第1日目(月曜日) はじめに言葉ありき
「えーっと、これ聞こえてます?」
あれ? …何か声がしたような。
「えー、もしもし。あー、これって聞こえてますかー?」
誰の声? 何これ? 一体どうなってんの? この声、どこから聞こえてきてるの?
僕はすぐに周りを見渡したけど、誰もいるわけがなかった。だってここは僕の部屋の中なんだから、僕の知らない人がいるはずはない。だいたい、さっきまでは別に何も変なことは無かった。今日はいつもより早起きをして、明日から始まる期末テストに向けて教科書を広げたところだった。
「あれ、聞こえてないのかな? これでいいはずなんだけど。聞こえますかー。聞こえていたら返事をしてくださーい。」
相変わらずのんびりした感じで、誰もいないのに声だけ聞こえてくる。耳がおかしくなったのかな? テストのプレッシャーで? …それは無いか。
「いったい誰ですか、さっきから話しているのは? …まさか、ドロボーさんですか? 僕、お金なんて持っていませんよ。」
「違います! …でも、どうやって説明しましょう。」
「だから、あなたは誰なんです?」
「…仕方ないですね。理解しやすい答えでは、わたしは悪魔って呼ばれているものです。ここでは嫌われている存在なんです、わたし。」
この部屋には、間違いなく僕しかいない。母さんは1階の台所で朝ご飯を作っている音がするし、父さんは出張中で今週は家にいない。さっきから話しかけているこいつは誰なんだ? 悪魔とか言ってるけど、…悪魔って。悪魔なら人間に丁寧に話しかけたりしないでしょ? そもそもどこにいるんだ。どこにも何にも見えないぞ。
「えーと、聞こえているんですよね、わたしの声? わたしは、さっきも言いましたが悪魔ってあなた方に呼ばれている存在です。できれば、わたしに変な先入観をもって欲しくなかったんですが、お前は誰だって聞かれると、…やっぱり悪魔になりますかね。」
さっきから自分のことを悪魔ってあなた言ってますけど、僕は悪魔に来てくださいってお願いした覚えはないですよ。悪魔っていうのは何か変な記号を書いた床とか、生け贄とか呪文とかいろいろやって呼ぶもんなんじゃないんですか? 僕は勉強していただけなんですよ。だいたい今は朝ですよ、床もきれいなもんですよ? 誰か別の人の所と間違えているんじゃないんですか。そもそも悪魔って言ってますけど、違いますよね? 本当は何かなんて、知りたくもありませんが。
「えーっと、すいません。僕に話しかけているあなたは誰なんですか? 悪魔なんてふざけたこと言ってないで、ちゃんと答えてください。」
「別にふざけてなんかいませんよ。…何度も言いましたけど、悪魔ってあなた達が呼んでいる存在です。」
「そもそもどこにいるんですか? 声は聞こえますけど姿が見えないんですよ。」
周りを見渡しても、いつもと同じ僕の部屋のままだ。それに声は聞こえているけど、どこから聞こえてきているのかよくわからない。
「あぁ、ゴメンゴメン。すぐ近くにいるんだけど、君達には見えないんだった。ちょっと待ってね、姿、姿っと。えーっと、どうやるんだったっけ? あ、思い出した、この辺にあるものを使うんだった。」
その瞬間、目の前に僕よりはるかに大きな怪物じみた姿が現れた。2mくらいありそうだ。さっきまでそこには何も無かったのに。僕は驚きすぎて声も出なかった。
「これで見えてます? ちゃんと見えてるのかな。」
どうやら、自分ではよくわからないらしい。
「見っ、見えてますよ。昔から悪魔ってこんな感じって伝えられている姿にそっくりです。背中に翼があって頭に角があって、先っぽに棘みたいなものがついているしっぽまでありますから。顔も相当怖いです。」
「見えてるんだ、良かった。…でもこれは、違う惑星の生きものの姿の真似なんだけどね。彼らも豊かな知性をもった生きものなんだよ。」
悪魔の姿で丁寧な口調だから調子狂うなぁ。それに違う惑星の生きものの真似って、宇宙人はいるってことですか? かなり怖い感じの姿だと思いますけど。
「真似しているってことは、本当の姿とは違うんですか?」
「本当の姿って言われても困るんですよ。わたしたちには姿というか、そもそも形ってものは無いんです。…えーっと、どう説明したらいいのかな? わたしたちは、純粋な意識体なのでこの世界、君たちがいる物質界とは関係ないんですよ。」
意識体? 物質界っていうのはこの世界のことだと思うんだけど。そういう理解でいいのかな。
「すみません、説明がさっぱりわかりません。さっきから悪魔って言ってますけど、僕の魂を狙っているんですか? 僕の魂と引き換えに、願いはいくつかなえてくれるんですか? できれば言い伝えよりも多い、4つ以上の願いでお願いします。」
「君の魂を狙っている? 君の魂にそんなたいした価値なんか無…、あー、ゴホン。いやー恐れ多くてそんな、魂なんてもらえる訳がないじゃないですか。」
悪魔って言っている割にはバレバレで誤魔化したり、何なんだいったい?
