第3日目(水曜日) 我を救いたまえ
結局国語はあんまり勉強しないままだった。理科はどっちかというと好きな教科だし、保健体育はそもそも難しい問題は出ない。太陽は特に変化なく、いいお天気だった。
教室に入るとすぐに、ヒロシから声を掛けられた。
「おはよう、ユウ。」
「おはよ、ヒロシ。」
「お前、昨日はどれくらい勉強した? オレさ、休憩のつもりでサッカーの動画見ていたらそのまま4時間。夕飯食べてからも続きが気になって気がついたらもう11時だった…。結局2時間くらいしか勉強してねぇ。やばいよ、相当やばい。」
ヒロシらしいな、休憩でサッカーの動画なんて。
「そんなに面白いやつだったの?」
「ああ、もう最高だった。ドリブルの時の重心のかけ方や足首の使い方、トラップやフェイントもスローで解説があってスッゲーわかりやすいんだよ。」
ヒロシがそこまで言うのなら、当たりだな。
「そうなんだ。教えてよ、そのサイト。」
「いいよ。でも、あれ見始めるとやめられなくなるから、テスト終わってからにした方がいいぞ。俺の二の舞いはやめておけ。」
「大丈夫だよ、今教えてよ。」
「いいけど、今日見るのはやめておけよ。俺が教えたせいでテストの結果が悪くなったら困るからな。」
ヒロシってホントにサッカーに熱心なんだよな。やっぱりこれくらいじゃなきゃ、レギュラーになれないのかな。
「はいこれ。」
サイト名を書いた紙をヒロシがくれた。
「ありがと。…最近ヒロシが新しい技とか使ってるの、ひょっとしてこのサイト見て覚えてるの?」
「当たり! いやー、すごくいいんだよ。内緒にしておいてもいいんだけど、俺だけが上手くなってもしょうがないだろ、サッカーはチームでやるんだから。ユウにはいつも練習つきあってもらってるしな。」
「そういえばタイキも知りたがってたけど、教えてもいい?」
「もちろんいいよ。チーム全体で底上げしないとな。市のリーグ戦も始まるし。」
ヒロシって、サッカーがらみだとホントすごいな。
「で、結局ユウは何時間ぐらい勉強したんだ?」
「…4時間くらい」
ヒロシは一瞬ポカンとした後で言った。
「あれ、少なくない?」
「…うん。」
「どうしたの? 俺みたいにちょっと休憩が無限休憩になったの?」
「いや、ちょっとあってさ。勉強始めるのが遅くなっちゃったんだよ。国語は元から苦手だからやばいかも。」
「大丈夫なのか? お前の母さんって、成績に関しちゃ怖いんじゃなかったっけ。そう言ってたろ。」
「怖いよ。でもまあ、大丈夫だよ。…たぶん。」
「まぁお互いがんばるしかないからな。」
「ヒロシもがんばれよ。」
片手を上げながらヒロシが離れていった。
国語はやっぱりダメだった。…いつも通りって感じだけど。理科は手応えがあった。保健体育は簡単だったから助かった。
浅井は国語で、佐藤は理科で、回答が2つ以上存在するけど解答欄に全部書けばいいのかって聞いていた。あそこまでじゃなくてもいいから、頭が良いと楽しいだろうな。
初日に落とした点を取り戻さなきゃ。そう思って部屋に入ると悪魔さんがいた。
「あれ? もう来ないって言ってましたよね。」
なんだか悪魔さんの元気が無い。
「そのつもりでしたが、マズイことが。」
「どうしたんです?」
「…バレました。」
「はい?」
「地球の生きものをわたしが絶滅から救ったことが、…あいつにバレました。」
「えっ、神様にバレちゃったんですか? でも、良いことをしたんだから別にいいじゃないですか。気づかなくってやらなかった神様が悪いんじゃないんですか。」
「…ありがとう。昨日説明しましたが、現在地球の支配権はあいつが持っています。また手を出したのかって怒ってるんですよ。」
「ああ、前歴があるからですね。で、どうなるんですか?」
「わかりません。まだあいつからなにも言ってこないので。…ひょっとしたらユウ君にお願いしなきゃいけないことがあるかもしれないので今日は来たんです。」
「お願い? どんなことです?」
「わかりません。お願いしないかもしれませんので。あいつ次第です。」
「ところで、悪魔さん?」
「ん? なんですか。」
「どうして僕達を、地球の生きものを絶滅から助けてくれたんですか。神様がいても、いなくても悪魔さんは災厄を無視して僕達を助けなくてもよかったんですよね。」
「…この間、恐竜が絶滅した時の話はしましたよね。」
「はい、聞きました。」
「あの時、本当に悲しかったんです。それまで大切に築き上げてきたものが、ほんの一瞬の油断で消えてしまう。…わたしも無限の力があるわけではありません。時間は戻せません。起きてしまったことは変えられないのです。ここまで知性を伸ばしてきた人類を絶滅させてしまうのは、あまりにも惜しいのです。それは地球上の他の生きものに対しても同じです。わたしたちは君達のような生きものと違って、制限されているものは時間以外にはありません。生きもののように、死ぬこともありません。生まれることはありますが。」
悪魔さんが生まれる? お父さんとかお母さんがいるってことですか?
