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離婚後、地方スナックで働いていたら、毎晩ウーロン茶を頼むIT実業家にベタ惚れされました 〜不景気な町ごと、私を迎えに来た彼〜  作者: ちょこまろ


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3/5

第3話 普段着の彼が、スーツを着ていた日

毎晩スナックに通い、ウーロン茶だけを頼んでいた颯真。


少しずつ彼に惹かれ始めていた明日香でしたが、町で開かれた説明会で、思いがけない形で彼の正体を知ることになります。


第3話では、甘く近づいていた二人の関係が、一度大きく揺れ動きます。

 それからも、颯真さんは毎晩来た。


 私はまだ、彼の正体を知らなかった。


 彼はいつも普段着で、いつもの席に座り、いつものウーロン茶を頼む。


 町では、データセンターの噂がどんどん大きくなっていた。


「説明会があるんだって」


 美沙が、開店前のカウンターでチラシを見ながら言った。


「町役場?」


「うん。商工会館のホール。東京の会社の社長が来るらしいよ」


「へえ」


「行ってみる?」


「私が?」


「どうせ店でもその話ばっかりになるんだし、見ておいて損はないでしょ」


 私は少し迷った。


 この町の人間ではない。

 でも、もう無関係とも思えなかった。


 田島さんの不安。

 佐伯さんのため息。

 真由ちゃんの焦り。

 健太くんの諦め。


 それらを毎晩聞いているうちに、この町の未来が、自分に関係のない話とは思えなくなっていた。


「行こうかな」


「じゃあ一緒に行こ」


 その夜、颯真さんが来た時、私は説明会の話をした。


「噂の社長さん、町の人の声を聞いてくれるといいですね」


 颯真さんは少しだけ視線を落とした。


「聞く気がなければ、来ないと思います」


「でも、聞くふりだけならできます」


「厳しいですね」


「この町の人たち、優しいから」


 私はカウンターの奥で、グラスを拭きながら言った。


「優しい人たちが損をするのは嫌なんです」


 颯真さんは、何も言わなかった。


 ただ、私を見ていた。


 その視線があまりに静かで、私は少し落ち着かなくなった。


「……変なこと言いました?」


「いえ」


「じゃあ、どうしてそんなに見るんですか」


「また、あなたのことを好きになる理由が増えたので」


 手が止まった。


「……今、何て」


「ウーロン茶、おかわりを」


「ごまかしましたね」


「はい」


 颯真さんは真顔だった。


 私はおかわりを注ぎながら、心臓が少しうるさくなっていることに気づいた。


 この人は、時々こういうことを言う。

 まるで当たり前の事実のように。


 私はまだ、それをどう受け止めればいいのか分からなかった。


 翌日、説明会の会場には、思っていたより多くの人が集まっていた。


 商工会館のホール。

 古いパイプ椅子が並び、前方には長机とマイクが置かれている。


 田島さんもいた。

 佐伯さんもいた。

 健太くんは後ろの方で腕を組んでいる。

 真由ちゃんは市役所側のスタッフとして、忙しそうに資料を配っていた。


「みんな来てるね」


 美沙が小声で言う。


「やっぱり気になるんだね」


「そりゃそうよ。この町に久しぶりに来た大きな話だもん」


 私は椅子に座った。


 胸がざわざわしていた。


 壇上には市長と担当者が並んでいる。

 やがて司会者がマイクを持った。


「本日は、株式会社レイグリッド代表取締役、如月颯真様にお越しいただいております」


 その名前を聞いた瞬間、私は顔を上げた。


 如月颯真。


 壇上に現れたのは、スーツ姿の颯真さんだった。


 いつもの白いシャツではない。

 濃紺のスーツ。

 きちんと締められたネクタイ。

 隙のない立ち姿。


 スナックのカウンターでウーロン茶を飲んでいた人とは、まるで違う。


 でも、同じ人だった。


 私は息をするのを忘れた。


「……嘘」


 隣で美沙が小さくつぶやく。


 私は何も答えられなかった。


 颯真さんは壇上で深く一礼し、マイクの前に立った。


 説明は分かりやすかった。


 データセンターとは何か。

 なぜこの町が候補地なのか。

 必要な土地、電力、通信環境。

 災害対策。

 行政との協議。


 いつもの静かな声なのに、そこには迷いがなかった。


 町の人たちは、最初こそざわついていたが、次第に聞き入っていった。


