第三話
三 連ねた約束
夜。
時刻は午後十時を回ったところ。辺りは静まり返り、周囲の木々がまた来る日の出を今か今かと待ち望んでいるように見えた。
二人は、未だに墓地に居る。
「そろそろ中に入ろうか」
「……うん」
いつまでも墓地に居るわけにもいかず、とりあえず自分の部屋へと名残押しそうに墓地を見つめる牡丹を案内した。
誰かに見つかったら大変だと震えながらの帰宅だったが、みんな寺に行っているのか誰とも会わなかった。
部屋に入り、ベッドに牡丹を座らせて葵は椅子に座った。
そして、牡丹から今までの経緯を聞く。最初から最後まできっちりとだ。
「はぁ?」
話終わったのも束の間。開口一番に素頓狂な声を出す葵。
牡丹は必死に話しているようだ。けど、信じられた話じゃない。
話をまとめると次のようになる。
「牡丹は将来悪いことをしてしまう魂だからここに来たんだよと地獄で言われて、おかしいだろ、やってもないのに連れてくるなと閻魔様を説得し、でも死んじゃっているからしょうがなく鬼として生まれ変わってここに戻ってきた。……ごめん、とてもじゃないが信じられない」
机に両肘を置き、頭を抱えた。後ろで、「信じてよ!」、と牡丹が椅子を揺らすが、そんなファンタジーを信じられるわけがない。
それに。牡丹の話が真実であるのなら、犯人を探す必要も無くなる。
何故なら、牡丹は自分の意思でここに居るのだから。
「じゃあ、顔は? 青白い顔が迫ってきていただろ?」
「あれは、土地神様じゃないかな? 向こう(地獄)で説明を受けてきたけど、鬼は土地に害をもたらす存在だから、土地神様に嫌われているみたい。だから私を追い出そうとしたんだと思うよ」
地獄で現実世界の説明とは、想像したくもない光景が広がっているのだろう(血の海をバックに教えを受ける牡丹と、教える上級の鬼の姿を思い描いてしまった)。
地獄にも興味はあるが、土地神様との出会いが衝撃的であった葵。質問は地獄から土地神様へと移っていた。
凄く失礼なのだけど、あの土地神様に守られていても守られている感じがしないのはどうしたものか。
「私もびっくりしたよ! 後ろ向いたら迫ってきているの、滅茶苦茶怖かったよ……!」
何も言わずに追いかけてきた青白い土地神様の姿を思い出して震える牡丹。
自分も思い出そうとしたが、その前に首を傾げる葵だった。
「俺が土地神様の姿を見れたのはどうしてだ?」
「え? 日向寺の次期当主だからじゃないの?」
数百年生きているけど、あのような霊的存在を一切見かけない。
葵の言葉に、不思議そうにしている牡丹はこめかみを押さえて何かを思い出そうとしていた。
思い出すまでの間、牡丹が秘密を正直に打ち明けてくれたから決心がついたのか、葵は今まで話していなかった日向寺の秘密について話し始める。
「牡丹。お前は聞いていないはずだ。日向寺は昔から、今のお前のような存在と相反する形で争いをしていた」
日向寺は、ただ先祖が繋いできた教えを伝えるためにあるわけではない。
山に封印されている悪霊の様子を見るためにもある。
これは、跡取りには一切関係の無い話で、どちらかと言えば弟子たち。力を付けた者たちが各地を回り、悪霊を封印して、監視のためにその土地で新たな寺を建てるのだ。
だから、封印を解こうと迫る霊を封じるための結界や、札などといったオカルト的なものを取り扱っているのは仕方がない。
とは言え、悪霊を裁く力は葵には備わっていない。使いたければ、ちゃんとした修行を受けて、心を清らかにしていなければいけない。となると、札も自動化されたものでなければ扱えない、何も力が無い葵にどうして霊の姿が捉えられたのか。
「あ! ……土地神様が見えたのは――」
何か重要なことを思い出したかのように立ち上がり、急にもじもじし始めた牡丹。
嫌な予感がしている。何か、とても良くなくて、大変な話をしようとしている気がする。
深呼吸をして、ゆっくりと口を開いた牡丹。
「――私が大人になったら、葵のお嫁さんになるから、だね」
恥ずかしそうに顔を両の手で隠す牡丹。
唖然として、呼吸をするのを忘れかけた葵。
何を言い出すのかと思ったら、牡丹の言葉は予想の斜め上を行き過ぎて笑えない範囲に到達してしまっていた。
「つまりね。私がこの世界で本来失ったはずの肉体を持てたように。葵も私から力を貰って、土地神様の姿を見たんだよ」
垂れた足を楽しそうに揺らし、牡丹は自分の考えを話した。
なるほど。
頷いた葵は、これが一種の『やり取り』なのだと結論付けた。
いや、公平なやり取りではなく、一方的に力を与えられて、力を奪われたわけなのだから略奪と言った方が正しいのかもしれない。
「で、でね? 約束を果たせないと、私も葵もこの世界とさよならしなくちゃいけないの」
世界とさよなら。
最初は意味が分からなかったが、単純になればなるほど答えは簡単である。
止められないはずだった魂の輪廻の因果が、ようやく断ち切れるのだ。
「でも大丈夫だよ。私たちは結ばれる運命にあるから!」
牡丹の嬉しそうな声が耳に入って抜ける。
もしかしたら、自分の代で終わらせられるのではないか。
必ず子孫を残し、日向の思想を後の世に伝え、魔なる者たちを封印し続けるために弟子を増やすという螺旋を。
このシステムを崩せれば、本当の意味で終われる。
そこで、自分の思考にストップが入る。
