第4話 町を買いに来た人ですか
颯真の正体を知り、距離を置くことにした明日香。
けれど彼は、町をただの事業用地として見るのではなく、そこで暮らす人たちの声に耳を傾けようとしていました。
第4話では、明日香の言葉が颯真の計画を変え、寂れた町に少しずつ新しい灯りがともり始めます。
颯真さんは、それから数日、店に来なかった。
でも美沙は言った。
「来てるよ」
「え?」
「店の前まで」
「嘘」
「本当。毎晩、向こうの角にいる。こっち見て、帰っていく」
「どうして……」
「明日香が時間をくださいって言ったからでしょ」
美沙は棚にグラスを戻しながら言った。
「律儀な男だよね。ベタ惚れなのに、距離は守る」
「ベタ惚れって決めつけないで」
「決めつけじゃなくて観察結果」
私は言い返せなかった。
正体を隠されていたことは、まだ少し痛い。
けれど、来ない夜が続くほど、自分が彼を待っていることも分かってしまった。
町では、データセンター計画への賛否が強くなっていた。
スナックでも、その話ばかりだった。
「仕事ができるならありがたい」
田島さんは言う。
「でも、俺らが入れる仕事じゃなきゃ意味がない。見学だけなら、工場跡にでかい箱が建つだけだ」
佐伯さんは、ため息をついた。
「町に大きい建物が建っても、商店街が潤わないなら、外から見える景色が変わるだけだよ」
真由ちゃんは、疲れた顔をしていた。
「役所としては来てほしいです。でも、町の人が置いていかれる形にはしたくないんです」
健太くんは相変わらず投げやりだった。
「どうせ俺らは見学だけっすよ。働くのは都会のエンジニアでしょ」
私はその声を聞いていた。
この町に来たばかりの私が、何かを変えられるわけではない。
でも、みんなの声が胸に残った。
寂れている町。
でも、まだ諦めきれていない町。
その人たちの不安を、誰かがちゃんと聞いてくれたらいいのに。
そう思っていた。
数日後の夕方、私は買い出しの帰りに、町はずれの工場跡地近くを通った。
広い土地だった。
錆びたフェンス。
草の伸びた駐車場。
使われなくなった倉庫。
そこに、颯真さんがいた。
スーツではなかった。
作業着に近いジャケットを着て、資料を持ち、土地だけでなく周辺の住宅や水路まで見ている。
秘書らしき人と何か話していたが、私に気づくと、会話を止めた。
「明日香さん」
私は少し迷ってから、近づいた。
「視察ですか」
「はい」
「町を買いに来た人ですか」
言った瞬間、自分でも少しきつい言い方だと思った。
けれど颯真さんは、怒らなかった。
「最初は、条件のいい土地を探しに来ただけでした」
「今は?」
「あなたに言われたことが、ずっと残っています」
「私?」
「この町を、ただの土地として見ない人だといい。そう言われてから、数字に出ないものを見落としていたことに気づきました」
風が吹いた。
草が揺れる。
遠くで、電車の音がした。
颯真さんは続けた。
「現行案では、地元雇用は最小限でした。専門人材は外部から連れてくる予定だった」
「それなら、田島さんたちの不安は当たってたんですね」
「はい」
彼は正直に認めた。
「ですが、計画を見直しています」
「見直す?」
「地元採用枠を作ります。未経験者向けの研修も作る。地元高校や専門学校、市役所とも連携します。設備管理、警備、清掃、食堂、配送は地元優先にする。商店街にも仕事が回る仕組みにしたい」
私は驚いて、彼を見た。
「そこまで?」
「まだ調整中ですが」
「どうして」
颯真さんは少しだけ考えた。
「地域と敵対したままの施設は、長く続きません。これは情ではなく、経営判断です」
そこで彼は、少し声をやわらかくした。
「ただ、その判断をするきっかけをくれたのは、あなたです」
胸が熱くなった。
「私は、そんな大したこと言ってません」
「俺には、大したことでした」
その言葉は、スナックで言われる甘い言葉よりも、深く響いた。
私の言葉が、この人の仕事を変えた。
そう思うと、怖いような、嬉しいような気持ちになった。
「隠していたことは、消えません」
颯真さんは言った。
「はい」
「でも、あなたに言われた言葉は、俺の仕事を変えました」
