敗を責めているように感じられた。


一段高くなった場所には、裁判長を中心に2人の裁判官と6人の裁判員が座っていた。


佐伯は被告人席で身じろぎもせずに、じっと座っていた。顔を少しだけ俯かせていたが、表情まではわからない。


人定質問で名前を確認され、小さく「はい」と答えた。それが長い法廷で彼が唯一発した肉声だった。


検察官により起訴事実が読み上げられ、証拠が提示された。被害者の写真が映された時は、傍聴席のそこかしこですすり泣く声が聞こえた。


弁護人は優也くんの事故当日のドライブレコーダーの映像を証拠として提出し、その生々しい映像が法廷内のスクリーンに映し出された。


その映像に基づき、優也くんの事故の捜査において、警察と検察が主要因を見誤ったことを主張した。その捜査の不作為こそが、被告人を凶行に走らせた要因であり、情状酌量の余地があるとした。


全て真実だった。あの時、我々がもう一歩踏み込んでいれば、3人の命は救えたかもしれない。


検察は死刑を求刑した。対して弁護人は、被告は起訴事実について争うつもりはなく、動機の形成根拠に警察の過誤があり、無期懲役が妥当であると弁じた。


「判決を言い渡すにあたり、被告人に判決理由を伝えます」


裁判長の言葉に傍聴席はざわつき、何人かの記者が法廷から飛び出していった。


「佐伯さん、これから話すことを是非よく聞いてください。我々は弁護人の提出した息子さんの事故の映像を、証拠として全面的に採用しました」


俯いていた佐伯が顔を上げた。傍聴席には、どよめきが広がった。


「突然、失った息子さんが、なぜ死んでしまったのか。その答えを求めたことは、親として当然の要求だと、裁判官と裁判員一同は理解し、また同情を禁じ得ません」


「また、あなたがこの動画を警察に持ち込み、再度捜査を要求した時、対応した警察官に問題があったことも、全面的に同意します」


山崎の顔が頭に浮かぶ。警察を離れることになったあいつも、この事件の加害者であり、被害者だとも言えた。


「『一事不再理』は同じ事件で起訴され、公判をやり直さないということであって、警察の捜査を禁じてはいないからです。警察に落ち度があったことは事実と認定しました」


「しかし――」


そこで裁判長は言葉を切り、厳しい目を佐伯に向けた。同情に傾いていた法廷の空気を一変させた。


「警察の不手際と、あなたが犯した罪は別の問題です。あなたは自らの意思によって、3人の命を奪ったのです」


佐伯は背筋を伸ばして、その言葉を聞いていた。どんな表情なのかはわからない。だが、取り調べ室で見せた心を閉ざした姿を、俺は忘れることができない。


「彼らにも生活があり、未来があり、そしてあなたと同じように彼らを愛する家族がいました。あなたは息子さんを奪われた被害者であったはずが、独自の捜査という名目のもと、無関係な人間を一方的に断罪し、死刑を執行するかのようにその命を絶った。そしてさらにもう1人、4人目の被害者を生み出そうとしたのです」


裁判長は眼鏡の位置を直すと、さらに言葉を重ねた。その言葉は刃のように鋭く、同時にどこか悲哀を感じさせた。


「佐伯さん、あなたは今、満足していますか? 仮にあなたの計画が成就して、その上でここに立っていたとしたら、満足していましたか? 私にはそうは思えません」


佐伯は肩を細かく震わせ、両手の拳を握りしめた。


「復讐はあなたが取りえた、唯一の解決策ではありませんでした。被害者遺族として、警察の不作為を社会に公表することもできた。あなたが、息子さんを奪った原因だと考えた、社会で無視される様々なルールとその実態を社会に問うこともできたのです」


俺にもいくつかの、法改正のきっかけとなった事故が思い浮かんだ。


「しかし、あなたは法を変えることではなく、法を乗り越えることを選んだ。その結果は重大だと言わざるをえません」


裁判長は手元に目を落とし、読み上げた。


「主文――被告人、佐伯辰雄を3件の殺人罪と1件の殺人未遂罪により、死刑に処す」


佐伯は深々と頭を下げた。その背中越しに、伏せられた顔から雫が落ちるのが見えた気がした。


取り調べの時と同様、俺には、佐伯には誰の言葉も本質的には届かないように思えた。


弁護側が即日控訴手続きを行ったが、佐伯本人が取り下げ、死刑が確定した。現在、彼は拘置所で執行を待つ日々を送っている。


佐伯の裁判が終わって間もない頃、山崎から手紙が届いた。


『真田。元気か? 佐伯さんの裁判にも区切りがついた。あれから色々なことを考えたが、踏ん切りもついたので、お前だけには伝えておこうと思って、こうして筆を取る気になった。俺は裁かれることはなかったが、それで罪が消えたとは思っていない。一生背負っていく覚悟だ。死ぬまで俺の償いは終わらない』


『今は毎日、仏壇に向かって読経をあげ、近くの小学校で登校の見守りをしてから、両親の農作業を手伝っている。お前は変わらず、署内でも現場でも、その顔で周りを威圧しているのだろうな。今年獲れた米を送る。俺が田植えから収穫まで、手塩にかけて育てたものだ。お互いもう若くもないんだから、くれぐれも体には気をつけろ。今までありがとうな』


返事は書いていない。あいつもそんなもの期待してはいないだろう。

 


黄色い看板の下に花束を供えて手を合わせた。


誰かが置いた花と2つ並ぶ形になった。


この看板は無駄ではなかった。これは墓標だった。


だが社会が犠牲を忘れ、ルールの背後に横たわる墓標を見なくなったとき、また誰かが透明な刃の犠牲になる。


今日、ここに来ようと思いついたのは、先日署に届いた荷物のためだ。


真田様と宛名書きされた箱の中には檜を彫った母子像が収められていた。赤ん坊を腕に抱いて微笑む母親のように見えた。


佐伯がどんな思いでこれを彫り、俺に何を託そうとしているのか、本当のところはわからない。


社会は少しずつでも、変わっていける。そう信じるほか、俺にはなかった。


そうでなければ、ここで散った小さな命も、それに続く犠牲者たちも、本当に無意味になってしまう。


駅へと急ぐ歩行者たち、あるものはスマホに目を落としながら、あるものは隣にいる人と語らいながら、歩みを速める。


小さな子供が青信号を見て立ち止まり、右を見て左を見て、もう一度右を見てから手を上げて横断歩道を渡り始めた。


1人の若者が点滅を始めた横断歩道を見て、慌ててそこに走り込む。



この日、佐伯辰雄の執行命令に法務大臣はサインをした。

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