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成瀬さんは気まぐれにわたしを呼び出して、あの掃除用具入れに、入れた。
わたしはひとりで二人の恋が進展する話を聞いていた。
今後の文化祭とか、大学に行った後の約束だとか。ある日には、佐久間湊が将来結婚したいねと口走ったこともある。
その後のキスの吐息と唾液の水音を聞くたび、わたしは吐き気を催した。
終わったら、彼女がキスをしてくれる。彼女が笑ってくれる。
だから、それだけでよかった。
何度かそんなことを繰り返した、夏休み前のある日のことだった。
「もうすぐ夏休みだねえ」
用具入れの向こうから成瀬さんの弾んだ声が聞こえた。
「だなあ。めっちゃ楽しみ。海行こうよ、海」
佐久間湊の声も同じぐらい楽しそうだった。
「水着買わなきゃ」
「一緒に買いに行く?」
「え、いいの? 湊が好きなの選んでよ」
「あかりの水着姿、楽しみすぎる」
「えー? そんな期待しないで」
どこかセリフみたいに言った後、成瀬さんが一瞬こちらを横目で見た。
それから、目を細めた気がした。
それから二人が二言、三言言葉を交わして、キスをしはじめた。
真夏の用具入れはエアコンの冷気があまり入ってこず、蒸し蒸し暑い。
そのうえ、吐き気までする。口元を押さえようと手を動かした時、箒に肘が当たった。
がたん、と箒が斜めに倒れて、ロッカー内の壁に当たって派手な音を立てた。
二人の気配が止まる。エアコンの音だけが聞こえるようになって、わたしはじめて事態を飲み込んだ。
「今、なんか物音しなかった?」
佐久間湊の声がして、
「気のせいじゃない?」
成瀬さんが普段と変わらない声で答えた。
「いや、確かにした」
足音が近づいてきた。
わたしにできることなんて、どんな表情をしようかと考えることぐらいだった。
扉が開いた。
「え……え?」
佐久間湊が大きな目を見開いて、後ずさった。
その後ろで成瀬さんが「あーあ」とでも言いたげにちょっとだけ眉をしかめている。
「あ……あの。ちがくて」
わたしは制服のスカートの裾を握りながら、ようやく言えた。
「えーっと……小川、さん? だよね。なにしてんの」
「その……」
わたしは彼の大きな体が見下ろすのに耐えられず、視線を逸らした。
指が汗ばんで、体中が熱かった。ただひたすらに、恥ずかしかった。
「もしかして、見てた?」
「えっと、はい」
「私が見せてたの」
わたしの声と被せるようにして、成瀬さんが言った。
彼の体に隠れて、彼女の表情は見えない。けれど、成瀬さんの声色は変わらなかった。
「見せてた? あかり、どういうこと」
佐久間湊が成瀬さんを振り返った。
「そのままの意味。見たいって言うから、見せてた」
「ごめん、まじでわからん。そもそも二人はどういう関係?」
「この子は、私のことずっと好きな子」
成瀬さんのなんでもない声は、わたしのお腹あたりに落ちた。
恥ずかしいとか、悔しいとか、嬉しいとか。
そのどれともつかない感情がおへそのあたりでぐるぐると渦を巻いているみたいだった。
「あかり、そういう子だったっけ」
「なにが? 私何か変なこと言った?」
「いや、別に」また、佐久間湊が振り返って、わたしを見下ろした。「んで、小川さんはなんで見てたの。っていうか本当に見てたの?」
「はい……見てっ……見てました」
つっかえながらわたしは返した。
「なんで?」
佐久間湊はただ困惑したかのように何度も首をひねっている。
「みた、見たかったから……です」
見たくなかった。そんなの、ずっと見たくなかった。
ただ、わたしは成瀬さんの笑った顔が見たい。唐突にそんなことが頭に浮かんだ。
結局、何が言いたいかさっぱりわからないまま、それだけ答えるしかなかった。
「はー……もう意味わかんねぇ……。てか、普通にやめてね、そういうの」
佐久間湊の呆れたような表情がなぜだか今は少しだけ救いに思えた。
しばらく、気まずい沈黙が流れた。
わたしも何を答えたらいいか分からなかったし、何を答えても彼を納得させることなんてできない。
話したこと以上のことなんてないのだ。
わたしは、見たかった。成瀬さんの姿だけを、ずっと見たかった。