 質問の時間になり、田島さんが手を上げた。


「雇用って言っても、どうせ専門職ばかりなんじゃないですか。俺らみたいな地元の人間に仕事はあるんですか」


 颯真さんは、すぐにきれいな答えを返さなかった。


 少し間を置いて、正直に言った。


「現行案では、専門人材は外部採用が中心です」


 会場がざわついた。


「やっぱりな」


 誰かが言う。


 佐伯さんも手を上げた。


「東京の会社が来ても、町の店には一円も落ちないんじゃないですか」


 健太くんが続ける。


「若いやつに研修とか、本当にあるんですか。それとも、完成したら東京から人を連れてくるだけですか」


 颯真さんは、一人一人の顔を見ていた。


 逃げるような目ではなかった。


「今日いただいたご意見は、持ち帰って見直します」


 よくある言葉に聞こえた。


 でも彼の声は、形だけではなかった。


 私はその声を聞きながら、ずっと混乱していた。


 どうして黙っていたのだろう。


 毎晩、普通の客みたいな顔で来て。

 私の話を聞いて。

 町の話を聞いて。


 彼は全部、知っていたのだ。


 自分がその噂の中心にいることも。

 町の人たちが期待し、不安がっていることも。


 私は、また最後に知らされたのだと思った。


 元夫の時もそうだった。

 あの人の中では、もう全部決まっていた。


 出ていくこと。

 離婚すること。

 私なら大丈夫だと片づけること。


 私はいつも、最後に知らされる側だった。

 相手の中ではもう決まっていて、私はただ、その結果を受け取るだけだった。


 颯真さんは、元夫とは違う。


 そう思いたかった。


 でも、知らなかった。

 私だけが、知らなかった。


 その事実が、思ったより深く刺さった。


 説明会が終わると、会場はざわざわと人で溢れた。


 私は美沙と一緒に出ようとした。


 その時、背後から声がした。


「明日香さん」


 私は足を止めた。


 振り返ると、颯真さんが立っていた。


 スーツ姿のまま。

 さっきまで壇上にいた人。


 私の知っている普段着の客ではない。


「……社長さん、だったんですね」


 自分の声が、思ったより冷たく聞こえた。


 颯真さんは、言い訳をしなかった。


「すみません。肩書きで見られたくなかった。でも、あなたには最初に言うべきでした」


「私は、ただのお客様だと思って話していました」


「はい」


「町のことも、普通に話していました」


「はい」


「どうして、私にだけ言えなかったんですか」


 颯真さんは一瞬、迷った。


 そして、まっすぐ言った。


「嫌われたくなかったからです」


 胸が揺れた。


 そんなことを言われるとは思わなかった。


 怒りたいのか、悲しいのか、自分でも分からない。


 ただ、何かが崩れた気がした。


 私が勝手に作っていた、普段着の颯真さん。

 毎晩ウーロン茶を頼む、不思議なお客様。

 私を静かに守ってくれる人。


 その人が、急に遠くなった。


「少し、時間をください」


 私はそう言うのが精一杯だった。


 颯真さんは、私に責められることより、私が一歩引いたことの方が苦しそうだった。


 それでも、追ってはこなかった。


「分かりました」


 颯真さんは、静かに頷いた。


 その夜、スナックに颯真さんは来なかった。


 当たり前だと思った。

 私が時間をくださいと言ったのだから。


 それでも、入口のベルが鳴るたびに顔を上げてしまう。


 違う。

 また違う。

 やっぱり来ない。


 カウンターの端の席が、やけに空いて見えた。


 美沙が隣で小さく言った。


「もう、ただのお客さんじゃなかったんだね」


 私はグラスを拭く手を止めた。


「……分からない」


「何が?」


「怒ってるのか、寂しいのか」


 美沙は何も言わなかった。


 私は空いた席を見た。


 そこにはもう、ウーロン茶のグラスも、静かな横顔もなかった。

読んでくださりありがとうございます。


毎晩スナックに来ていた颯真は、ただの常連客ではありませんでした。


町の未来を左右するIT実業家。

その事実を知らされていなかった明日香は、過去の傷も重なり、素直に受け止めることができません。


颯真は本当に、町と明日香をどう見ているのか。


次話では、彼の仕事への向き合い方と、明日香の言葉が町を動かしていきます。

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