駄目なのだ。
それでは、牡丹が静かに眠れない。
それでは、牡丹との約束を果たせない。
葵は確認の意味を込めて、牡丹に尋ねた。
「なぁ、牡丹は生きていたいか?」
突然何を言い出すの、と牡丹は驚いた表情で聞いてきた。
首を横に振る葵は、質問を質問で返すなと吐き捨てる。
まだ大人にも成りきれていない少女に何を聞いているのかと自分でも疑問であるが、返ってきた答えによって、葵が進むべき道が大きく変わってくるのだ。
「私はね……。葵と生きたいんだよ。私が、じゃなくて、葵と、なの」
言葉遊びのようで、くすくすと笑う牡丹の表情からは、とても小学四年生とは思えないものが見える。
そうだった。いつもそうだ。
言葉で牡丹に勝てた試しが無かった。バカ正直で、色んな言葉を巧みに使って。
そんなところも気に入っていて、好きだったって、思い出せた。
なら、静かに眠らせておくことはできないな。
だって、本人が生きていたいと言っているのだ。日向寺の意向とは明らかに違うが、知らないし聞く義理も無くなった。
自分の初恋が、妙な形で始まろうとしていたのだから。
「じゃあ、次な。これが一番重要なんだが、牡丹が死ぬ間際にした約束は覚え――」
言葉が途切れる。
恥ずかしくて無理に途切れさせた訳ではない。
停電。
部屋の明かりが突然消え、扉が開く音が聞こえた。
「助けて!」
牡丹の小さな声。手で口を塞がれたのかは分からないが、緊急事態なのは確かだ。
すぐ側にあったペンライトでベッドの方を照らす。
だが、そこには牡丹の姿は無かった。
「どこだ、牡丹!?」
焦る自分を落ち着けるため、一旦部屋を出て状況確認をする。
さらわれたのは間違い無い。ただ、問題はどこへ、だ。
家の中は狭いが、流石に家のどこかに連れて行った可能性は無いはずだ。
だとすれば、場所は一つしかない。何より、家の者だと仮定したとすれば尚さらだ。
「寺に行くぞ」
寺側に気付かれたのか。もしかしたら、公英が話したのかもしれないが、真相はどっちでも良い。
牡丹の身の安全を確保するのが最優先なのだ。
寺の中には誰も居なかった。
予想通りで良かったと思うべきなのか、これから向かうべき場所が脳内に映る。
寺の裏側に、大きな滝がある。
修行するためだと言って、毎朝滝を浴びている弟子たちを葵は見ていた覚えがある。一度も体験したことはないが。
裏門を出て、滝へと急ぐ。
まだ遠いが、森を抜けなくとも水が下へと落ちていく大きな音が聞こえてくる。
(あれは……?)
抜けた先に、滝壺を囲むようにして立つ弟子たちの姿があった。
滝に飲み込まれる一歩手前に、牡丹が立っている。
抵抗もせず、ただ水の流れをぼんやりと眺めていた。
「牡丹!」
大声で呼びかける。
すると、反応したのは牡丹の方ではなく、弟子たちの方だった。
「おい。離せよ!」
数人で葵の両手足を掴み、滝の方へと連れて行かれる。
わけがわからない。こいつらは何をしようとしているのだろうか。
「鬼。お前は後継様をたぶらかし、悪い行いをしようとしていたな?」
わざとそうしているのかは分からないが、葵にも聞こえるような大声で、一人が牡丹に問いかけた。
なんだ、この質問は。
首をゆっくりと横に振る牡丹。体は寒いのだろう、震えている。葵も抵抗の手を強めるが、一人ならまだしも複数人で抑えられていては抵抗のしようが無い。
「鬼。お前は、藤堂牡丹が死ぬまでずっと心の中に居座り、死んだと同時に外に出てきた。違うか?」
牡丹は再び首を横に振る。
頷いたら最後、まるで牡丹がこの世界に来たことが悪いと裏付けできるような質問を投げかける別の者。他の者も同様にして続ける。
なんだ、この時間は。
これではまともに会話すらできない。怖そうな男女に周囲を取り囲まれて、一人一人から自分の存在を問いかけられて。
仮にも鬼ではあるが、心は少女なのだ。許される行為ではないのは分かっているはずだ。
だけど、何もできないのだ。
抗えず、ただ黙って目の前に広がる光景を見ていることしかできないのだ。
何時間も無意味なそれは続いた。
そして、やっと終わりが見えてきた。
「次で最後だ」
耐え忍んでいた葵が、顔を上げる。
牡丹の顔にも少しだが、光が差し込んだようだ。表情が明るくなった気がする。
「鬼。お前は――」
男が質問をしようとした時だった。
静寂が、空間を制したのだ。
「――待った」
葵が質問を止めると、長い間が流れた。
最初からそうすれば良かったのにと、葵の上に乗っかっていた弟子たちが葵を立ち上がらせる。
そうだ。
今、行われているのは、見つけた霊が悪か善かを見定めるために執り行われる裁判のようなものだ。
そして、葵は知っている。
最後にどんな質問をするのか。
「お前は――鬼か?」
この世界に居るのは悪霊だけではない。土地神様のように、良い霊も居る。おっと、霊などと言ったら罰当たりだ。ここで謝罪しておく。
「それとも……」
牡丹の目が、葵を見て離さない。次に言おうとした言葉は自分に言わせて欲しいと目で物語っている。
と、思っていて欲しいという葵自身の願いであって、牡丹が何を考えているのか分からない。
それは、本人でなければ分からない。
ただ、一つだけ分かるのは、
「私は、藤堂牡丹。葵と一緒に、この世界で生きたいと願う人間だよ!」
って、ことだと思う――。