私は俯いた。
「この町の人たちの声を、聞いてくれたんですね」
「あなたが大切にし始めた町ですから」
何も言えなくなった。
この町に来た時、私は逃げてきただけだった。
自分にはもう居場所がないと思っていた。
でも今、誰かに言われた。
あなたが大切にし始めた町。
私はいつの間にか、この町を大切に思っていたのだろうか。
その週の終わり、再説明会が開かれた。
前回よりも会場の空気は張りつめていた。
颯真さんは壇上に立ち、静かに頭を下げた。
「前回いただいたご意見をもとに、計画の一部を見直しました」
会場がざわつく。
「地元雇用枠を設けます。未経験者向けの研修も行います。設備管理、警備、清掃、食堂、配送などは、地元事業者を優先して検討します。高校、専門学校、市役所とも連携します」
田島さんが顔を上げた。
佐伯さんが息を呑んだ。
健太くんが、スマホから目を離した。
颯真さんは続けた。
「すべてをすぐに実現できるとは言いません。けれど、計画に組み込み、責任者を置きます」
会場のざわめきが少し静まった。
颯真さんは、さらに続ける。
「完成後に人を連れてくるだけの施設にはしません。この町で働ける人を、この町で育てます」
その言葉に、会場の空気が変わった。
全員が納得したわけではない。
不安が消えたわけでもない。
でも、誰かが未来の話を始めた。
それだけで、町の夜に少し灯りが増えた気がした。
説明会の後、田島さんが、誰に言うでもなく呟いた。
「……俺、まだ履歴書って書けるかな」
その声は、冗談のようで、冗談ではなかった。
私は胸が詰まった。
「書けますよ」
私が言うと、田島さんは照れくさそうに笑った。
「字、汚いぞ」
「佐伯さんの文具店で、いいペンを買いましょう」
佐伯さんが目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「履歴書用のペンなら、まだ在庫があるよ」
健太くんは、いつもみたいに笑わなかった。
「研修って、何歳までいけるんすか」
その声は、初めて未来の方を向いていた。
颯真さんは答えた。
「年齢制限は設けない方向で調整しています」
健太くんは少し俯いた。
「研修、受けても落ちたら恥ずいっすね」
私は健太くんを見た。
「恥ずかしいのは、最初から諦めることかもしれないよ」
健太くんは顔をしかめた。
「明日香さん、たまに刺さること言うっすね」
「ごめん」
「いや……ちょっと、考えます」
真由ちゃんは市役所の資料を抱えたまま、目を潤ませていた。
「この町で、まだ働けるかもしれないって思えるだけで、こんなに空気が変わるんですね」
颯真さんは、少し離れた場所でその光景を見ていた。
彼は町を簡単に救ったわけではない。
でも、町の人たちが前を向くきっかけを作った。
その夜、颯真さんは久しぶりにスナックに来た。
カウンターの端。
いつもの席。
「何になさいますか?」
私は聞いた。
答えは分かっていた。
「ウーロン茶で」
私は少し笑ってしまった。
「今日は、お酒じゃないんですね」
「最初から、ここには飲みに来ていません」
美沙が奥で小さく笑った。
私はウーロン茶を出した。
田島さんが声をかける。
「社長さん、俺でも本当に研修受けられるのかね」
「もちろんです」
佐伯さんが言う。
「うちの文具店も、まだ畳まない方がいいかね」
「発注の可能性は十分あります」
健太くんがぼそっと言う。
「俺、パソコン詳しくないっすよ」
「詳しくなるための研修です」
店内が笑いに包まれた。
私は、その笑い声を聞いていた。
この町に来た夜、私は自分もこの町も、置いていかれたもの同士だと思った。
でも今は違う。
置いていかれた場所にも、もう一度灯りはともる。
そう思えた。
読んでくださりありがとうございます。
颯真は、町を買いに来た人ではなく、町と一緒に未来を作ろうとする人でした。
明日香の何気ない言葉が、地元雇用や研修制度という形になり、町の人たちの表情も少しずつ変わっていきます。
そして、久しぶりにスナックへ戻ってきた颯真。
次話はいよいよ最終話。
ウーロン茶を頼み続けた彼の本当の想いが、明日香へまっすぐ届きます。




