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 放課後の空き教室には、先に成瀬さんが来ていた。

 換気のされていない空き教室は少し埃っぽくて、床からは秋の冷たさが上がってきている。

 彼女は教室の用具倉庫近くの窓側に背もたれていて、わたしが教室に入って来ても表情を変えなかった。

「来たよ」

 わたしが寄っていくと、成瀬さんは少しだけ姿勢を崩した。

「なんで髪切っちゃったの」

 成瀬さんの声は平らだった。だからこそ、怒っていることがわたしにも伝わった。

「あかりが、喜んでくれるって、思ったから」

「私、そんなこと言ったっけ?」

「ちゃんとすれば、かわいいって言ってくれた」

「それは……まあいいよ。そんなことより、言いたいことがあって」

 成瀬さんが自分の前髪を整えて、それからわたしから視線を外して窓の外へ目をやった。

「小川さん。心配だから言っておくけど、湊ってモテるんだよ。小川さんのために言っとくけど、あんまりみんなの前では、親しくしないほうが良いと思う」

「どうして? 佐久間くんは、推しが同じだからしゃべってるだけ。友だちだよ」

「変な噂とか立つの、小川さんも嫌でしょ。湊だって困ると思う」

 小川さん。どうしてそう呼ぶの。成瀬さんはずっと窓の外ばかり見て、わたしを見てくれない。

「わたしは別に平気だよ。気にしてないもん」

「小川さんが気にしないからって、周囲は気にするよ。湊は私の彼氏だよ。言いたいこと分かるでしょ」

「わかんない」

 分かってきた。

 こうすればあかりがわたしを見てくれるってことに。

 あかりはいらだったように、わたしに一歩詰め寄る。

 彼女の方が、身長が高いから、見下ろす格好になった。

 こんなときでも、彼女の匂いが鼻をくすぐった。

「ねえ。最近の小川さん変だよ。そういう子じゃなかったじゃん」

「うん。最近変なんだ、わたし。でも、あかりだって変だよ」

「なにが?」

「わたしにいっぱい、キスしてくれる。変だよ、好きでもないのに」

「はあ? 何急に」

 彼女の眉が吊り上がった。

「佐久間くんのことが好きなんでしょ。だから、わたしが佐久間くんと喋るのが嫌なの?」

「当たり前じゃん。湊はモテて……顔が良くて、話してて楽しい。ママだって、喜ぶし」

 成瀬さんの唇が歪んだ。眉間にしわを寄せて、怒っているような笑っているような顔をしている。教室では見せない顔だ。

 それでも彼女と会話できることが嬉しかった。やっぱり、わたしはどこかおかしいんだろう。

「わたしは」

 わたしは、自分がこんな人間だなんて思わなかった。

 最低でゴミみたいな考えが頭をよぎって、口を動かした。

「わたしは、佐久間君としゃべるの楽しいよ」

 あかりの眉がぴくりとした。

「そう。私は忠告したから。小川さんがいいなら、それでいいんじゃない。別に浮気だなんて私も思ってないし。クラスで浮かないようにと思って言ってあげただけだから」

 あかりは踵を返して、背中を向けた。あかりが行ってしまう。

 言いたいことを何も言えてないのに。

「小川さんって言わないでよ」

 気づけば、わたしはその背中にしがみついていた。お腹に回した手にあたるあばらの骨が、痛いくらいに細かった。あかりが震えていることに、そのときわたしは初めて気づいた。

「離してよ!」

 あかりがもがいて、わたしは子どもみたいに必死にしがみつくしかなかった。

「こはるって呼んで」

「やだ」

「呼んで!」

「そっちが先に成瀬さんって言ったくせに」

「ごめん、ごめんなさい」

 わたしは耐えられなかったのだ。

 中学生になって、あかりがどんどん人気者になって、別の友達を作って、推しの話だってしなくなって、話しかけづらくなった。

「今度からずっと一緒にいるから。ずっと、ずっと」

「うるさいな。こはるだって湊と喋ってる方が楽しいんでしょ」

 あかりが動きを止めて、すぐにはっとしたように言葉を継いだ。「どうでもいいけど」

「そんなことない」

「良いから離して!」

 彼女がわたしの手を振りほどいた拍子、態勢を崩したわたしは、しりもちをついた。

 痛みを感じるより先に、あかりが行ってしまわないか見上げた。

「こはる」

 彼女が伸ばしかけた手を、宙づりのまま止めた。

 踵を返して、足早に教室を出て行った。

 佐久間湊の方が良い。そんなことない。そんなことないよ。

 口の中でつぶやいて、それが現実になればいいと思った。

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