「生きもののような、『生まれる』ということとは根本的に異なります。ある時に、そこに存在することになります、新しいわたし達の仲間が。」
いきなり存在するってことですか? 僕の部屋に悪魔さんが来たときの様に。
「そうです、そんな感じです。そしてわたし達は、生きものに対して非常に興味があります。わたし達とはあまりに異なっているからです。…特に知性のきらめきは、非常に興味深いことです。」
「ある程度以上の知性がある生きものは、どれほど見ていても飽きることはありません。君達人類を、地球の生きものを救ったのはそういう理由です。人類以外の他の生きものにも、人類ほどではありませんが知性があります。今回地上の生きものを救わなければ、君達が海と呼んでいるところから地上に新しい生きものが来ていたと思います。あそこには地上以上に多くの生きものと知性がありますから。この星は生きものの宝庫です。」
「そうなんですか。」
「ええ。ここまで多種多様な生きものがいるところは少ないです。」
「今さらですが、悪魔さんはどんな力で地球の環境を変えたりしているんですか? そんな簡単な話じゃないと思うんですけど。」
「ああ、そういえばそうですね、全然説明していませんでしたね。わたしたちは、直接物質界であるこの世界には干渉できないんですよ。ただ、間接的には干渉できます。この世界に対して力を使うことはできるんですよ。力っていうのはですね、どうやって説明すればわかるのかなぁ。…そうです、重力! 重力ならご存知ですよね。」
「それはまぁ。」
「わたしたちはですね、たとえば重力の大きさとか向きを変えられるんですよ。」
急に何を言い出すんですか。そんなの変えられませんよ。
「そんなことできないでしょ? うろ覚えですけど、重力って質量に依存しているんじゃないんですか。」
「ええ、正確には重力を直接どうにかしているわけではありません。その元になるモノというかエネルギーというか、説明しにくいんですけどそういうものがわたしたちの世界にあるんですよ。それに干渉すれば、その影響がこっちの物質界の重力に現れるんです。だから、間接的には干渉できるんですよ。」
なんだかよくわかんないぞ。ホントにこのひと悪魔なの? どこかの理系のおじさんじゃないの?
「違います。間違いなく悪魔です。」
「えーっとすみませんが、その力を使えるっていうところを、もう少しわかりやすく説明してもらえますか?」
「人間の言葉で説明するのは難しいので、実際にやって見せましょう。そう言えば、この姿が人間から見えるようにしているのも、その力のひとつなんですけどね。」
そう言うと悪魔さんは天井を指した。
「ここに光を出しているものがありますね。」
「ええ、蛍光灯ですけど。」
「ああ、そういう名称でした。今は部屋を全体に明るくしていますよね。下の方を見ていてくださいよ。」
僕が床を見るのを確認すると、悪魔さんが言った。
「3、2、1、0、それ!」
その瞬間、床の大部分が暗くなり蛍光灯の真下だけがとても明るくなっていた。虫眼鏡で光を集めたような状態だった。
「何をしたんですか? 大きな虫眼鏡でも作ったんですか?」
「似たようなものですけど、重力レンズです。」
「重力レンズ?」
「ええ、そうです。重力場で空間をゆがめてしまえば光は曲げられます。今は、この蛍光灯の真下に重力場を作ったんですよ。」
はい? そんなことできるわけがないでしょ。
「でも、光を曲げられるくらいの強い重力場が本当にここにあったら、僕たちは吸いこまれちゃうんじゃないんですか?」
「鋭い! そうです、通常人類が観測している重力レンズは、巨大な質量の存在、ブラックホールや銀河群などの大質量の確認です。ここにそんなものを直接出してしまうと、周囲に大きな影響が出てしまうので、遮蔽する力も周囲に同時に使っています。重力場の外周に遮蔽力場を作っています。」
やっぱり、理系のおじさんなんじゃないのか?
「遮蔽する力?」
「そうです、重力場の影響をその遮蔽する力で内側に押さえています。例えば、蛍光灯から出た光は重力場の中で曲げられますが、遮蔽力場の外側では通常通りに直進しています。」
説明はなんとなくわかったけど、本当にそんなのが存在しているの?