それをうまく言葉にできる気はしなかった。
佐久間湊は心配そうに成瀬さんを見て、成瀬さんは微笑みを張り付けている。
「小川さんは私が見てようか? ほら、動揺してるし」
ぽつりと、成瀬さんが言った。
「動揺っていうか……」
佐久間湊が頭を掻いた。しばらくうなった後、
「てかさ」
佐久間湊がぱん、と手と手を合わせた。それが合図だったみたいに、わたしもようやく顔を上げることができた。
「小川さんは夏休みどうすんの?」
空気を切り替えるように佐久間湊が明るい声で言った。
「わ、わたし?」
「そう」
「家に、いるかな」
それから、しばらくなぜだか三人で他愛もない会話をしてしまった。
わたしだけが噛み合わない会話は、どこか滑稽で、それがわたしを余計に惨めにさせた。
一通り落ち着いたところで「じゃあ、俺先に帰るけど。本当に大丈夫?」
佐久間湊が成瀬さんを気遣うように、何度も彼女の顔を見ながら眉根を落とした顔で言った。
「本当に大丈夫だよ。小川さんを落ち着かせたら、私も帰るから。もうしないようにって、ちゃんと言っとく」
佐久間湊が出て行った扉をしばらく見つめた。
成瀬さんは微笑んでいた顔をやめて、床にゆっくりと座り込んだ。
「はぁ」とため息をついて無防備に、足を抱えて、膝に顔を埋めた。
「やっちゃった」
「なるせさん……あかり、大丈夫?」
二人の時は、あかりと呼ぶ。ちゃんと守らないと。
わたしが声をかけると、彼女は顔を上げた。
わたしをしっかり、見返してきて、わたしは手を伸ばした。
「立てる?」
「こはる……」
彼女が手を伸ばして、指先が触れ合う。すぐに彼女は拳を握りしめた。
「大丈夫じゃない。なんであんなこと言っちゃったんだろ。私が見せてた、なんて」
成瀬さんが頭を抱えた。ふと、昔のことを思い出した。
男子に悪口を言われたとき、成瀬さんはいつも間に立って、敢然と立ち向かった。
そうしてその後にいつもこうやって悩み始めるのだ。言い過ぎたかなって。
わたしの口がほころんでいたからだろう。
「なんで笑うの」
「ごめん……でも、嬉しくて」
成瀬さんが、立ち上がってわたしを睨んだ。
「私が失敗したのが?」
すごい剣幕だったから、一歩後ずさった。
「違うよ。わたしをかばってくれて、嬉しかった。昔みたいで」
「かばった……」
成瀬さんが目を丸くして、それから何度か自分の頬の髪をいじった。
「わたしが勝手に覗いたって、言っても良かったのに」
「かばったわけないじゃん」
「そうなの?」
わたしにはそう見えた。わたしがあかりを好きだからかもしれない。
「そうだよ。どうしてこはるはいつもそうやって、自分の都合のいいように取るかな」
「だって嬉しかったんだもん」
「ああ、もう。うるさい」
成瀬さんが唇を塞いだ。それから、いつもより少しだけ長くキスをした。
唇を離した後、成瀬さんは紅潮した顔で言った。
「昔とか、もうどうでもいいよ」
彼女の声が、掠れていた。
「どうでもよくない」
わたしたちの思い出。
それがどうでも良いわけがない。
わたしが意外とはっきりと答えたから、成瀬さんは驚いた顔をした。
「……もう、高校生だよ私達。いつまでも昔のままじゃないよ」
「あかりは、わたしはこのままでいいって、言ったよ」
「こはるはそれでいいの?」
「いいよ」
「どうしていつも……」
成瀬さんが困ったように笑った。
前髪を何度かいじって、それからわたしの目の奥の何かを探すようにじっと見つめた。
「こはる」
彼女が近づいて、ほとんど体が密着する距離になった。
制服同士の衣擦れと、成瀬さんの呼吸音、それから彼女の匂い。
その温かさがすぐ近くにあった。
彼女がわたしの頭を撫でて、そのまま降りてきた手がうなじに触れる。
それから、鎖骨のあたりまでゆるゆると這った。
それがくすぐったくて、思わず声が出た。
その声に、はっとしたように、成瀬さんが手を引っ込めた。
驚いたようにその引っ込めた手を見つめていた。
「こはるの、そういうところ本当羨ましい」
吐き捨てるように言ったけれど、彼女の瞳は、うるんだままだった。
まるで、泣く一歩手前のような表情にわたしには見えた。