「悪魔って、嘘でしょ? つまんない嘘はもういいから、本当は何なの?」
…あれ? 何か急に空気が冷たく感じられてきたんですけど。冷たいっていうよりも、…何か怖いって感じがしてきたんですが。
「何? わたしが言っていることを疑ってるの? 君のことなんか消しちゃ、…あ、ゴメンゴメン、嘘。今の嘘だから気にしないで。ホントゴメンね、消したりしないから、大丈夫だから安心して。」
…消されちゃうんですか、僕? いろいろ言ってますけど、消すことはできるけど、それを言っちゃったことを謝ってくれているだけですよね?
「悪魔…さん、なんですね。」
「そうです。確認しておきたいんですけど、あなた、わたなべ まさる さんっていう呼び方でいいんですよね。」
はい。もちろんそうですけど、よく知ってますね。
「実際にはユウって呼ばれていると。」
これまたよく知っていますね。名前のまさるが「優」っていう漢字なので、ユウって呼ばれてます。
「じゃあ、これからはユウ君ってお呼びすればよろしいですか?」
どうぞ、好きなように呼んでください。
「ではユウ君。この星系の主星、君達が太陽と呼んでいる星に起きる異変に、人間達は気付いているのかな?」
「…はい?」
「いや、もう分かった。では、ガンマ線バーストを防ぐ手段は持っているのかな?」
「ガンマ線バースト?」
「…状況は分かったよ。当たり前のこと過ぎると逆に情報は出てこないから、念のため確認したかったんだ。もう少し違う層でも確認してみるよ、ありがとう。」
そういうと悪魔さんの姿は消えてしまった。周りはいつもの僕の部屋のままだった。夢だったのか? でも、僕は寝ていないし、時計を見ると7時になっていた。起きたのは、6時半だったのに。
「ユウちゃん、ご飯の用意できたわよー。」
下から母さんの声が聞こえてきた。せっかく勉強しようと思って早起きしたのに、全然できなかった。一体何だったんだ? 悪魔って言ってたけど、本当なのかな。悪魔なんて呼んでないし、来てもらっても迷惑なんだけどなぁ。そもそもどうして僕のところに?
「ユウちゃん、何してるのー。早く降りてきなさーい。」
「うん、すぐ行くよ。」
まあいいや、今はいなくなったし、きっともう来ないだろう。早く食べて用意しないと遅刻しちゃう。
教室に入ると窓際の方で女の子達がたくさんかたまっていた。
「おはよ、ユウ。」
ヒロシだ。
「おはよ。何あれ?」
僕は窓際の女の子達を指差してヒロシに聞いた。
「ああ、あれ。…マコトが誕生日なんだってさ。」
マコトは成績も上位で、バスケ部でも活躍していて、おまけにイケメンだ。クラス委員もしていて、女の子達に人気がある。…そんなに全部持ってなくてもいいのに。代わりと言ってはなんだけど、男子の人気はない。まぁみんな、やっかみ半分もあると思うけど。
「すごいな。女の子から誕生日プレゼントもらうなんて、考えられないよ。」
「ユウ、お前はやっぱり親友だ!」
「ヒロシ…。まぁいいけどさ、言っててむなしくないか?」
「仲間がいるっていうのはどんなことでもいいことさ。」
席に着いた時、急に気がついた。みさきちゃんは? まさか、みさきちゃんもマコトのところにいるんじゃ。慌ててマコトの方を見ようとした時、廊下の方から声が聞こえた。
「おはよう、ヒロシ君。」
みさきちゃんだ。いつ見てもかわいいなぁ。みさきちゃんもマコトの方を見て、ヒロシに何か聞いていた。みさきちゃんはどうするんだろ。マコトにプレゼント渡すのかな?