「それってどのあたりにあるの? このへ…」
急に身体に衝撃が走って、僕は床に倒れこんだ。
「遮蔽力場の中に手を入れれば、手が無くなりますよ。」
「え、どういうこと?」
「遮蔽力場は重力場の影響のみを遮蔽しています。だから、遮蔽力場の内側には入ることができます。さっきの蛍光灯からの光も遮蔽力場を通過し、重力場で曲げられて、遮蔽力場をまた通過して外に出てきて床を照らしているんですよ。だから、ユウ君の手も遮蔽力場の内側に入れます。ただし、内部は高重力場です。入った部分は一瞬でつぶされます。そうなったら、復元はできません。」
怖いことをさらっと言ってくれますね。
「じゃあ今の衝撃は、僕を助けてくれたんですね。ありがとう。」
「そんな、お礼を言われるほどのことでは。でも、気をつけてください。わたしたちが作るものは、あなたたちには危険極まりないものなので。」
「うん、わかりました。気をつけます。」
むやみに動かないようにってことだよな、立ち上がりながらそう思った
「ねぇ、悪魔さん。その姿はどうやって作っているんですか?」
「これですか? 浮遊物を集めて、光の反射や吸収を調整して作っています。」
「違う姿にもできるんですか?」
「もちろんです。…この姿にご不満でも?」
「もう慣れたんで特に無いですけど…。その姿でそんなに丁寧に話をされると、どうしてもギャップがすごいんですが。」
「ギャップ? ああ、違和感があるということですか。でも、話し方は基本的にあなたの真似ですよ。じゃあ、姿はこれではどうでしょうか?」
悪魔さんの姿というか、ホコリで作った姿は「僕」になった。ご丁寧に微笑んでいる。ふーん、悪くないな、僕の微笑も。って違うわ、何で僕が二人になってんの。
「違和感は無いでしょ。」
向こうの僕が、微笑みながら僕に話しかけている。キモイ、キモ過ぎる。僕はナルシストでもホモでもない。やめてください、ごめんなさい、スイマセン。鏡ならいいけど、勝手に動いている自分を見るのは変な感じだ。
「悪魔さん、違う姿になってください。今すぐ。」
と言ってから、すぐに気が付いて付け足した。
「かっ、かわいい女の子の姿を希望します!」
「いやです。」
え、ダメなの? 僕が読んでいる本だと可愛い女の子の姿になってくれて、いろいろ楽しいお話になっていくのがお約束なんですが。
「だから、いやなんです。わかりました、話をしやすくするためこれにしました、有無は言わせません。」
そう言うと悪魔さんの姿は、谷口先生に変わった。サッカー部の顧問の先生の姿に。
「な、なんで谷口先生なんすかっ。」
すっかり、部活口調に変わっていた。でも、普通そうなるでしょ、顧問の先生が目の前にいるんだから。
「君が尊敬していて、憧れている人物だからだ。」
「いや、でも別に谷口先生じゃなくってもいいじゃないですか。話しにくいじゃないですか。敬語で話さなきゃいけない気になるじゃないですか。」
「まあ、そんなに気にするな。中身は変わっていないんだから。」
気にするなって言われても無理ですよ。
「これからはこの姿にするよ。…また、何かあったら来る。じゃあな。」
そういうと谷口先生の姿は消えてしまった。…やっぱり緊張していたみたいだ。先生の姿が無くなったとたんにホッとしたから。これなら悪魔さんの姿の方が良かったよ。
「優ちゃーん、少し休憩したらー。ケーキと紅茶があるわよー。」
1階から母さんの声がした。休憩って言われても全く勉強していないんだけどな。
「優ちゃーん、冷めちゃうわよー。早く降りておいで。」
「はーい、今行くよ。」
とりあえずケーキを食べて、すぐに勉強しよう。
「優ちゃん、今のところはどうなの? テストの手応えは?」
あぶない、もう少しで紅茶を吹き出すところだった。急に聞かないでよ、母さん。
「うーん、まあまかな。今日はこれからがんばるよ。」
「そう。ちゃんと結果を出してね。」
「うん、わかってるよ。ごちそうさま。」
やばい。初日の3教科の結果が怖い。
部屋に戻って勉強し始めた時に、家の電話が鳴った。母さんが出たので気にしないで教科書を広げた時、ドアがノックされて母さんの声がした。
「優ちゃん、みさきちゃんから電話よ。」
みさきちゃんは、家も近くて幼稚園からの幼馴染で同級生だ。前は一緒によく遊んだりしていたし、母さん同士も仲がいいのでお互いの家にも遊びに行っていた。…前はね。
「ユウ?」
「うん。」
「明日の英語のテスト範囲って、64ページから87ページまでだっけ?」
「ちょっと、待ってて。確認するから。」
慌てて確認すると、みさきちゃんの言った通りだった。
「うん、みさきちゃんの言った通りだったよ。」
「そう、ありがと。…ところでさ。」
「なに?」
「…ううん、何でもないの。またね。」
それで電話は切れてしまった。もっと話したかったのに。
何か言いかけたみたいだったけど何だったんだろう。学校じゃあんまり話もしなくなったもんなぁ。
みんなは知らないけど、人類は、地球上の生きものは、絶滅してしまう運命から逃れられたんだ。誰も悪魔さんのおかげだなんて知らないけど…。こうやって誰にも知られずに、支えている存在がきっと他にもあるんだろうな。僕も今から頑張ろう、せっかく悪魔さんにもらったチャンスなんだから。




