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次の日の放課後。

 成瀬さんに指定された場所に来た。また、同じ空き教室だった。

「ここ、入って」

 成瀬さんがにっこりする。彼女が指さしたのは、教室の後ろにある掃除用具入れだった。


「どうして?」

「分かってるくせに」

 成瀬さんが微笑む。そう。わかっている。

「でも」

「でもじゃないでしょ。こはるって昔から優柔不断だよね」

「やっぱり、やめようよ」

「入る」

 有無を言わせないその冷めた瞳と声。

 昔はこうじゃなかった。

 変わったのは、中学生ぐらいからだ。


「はい」

 わたしが掃除用具入れにはいると、やっぱりそこは狭くて、とても外なんて見えない。


「ちょっとだけ開けといてね」

 そう言って、彼女は扉をほんの少しだけ開けて、教室の前の方に行った。

 カーテンの閉められた教室は少し薄暗いけれど、彼女の姿ははっきり見える。

 成瀬さんは黒板に背もたれてスマホをいじりはじめた。


 しばらくして、佐久間湊がやってきた。

 低い声が聞こえる。成瀬さんは佐久間湊の身体に隠れて見えなかった。


 成瀬さんの笑う声だけが聞こえた。

 やがて二人は抱き合いつつ、キスをしはじめた。

 わたしは見ていた。成瀬さんの姿は佐久間湊に隠れて見えない。


 ついばむような音だけが聞こえて来て、わたしは息ができなかった。

 見つかってしまう恐怖と、想像したうっとりしたような彼女の表情。

 とにかく、頭の中がぐちゃぐちゃで声を出さないよう必死だった。


 二人がキスを終えると、佐久間湊が息を整える背中が見えた。

「佐久間くん。大好き」

「俺もだよ」

 声が聞こえて、しばらく二人はそのまま会話を続けた。

 最後はもう一度ハグをして、二人が手を振って別れるまでを見ていた。


 吐きそうだった。いっそここで吐いてしまえば楽なのに。

 しばらく、教室は静かだった。

 成瀬さんが衣服を整える衣擦れの音が聞こえて、それから、掃除用具入れの扉が開いた。


「こはる」

「……なに」

「ひどい顔」

「吐きそう」

「吐けば?」

「無理……成瀬さん、どうして」

「どうしてって、こはるが見たいって言ったんでしょ。てかさ。なんで成瀬さんって言うの?」

「なんで……だって、高校入ってからほとんど話してないし」

「昔みたいにあかりって言えばいいじゃん。話しかければいいじゃん? なんでしないの?」

「なんで」


 話しかけられるわけがない。

 いつも友人に囲まれて、そんな隙があるわけなくて、わたしの幼馴染のあかりは遠くなってしまった。


「なんでじゃないでしょ。っていうかさ、ずっと高校入っても私のこと見てるよね。こないだだって、ついてきてたでしょ。気持ち悪いよ」

「……ごめん」

「急に告白するし」

「ごめんなさい」


 涙が出てわたしが泣けば泣くほど、成瀬さんはどんどん口の端が上がっていく。


「いいよ。こはるのことだもん」

 成瀬さんはわたしにキスをした。

 涙と汗にまみれて、わたしの世界を塗り替えられた気がした。


 成瀬さんにキスされて以降、ますますわたしは彼女を目で追うようになった。


 五月の教室は、みんなまだ距離感を掴み切れていないところがあって、みんな教室のどこに自分のポジションを置こうか迷っているような感じがする。


 だからこそ、目立つ。

 二人が教室の中心で話している光景は、少女漫画のワンシーンのようだった。

 佐久間湊が大きく笑い、成瀬さんが応じて小さく微笑む。

 その周囲を、成瀬さんの友人である三人の女子が取り囲んでいる。

 佐久間湊が冗談を言ったのだろう。周囲がどっと笑った。


 成瀬さんとは昔は仲が良かったから、LINEはいまだに残っている。

 けれど、昨日キスをしたのに、そんなのなかったかのようにメッセージ一つ届かなかった。


 高校入学前にやりとりした『同じ高校だね』とわたしが送って以降、一年間ずっと止まったまま二年生になってしまった。


 ふ、っと。

 成瀬さんがこちらを見た気がした。口の端を歪めたような、教室では見ないような表情。

 けれど、それは一瞬でもしかしたら気のせいだったのかもしれない。


 だけど、わたしにはそれがなんだか希望のように思えて、気づけば放課後空き教室に来ていた。

「うわ、本当にいる」

 振り返ると、成瀬さんがいた。ひとりだった。

「え……っと」

「今日は佐久間くん来ないよ。部活もあるしね」

「そっか」

 すごく、ほっとした。あんなに苦しいのはもう嫌だった。


「ずっと、見てたね。私のこと」

 成瀬さんが近づいてきて、わたしの目を覗き込む。

 彼女の手が前髪に触れて、視界が開ける。

 彼女の大きな目が飛び込んできて、そのまま目を逸らせなくなった。


 耳まで熱くて、きっとわたしは泣きそうな酷い表情をしているだろう。


「見て、ました」

「敬語やめて」

 成瀬さんが手を離すと、また視界が髪の陰に隠れた。

「見てた」

「どうして?」

「……えっと」

「ちゃんと言って」

 成瀬さんがわたしの首筋に触れる。それから、ゆっくりと撫でた。

「好き、だから」

「そうなんだ。彼氏いるのに?」

「うん」

「相変わらず、こはるは一途だね」

 あはは、と彼女が笑った。

 彼女の白い犬歯が覗いた。

「ずっと、ずっと好き。成瀬さんのことが」

「あかりって呼んで」

 彼女の笑顔がすっと、消えた。

「あかりのことが、好き」

「私はこはるのこと好きじゃないから」


 冷めた目で、わたしを見下ろして睨む。

 けれど、唇は温かい。

 彼女の唇が触れたからだ。

 すぐに離れて、彼女が吐き捨てるように言った。


「じゃあね」

 踵を返すと、彼女は教室を出て行った。

 後には唇の感触と、彼女の足音だけが残った。


 それから、教室でも成瀬さんがわたしを見ることはなくて、話しかけられることもなかった。


 教室の隅からスマホを見るふりをして、佐久間湊との仲が進展していくのを、ただ見ていた。


 今週末は遊びに行くらしいこと。部活の見学にいくらしいこと。もう、お互いの家に遊びに行って、けれどそれは隠れたものじゃなくて両親に紹介しにいったものらしいこと。


 いつのまにか、成瀬さんは佐久間くんから湊と呼ぶようになった。


 わたしは彼女の唇の感触と匂いだけを思い出して、ただイラストを描いた。

 わたしの描いた成瀬さんの絵は、昔みたいに無邪気に笑っていた。

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