みさきちゃんはヒロシと話し終えると、そのまま自分の席についたのでホッとした。不意にこっちを見たので、僕は慌てて眼をそらしてしまった。
明日からテストなので、みんな真面目に授業を受けている。だけど相変わらず、浅井と佐藤は授業とは違うことをしていた。でもあの二人は不真面目なんじゃなくって、とっくに授業範囲はわかっていてもっと難しい問題や参考資料を読んだりしている。授業の邪魔はしないし、たまに先生が指名すればみんなにも分かりやすく回答している。だから、先生達も二人には干渉しないで授業を進めている。あんなに頭が良ければ、きっと勉強が楽しいんだろうな。どんなことに興味があるのか知りたいけど、今まであんまり話しかけられなかった。
ホームルームも終わり、部活も無いのですぐに帰って勉強しよう。ただでさえ、今朝は悪魔とかで予定が狂ってしまったんだから、少しでも取り戻さないとまずい。
家に帰って自分の部屋のドアを開けたら、部屋の中に悪魔さんの姿があった。
「おかえり、ユウ君。」
「…ただいま、悪魔さん。また来たんですね。」
「ええ、お邪魔しています。いろいろ検証したいことがあるんですよ。接触人数はもちろん少ない方が良いので、明日以降も多分来ます。」
「…すみません、僕って知らないうちに悪魔さんをお呼びしたんですか?」
「いえ。特にユウ君に呼ばれた訳ではありません。」
「じゃあ何でここに来るんですか? 僕は来て欲しいって呼んでもいないのに、おかしいじゃないですか。ここに来た理由は何ですか?」
「ただの偶然です。」
「え、偶然? いやいや、もう少し何か理由はないんですか?」
「そう言われても、とにかく理由は全くありません。本当に偶然なんです。…そうですね、たとえば急に雨が降ってきてあなたが傘を開いたときに、最初に傘にあたった雨粒が何らかの理由で選ばれたと思います?」
…はい、よくわかりました。本当に偶然の結果だけってことですね。でも、もう少し言い方ってものがあってもいいと思うんですけど。僕の存在は雨粒ですか、そうですか。
「あ、いえ、すいません。傷つきました? わたし、はっきり言い過ぎるって言われるんですよ、結構。」
すみません、それは何のフォローにもなっていません。…あれ? 今、僕は悪魔さんにしゃべってないですよね?
「もういいです。で、僕のところに来た目的は何なんですか?」
「目的ですか。…対象者に言いにくいんですが、もうすぐこの星系規模の災厄が起きて地球の生きものは絶滅することになります。」
「…はい?」
「もうすぐ地球の生きものが絶滅する災厄が起きます。その災厄に対応できるのか、そもそも災厄が起きることを知っているのかをわたしは調査しているんです。ユウ君はそのサンプリングの1つです。」
「僕達死んじゃうんですか?」
「正確に言うと人間だけではなく、ほぼ全ての地球上の生命体が絶滅します。
「どうして絶滅するんですか?」
「この星系の主星、人間が太陽って呼んでいる恒星がもう少しするとスーパーフレアを複数回起こします。太陽内部で偏移して蓄積されたエネルギーがまとまって出てくるわけです。その時に強力なガンマ線バーストが発生して、地球にも深刻な影響を与えます。残念ながら太陽内部ですでにエネルギー偏移が始まりました。安定的な状態から、不安定なエネルギー偏移状態に移行しています。偏移が臨界を越えればスーパーフレアとなるのです。」
「ガンマ線が地球に何をしでかすんですか?」
「ガンマ線は地球のオゾン層を破壊し、宇宙からの電磁波が地上に直接届きます。生きものにとっては遺伝子レベルでの深刻な障害が発生します。そしてオゾン層が元の状態に戻るまで、少なくとも10年はかかります。その結果が絶滅です。」
確かにこの前の授業で習いました。オゾン層の大切さと役割について。
「地球上の、特に地上の生物はほぼ絶滅します。いずれは今回の災厄を生き延びた他の生物が台頭してくるとは思いますが。きっとまた、海と呼ばれるところから来るのでしょう。」
「また? 悪魔さんは地球のことを昔から知っているんですか?」
「…あのですね、ずっとずっと昔のことなんですが。わたし、この星の生きものを育てていたことがあるんですよ。」
育てていた? 悪魔さんが? いったい何を育てていたんだろう?
