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「一緒に帰ろうよ」
肩で息をしながら、あかりは何もなかったかのように言った。
「うん」
佐久間湊は? とは訊けなかった。顔すらちゃんと見られなかった。
「泣いてるじゃん」
あかりが、わたしのうつむいた顔を覗き込んだ。笑みを含んだ声だった。
「泣いてない」
「手」
わたしは差し出された手を、何も言わず握った。ひんやりした手が、痛いぐらいに握り返してきた。
「昔はこうやってよく一緒に帰ってたよね」
あかりが手を引いて歩きだす。
小学生の頃、クラスの男の子に泣かされたわたしを、あかりはこうやっていつも手を引いて帰ってくれていた。ずっと、この手があるのだとわたしは思っていた。
「うん」
「こはるって昔はすぐ泣いてたじゃん。山田くん? だっけ。こはるによくちょっかいかけてた子。たぶんあれ、こはるのこと好きだったんだと思うよ」
「しらない」
「そう? じゃあ中学生の時の坂本くんは? 半分告ってきたような子がいたじゃん」
「あんまり覚えてない」
「こはるって本当、他人に興味ないよね」
あかりが小さく笑った。
「そうかも」
「私だけなんだ」
「うん」
「そっかぁ。そうなっちゃったかぁ」
あかりはそれから少し黙った。
あかりの手はますます強くて、わたしもすがりつくように握り返した。
家に近づくと、あかりが手を離した。
並んだ戸建ての外灯は、あかりの家の方に灯っている。
「じゃあ。また明日ね」
あかりはそう言って、低い扉を開けた。
離れるのが嫌で、あかりが石畳の向こうの玄関を開けるまで背中を見送った。
玄関が開く音がして、家の中からあかりの母が出てくるのがちらと見えた。
「遅い。心配するじゃない」
「湊とご飯に行くって言ったでしょ」
そう言ってあかりはなめらかに笑った。
登校前に鏡の前で髪を整えるたびに思う。
これをやる意味がまだあるのかって。
あかりからメッセージが来ることはないし、だからといって教室で露骨に避けられているわけでもない。いつまでも小川さんのままだ。
わたしたちの間には何も起きなかった。
彼とあかりが笑い合う姿を見るたび、わたしはそう体に刻まれているように感じた。
今日で文化祭の準備も終わりだ。教室には完成したお化け屋敷の迷路が組まれ、黒板側は演者たちの待機場として広く取ってある。
「みんなお疲れ! 明日本番がんばろう!」
佐久間湊が黒板の前でクラスのみんなを集めて、拳を天に掲げた。
おー! と答える声が地響きみたいだった。
「記念撮影しようよ」
知らない女子の声が言った。
「いいねー! リーダーと副のカップルでどうぞ。正直うぜーぞー!」と男子が笑い声で囃し立てる。
「え? 俺たち?」
佐久間湊があかりと目配せした。「撮る?」
「湊が撮りたいならいいんじゃない」
あかりもはにかんで答えた。
ふたりが黒板の前に並んだ。佐久間湊が彼女の肩を抱き寄せて、ピースした。
「ほら、皆も撮って」
クラスの女子がスマホカメラを構えながら叫んだ。
みんながスマホを取り出すから、わたしもスカートのポケットから取り出した。
カメラのフレームに収まった二人が、わたしに向かって笑いかけていた。
撮影が終わったあと、気づけばわたしは空き教室の用具入れにいた。ここにいればあかりが来てくれる。そう思ったけれど、空き教室はずっと静かなままだった。
文化祭本番は裏方として過ごした。
三つ編みの子と待機場で一緒になった。
「小川さんだ」
彼女は今でもたまにわたしに話しかけてくれて、今日もわたしの姿を認めるなり嬉しそうに笑いかけてくれた。
「一緒だね」
「ね。うちらちょっと絵を描けるからって、こき使われすぎだったよね?」
そうやって言う割に、彼女はどこか誇らしげに眼鏡をかけ直した。
わたしは文化祭の準備なんて本当はどうでもよかった。
準備含めて本当に楽しかったんだって言いたげな、彼女の輝くような笑顔を見ていると、胸がちくりとした。
お客が入った後に、倒れた段ボールを修繕したり、布をかけ直したり、時々お化け役の人にペットボトルの水を渡したり。
その子と一緒に裏方をしていた。時々趣味とか、どんなイラストを描くのかとか、そういう話をした。
わたしが昔好きだった児童向けの恋愛小説の名前を言った時なんてすごくテンションが上がっていた。
『アイドルの男の子がなんで普通の学校にいるんだろう?』とか、どうでもいい話をして、久しぶりに素直に笑えた。
「ねえ。午後、一緒に回ろうよ。絶対うちら仲良くなれるって」
「うん。そんな気がする」
「じゃあ」
「ごめんね」
ぬか喜びをさせたくなくて、被せるように言った。
彼女と一緒に回れば、あかりはわたしのことをどう思うんだろう。それに、あかりと佐久間湊の姿を今は見たくなかったし、なんだかもうそういうことを考えるのも嫌だった。
「そっか」
彼女は一瞬、傷ついた顔をしたけれどすぐに「諦めずに誘うからね!」とにっこりした。
「本当に、ごめんね」
わたしはもう一度言った。
結局、午後は用具入れに籠っていた。
昨日撮ったあかりの写真だけを、ずっと見ていた。
文化祭はそれで終わった。教室は暗幕が取り払われて、西日が差し込んでまぶしい。
片付けの大きな物音と、クラスメイトの談笑する声。指示を出す先生の声が入り乱れて、とても騒がしい。
「みんなで頑張れてよかった、けどめっちゃ寂しい!」
その中で、泣いてしまう子もいた。
「うん。だよね、寂しいよね」
あかりはその子のそばにいて、背中を撫でながら慰めている。
高校生活は過ぎて行って、後から振り返ったらきっと、あの時は青春だったねなんて思い出話にされてしまうんだろう。
そんな思い出なんていらない。
わたしの足は動いた。息が詰まった。
「あかり」
わたしが声をかけると、あかりはその子から手を離して、振り返った。
「どうしたの、小川さん」
わたしはその唇にキスをした。




