10
放課後の空き教室には、先に成瀬さんが来ていた。
換気のされていない空き教室は少し埃っぽくて、床からは秋の冷たさが上がってきている。
彼女は教室の用具倉庫近くの窓側に背もたれていて、わたしが教室に入って来ても表情を変えなかった。
「来たよ」
わたしが寄っていくと、成瀬さんは少しだけ姿勢を崩した。
「なんで髪切っちゃったの」
成瀬さんの声は平らだった。だからこそ、怒っていることがわたしにも伝わった。
「あかりが、喜んでくれるって、思ったから」
「私、そんなこと言ったっけ?」
「ちゃんとすれば、かわいいって言ってくれた」
「それは……まあいいよ。そんなことより、言いたいことがあって」
成瀬さんが自分の前髪を整えて、それからわたしから視線を外して窓の外へ目をやった。
「小川さん。心配だから言っておくけど、湊ってモテるんだよ。小川さんのために言っとくけど、あんまりみんなの前では、親しくしないほうが良いと思う」
「どうして? 佐久間くんは、推しが同じだからしゃべってるだけ。友だちだよ」
「変な噂とか立つの、小川さんも嫌でしょ。湊だって困ると思う」
小川さん。どうしてそう呼ぶの。成瀬さんはずっと窓の外ばかり見て、わたしを見てくれない。
「わたしは別に平気だよ。気にしてないもん」
「小川さんが気にしないからって、周囲は気にするよ。湊は私の彼氏だよ。言いたいこと分かるでしょ」
「わかんない」
分かってきた。
こうすればあかりがわたしを見てくれるってことに。
あかりはいらだったように、わたしに一歩詰め寄る。
彼女の方が、身長が高いから、見下ろす格好になった。
こんなときでも、彼女の匂いが鼻をくすぐった。
「ねえ。最近の小川さん変だよ。そういう子じゃなかったじゃん」
「うん。最近変なんだ、わたし。でも、あかりだって変だよ」
「なにが?」
「わたしにいっぱい、キスしてくれる。変だよ、好きでもないのに」
「はあ? 何急に」
彼女の眉が吊り上がった。
「佐久間くんのことが好きなんでしょ。だから、わたしが佐久間くんと喋るのが嫌なの?」
「当たり前じゃん。湊はモテて……顔が良くて、話してて楽しい。ママだって、喜ぶし」
成瀬さんの唇が歪んだ。眉間にしわを寄せて、怒っているような笑っているような顔をしている。教室では見せない顔だ。
それでも彼女と会話できることが嬉しかった。やっぱり、わたしはどこかおかしいんだろう。
「わたしは」
わたしは、自分がこんな人間だなんて思わなかった。
最低でゴミみたいな考えが頭をよぎって、口を動かした。
「わたしは、佐久間君としゃべるの楽しいよ」
あかりの眉がぴくりとした。
「そう。私は忠告したから。小川さんがいいなら、それでいいんじゃない。別に浮気だなんて私も思ってないし。クラスで浮かないようにと思って言ってあげただけだから」
あかりは踵を返して、背中を向けた。あかりが行ってしまう。
言いたいことを何も言えてないのに。
「小川さんって言わないでよ」
気づけば、わたしはその背中にしがみついていた。お腹に回した手にあたるあばらの骨が、痛いくらいに細かった。あかりが震えていることに、そのときわたしは初めて気づいた。
「離してよ!」
あかりがもがいて、わたしは子どもみたいに必死にしがみつくしかなかった。
「こはるって呼んで」
「やだ」
「呼んで!」
「そっちが先に成瀬さんって言ったくせに」
「ごめん、ごめんなさい」
わたしは耐えられなかったのだ。
中学生になって、あかりがどんどん人気者になって、別の友達を作って、推しの話だってしなくなって、話しかけづらくなった。
「今度からずっと一緒にいるから。ずっと、ずっと」
「うるさいな。こはるだって湊と喋ってる方が楽しいんでしょ」
あかりが動きを止めて、すぐにはっとしたように言葉を継いだ。「どうでもいいけど」
「そんなことない」
「良いから離して!」
彼女がわたしの手を振りほどいた拍子、態勢を崩したわたしは、しりもちをついた。
痛みを感じるより先に、あかりが行ってしまわないか見上げた。
「こはる」
彼女が伸ばしかけた手を、宙づりのまま止めた。
踵を返して、足早に教室を出て行った。
佐久間湊の方が良い。そんなことない。そんなことないよ。
口の中でつぶやいて、それが現実になればいいと思った。




