第六章 鼠案件 1.鼠捕り奇譚
過日クリスから教導局に対して出された希望というのは、一言で云えば自然科学系の講義を受けたいというものであった。
シスター・ダニエラから提案されたカリキュラムは、なるほど確かにクリスに欠けている部分を補うのに必要な条件を満たしているかもしれないが、クリスの見るところでは充分条件は満たしていない。理科の分野が不足しているように感じられたのである。
そこはクリスもこの世界に転生して十年を過ごしてきたのだし、神仏(仮)の厚意で能く解らない知識まで授かっている身であるから、この世界では物理学や化学が未発達な事ぐらいは理解している。まぁ化学に関しては錬金術とかがそれに該当するのかもしれないが、苟も教会で教えるのは問題があるのかもしれないぐらいの察しは付く。前世における天動説と地動説の対立に鑑みれば、天文学も同じくらいの……いや、ひょっとすればそれ以上の地雷であろうとも。
ただ、それ以外の理系科目――具体的に言えば生物学や地学――に関する講義は、受けたところで何ら問題は無いのではないか。前世で遺伝学の創始者と目されるメンデルなどは修道院の司祭で、後には修道院長になったというではないか。
孰れ聖女として各地を巡るのであれば、その地の生物や地質なども知っておくのが望ましい筈で、そのための基礎教育を受けたい……というクリスの希望は極めて筋の通ったものであったが……教導局は教導局で、おいそれと頷けない事情を抱えていた。
「博物学の教官というと……どうしてもあいつらになるが……」
「幼気……と言うのは少し躊躇われますが、年端もいかない子供を彼らと接触させるのはどうかと思いますね。教育上も悪いです……多分」
教導局の学術研究部門は、教義研究以外の学術的な研究全般をその任としている。当然、自然科学系の研究者陣も充実しているのだが……彼らは揃いも揃っていわゆる研究馬鹿であった。十歳の少女に学問の基礎を教えるのに向いているかと問われれば、十人のうち十二人――無関係な通りすがりの者を含む――までが力強く「否!」と声高に答えるであろう――そういう者たちであったのだ。
ただでさえ油断のならない異端児に問題児たちを引き合わせるなど……悪夢の化学反応を誘発――もしくは暴発――させる未来しか幻視できない。
「……子供向けの研究はしていないとか何とか言い繕うとして……」
「代わりを務める人材はどうします?」
「うーむ……」
思案に困った教導部中枢が次善の策として選んだのは、医師や料理人、馬丁や園丁などから――仕事の邪魔にならない範囲で――話を聴く事を認めるというものであった。彼らだって一応、生物の専門家には違いない。
この提案をクリスが呑んだ事で、理科教育問題は解決……とは言いにくいが、とりあえず棚上げにする事ができた。
ただ――その結果として、クリスが施療室や厨房、中庭や馬房を訪れるのを拒めない事にもなったのである。
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そんな経緯から厨房を訪れていたクリスであったが、今日はそこで少し面白い話を聞く事ができた。
「へぇ……鼠公どもがそんなに?」
「おぉ。どんだけ追っ払っても殺しても、直ぐに増えて元通りよ。まぁ、俺たちも注意しちゃいるんだが、イタチごっこってやつでな」
「鼠なのに鼬ごっことはこれ如何に」
「混ぜっ返すな……嬢ちゃんは辺境の出身なんだろ? 何か巧い手は知らねぇか?」
「う~ん……巧い手かどうかは知らないけど、あたしの村でやってたのは……」
前世の経験からクリスが提案してレック村で好成績を収めているのは、細長いリボン状の粘着トラップを部屋の端に設置する方法であった。前世で言う「蠅取り紙」に類するものだが、こちらの世界では――少なくともこの国では――知られていない。
ゆえに市販もされていないそれを、どうやって入手したのかと言えば……実は、ある種の樹皮を細長く剥いだもので代用したのである。元々は鳥黐を採るための木として知られていたが、クリスはこの木の樹皮を薄く細長く剥ぎ、内樹皮の部分を粘着トラップとして使用したのである。
幸か不幸か、この樹木は王都総教会の庭にも生えており、その効能を試すのに支障は無かった。
その結果……




