第六章 鼠案件 2.鼠肉燻製顛末(その1)
「~♪ ~~♪♪ ~♪」
その日偶々、上機嫌で歩いているクリスを見かけたスリーダス従士長は、不意の悪寒に囚われた。「破天荒」の三文字を体現したようなあの娘が上機嫌という事は、何か破天荒な事をしでかした可能性がある……いや、きっとしでかしたに違いない。
本音を言えば、何も見なかった聞かなかった事にして踵を返し、このまま口を拭って知らんぷりを決め込みたいところなのだが……生憎とそれを為すにはスリーダスは、義務と責任というものを弁え過ぎていた。
「……よぉ嬢ちゃん、嫌になるほど上機嫌じゃねぇか。一体何が……その手に提げてるブツは何だ?」
肚を括って声をかけたスリーダス従士長であったが、上機嫌のクリスが片手に提げているものを見るに至って、あぁやはり自分の勘は当たっていたのだ――という満足と後悔を覚える事になった。何しろクリスが提げているそれは、どこから見ても丸々太った鼠の屍体……それも一匹や二匹ではなく、五~六匹を纏めて括ったものであったので。
「鼠だよ? 従士長さんは見た事無いの?」
「鼠ぐらい知っとるわ。俺が知りてぇのは……どんな経緯でその鼠公どもを手に入れたのかってのと……その鼠公どもをどうするつもりなのかって事だ」
「あ、これ? 実はさ……」
クリスが開陳した粘着トラップの知識はスリーダスをして感嘆させるに充分なものであったが……質問の後半部分に対する回答で、その感嘆と感心は吹っ飛ぶ事になる。
「……燻製……ってなぁ何だ?」
フェノールやホルムアルデヒドを含む煙――と言うと何か物々しいが、要するに木材などを不完全燃焼させた時に出る煙――で燻し、それらの殺菌・防腐成分を食材に浸透させて保存性を高めた燻製は、こちらの世界では未知の――少なくとも、この国では普及していない――技術であったらしい。
レック村でクリスが提案した際にも疑い混じりの目で見られたが、味わいが甚く改善するという理由を以て広く受け容れられる事になった。尤も、風味の改善が仇となり、長期を待たずして食べ尽くされてしまうため、未だ日保ちの点を検証するに至っていないのは皮肉であるが。
総教会の料理長からも、日保ちに関しては疑いの目で見られたが、風味に変化が見られるのなら調理の一つとして試してみる気にはなったようだ。とは言え、そういったあやふやな試作に割ける時間も無い事とて、クリスがその試作を仰せつかった。
丁度そのタイミングで纏まった数の鼠が手に入ったので、これを試作に使ってはどうかと提案したのがクリスであった。鼠の肉という事で引いていた料理人もいたが、海のものとも山のものともつかぬ試作にまともな肉を使うのも気が引けるし、事が料理に関する限り果敢になれるのが料理人だ。鼠・燻製何するものぞ。
……と、大見得は切ったものの、鼠の解体など料理長にも経験が無い。ここは経験者に任せるのがよかろうと、満場一致でクリスが推薦されたわけなのであった。
「保存食の試作ねぇ……」
「そ。従士長さんだって興味はあるでしょ? 職業的に」
「……まぁ、無いとは言わんがな……」
だとしても、その材料に鼠の肉を選ぶのは如何なものか。経費削減のお題目は解るとしても、もっと他の肉を使う手もあっただろうに。
「あんまり大きな肉を使うと、薪も燻煙材もそれ相応に使うからね。只飯喰らいの居候としちゃ、肩身が狭いってわけさ」
「なるほど……」
クリスの縷々述べるところに拠ると、個人レベルで楽しむのならいざ知らず、燻製を大量に作るとなると木材資源に影響しかねないという。まぁ、味や香りに拘らないのであれば、枯れ葉に生葉を混ぜて蒸し焼きにする手もあるそうだが。
「まずは試作の段階だし、折角戴くんなら美味しく食べたいのが人情じゃない?」
「……俺としちゃあ、そこまで鼠の肉に執着する理由を訊きてぇんだがな」