「ずっとずっと昔はですね。大型爬虫類っていうんですか? 恐竜って呼ばれている種類の生きものがいたことは知っていますよね?」
「もちろん、知っていますよ。化石とかありますから。」
恐竜がどうしたっていうんだろ。
「恐竜をあそこまで大きく、いろいろな種類にまで育てたのは、…実はわたしです。自分で言うのはお恥ずかしい限りですが。」
「はい? …育てたって、いったいどうやって?」
「恐竜がずっと種類も少なくて、身体も小さなときから見てきたんですよ。で、これは面白そうな生きものだと思いましたので、地球の環境を恐竜に合うように変えました。」
「地球の環境を変えた?」
「そうです。環境を恐竜に合わて変えたので、他の生き物よりも恐竜の方が生存や繁殖が有利になりました。その結果、種類や大きさも違ういろいろな恐竜が現れたのです。…あの時は楽しかったなぁ。」
なんかうっとりした感じですけど、ほんとに見てきたみたいだなぁ。
「見てきましたよ、ずっと。だって大切に育ててきたんですから。人間も生きものを飼ったりしているじゃないですか。人間がしている事で似ている例っていうと、水槽にいろいろな種類の生きものを飼っている施設ですかねぇ。水族館でしたっけ。」
あれ? 今も僕は悪魔さんに話していませんよ。心の中で思っただけですよ。なんで普通に受け答えしているんですか。
「ああ、すみません。私は振動による伝達はわかりません。ユウ君の声を聞いているわけではありません。ユウ君の思考を処理し、必要に応じて声という振動で返しています。まあ、ユウ君は気にしないでください。」
話したのか、思っただけなのかは悪魔さんにとっては関係無いってことなんですね。思っただけでも全部筒抜けっていうことですか…。めちゃめちゃ気になりますが、気にしても仕方ないってことなんですね。もういいです。続けて下さい。
「わたしは恐竜が大きく育つように、地球の重力を少し軽くなるようにしたんですよ。そうしないと大きくなった身体を支えきれませんからね。ですから、今の地球の重力では存在できないような大きさの恐竜もいたんですよ。ただ、身体は大きくなったのですが、知性の方はあまり発達しませんでしたね。そこは残念でした。」
…理科の実験みたいに簡単に言ってますけど、すごいことですよ。
「でも、大切に育ててきたって言いましたけど、結局恐竜って絶滅しましたよね? 一部は生き残って鳥になったって言われていますけど。」
そう言った瞬間、周りが急激に冷たく感じられてきた。
「す、すみません。僕って、何か悪いこと言いました? 何かわかりませんけど、とりあえずごめんなさい。僕のことを消さないでください!」
少し間があって、悪魔さんが話し出した。
「…いや、君は悪くない。思い出したら悲しくなっちゃったんだ。わたしは本当に大切に育ててきたんだよ。それなのに、ほんの少し目を離した隙に小惑星がぶつかってしまって…。地球の環境はほとんど壊れちゃったんだよ。あの時は悲しかったなぁ。」
なんか遠い目をしていますよ。
「小惑星の軌道を変えれば良かったんじゃないですか。」
「気が付いていたらもちろんそうしていたよ。でもあの小惑星は本来地球にぶつかる軌道じゃなかったから、全く気にしてなかったんだよ。そもそもこの星系にさえ来るはずのない小惑星だったんだから。」
「じゃあ、何で地球にぶつかったんですか?」
「ここから少し先の星系でわたしと同じように生きものを育てている奴がいてね。その星にぶつかりそうだったから、軌道を変えられたんだよ。」
「じゃあ、そのせいで地球に?」
「そうなんだよ、あいつのせいなんだ。悪気は無かったとはもちろん思うんだけどね。ちゃんと謝ってくれたし。」
「あいつって、あなたのお仲間ですか?」
「そうだよ、君たちは神様って呼んでいるけど、わたしの同類。」
はい? 神様? ここで神様登場するの?
「ただいまー。優ちゃんがんばってるー? すぐに晩ご飯の用意するわねー。今日は優ちゃんの好きなハンバーグよー。」
玄関から母さんのご機嫌な声が聞こえてきた。でも僕はいったいどうすればいい? 母さんに悪魔さんを紹介するの? お巡りさん呼ばれちゃうんじゃないかな。
「続きはまた明日にします。どうもすいません、長居しちゃって。」
悪魔さんが察して、声を掛けてくれた。本当に悪魔? 気を使う悪魔って。
「でもどこに行くんですか? やっぱり、地獄とかなんですか?」
「地獄? わたしたちのところにそんなところは無いですよ。どこかに行くってわけじゃなくて、この世界との接続を外すだけですよ。こちらの時間で、明日の午後にまた来ます。」
そう言い残すと、さっきまで悪魔さんの姿があったところは何も無くなっていた。…でも、絶滅するって話は結局どうなったの? 神様は本当にいるらしいから、お願いすれば何とかなるの? 色んなことが全部中途半端で気になる! 僕は一体どうすればいいの? あー、もやもやしてイヤだー。明日は数学と社会と音楽のテストだけど、手につかないよ。まずいよ。




