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仮初を生きるもの  作者: 木南一果
その手を

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19

皆がどの曲にするか話しながら、それぞれの楽器の支度を終えた頃。


壁の向こうから、かすかに音が聞こえてきた。


弦を弾く音。

短く、確かめるような一音。


続いて、低く響く音が重なる。

重いのに沈まない、やわらかな響き。

私は知らない音だ、どんな楽器なのだろう。


「音合わせを始めたようだ」

「……うちも早くやろうぜ」


エルドさんとフェリクスさんが、小さく言葉を交わす。


音は途切れ途切れだ。


試すような一音。

伸ばして、揺らして、確かめる音。

ただ鳴らしているわけじゃない。

どう見せるか。どう響かせるか。

確認しながら整えている音。


壁越しでもそれが伝わってきて、胸の奥がわずかにざわついた。


別の方向からも、音が重なる。


今度は速いリズム。

軽やかに跳ねる打音。

それに呼応するように、音が一気に広がる。


思わず、手に力が入る。


ここにいるのは自分たちだけじゃない。

様々な楽団が、同じ場所を目指して集まっている。

当たり前のことなのに、改めて突きつけられる。


「いい音ね」


ユーシリアさんが、静かに言う。


その声には焦りはない。

ただ、まっすぐに音を受けとり素直に言葉になった、そんな響きだった。


「……だな」


ブラムさんも短く返す。


誰の表情には、緊張が増した様子はない。

それどころかどこか楽しんでいるようにも見える。


私は、ゆっくりと息を吸う。


大丈夫。

やることは、変わらない。

目の前の準備をひとつずつ。


皆が気持ちよく演奏できるように。

そのために、自分にできることをやる。

それだけ。


外から聞こえる音は、止まらない。

けれど、さっきよりも、少しだけ心は落ち着いている。



「始めるぞ」



団長の一言で皆の表情が変わる。

最初の音が鳴った瞬間、部屋の空気も変わった。


アナスタシアさんの笛の音。そこに皆の音が重なっていく。

バラバラだったものが、ひとつに引き寄せられていくような感覚。

壁の向こうから聞こえていた音が遠のいて、目の前の音だけが耳に入ってくる。


私は針を持ちながら、その音を聞く。

衣装のほつれを直しながら、音の流れを体に入れていく。

どこで強くなるのか。

どこで楽器が変わるのか。


それを知っていれば、できることが増える。


時々止まり、団長が短く指示を出す。

そしてすぐにまた音が始まる。

やり直す部分は短い。数小節確かめると、すぐ次へと進んでいく。


一度で揃う。

無駄がない。


もう皆の中では形が決まっている。

そこへ合わせていくだけなのだろう。


最後まで通し、音が止む。


「いけるな」


団長が短く言った。

その言葉に、皆が力強く頷く。


「さぁて、ユーシリア出番だぞ」


団長が言う。

わずかに、間が落ちた。


「……声、いけるか」


その一言で、空気が変わった。


さっきまでと同じ部屋のはずなのに、張りつめたような静けさ。

どうしてだろう。


理由は分からないのに、私も自然と息を潜めてしまう。


そんな皆の変化をよそに、団長の問いにユーシリアさんはいつも通り静かに微笑んだ。


「えぇ、もちろん」


そして、息を吸い歌い出す。



「……!」



驚きで、息が、止まる。


違う。さっきまでの声と、まるで違う。

こんなユーシリアさんの声、知らない。


低く、かすれて乾いている、内側に熱を抱えた声。

空気を含んで、わずかにざらつく。


それなのに。


音に乗った瞬間、揺らがない。

耳に触れたまま、離れない。


気づけば、口をぽかんと開けて聞き入っていた。

こんな声、初めて聞いた。


団長が手をあげて演奏の指揮をとる。

楽器の音が響き、その声に寄り添う。

包むように、支えるように。

けれどユーシリアさんの歌声は埋もれない。

むしろ——声が、音の広がりを引き上げ、高めている。


その時。


低く、もう1つの声が重なる。

団長だ。

まっすぐで、無駄のない声。

聞き慣れた歌声、そのはずなのに、1人で歌う時と響き方が違う。

ユーシリアさんの声を支えながら、同時に、自分の位置を一歩も譲らない。


2人の声が重なる。溶けるわけでも、ぶつかるわけでもない。ただ、ぴたりと噛み合う。

それだけで、音が完成する。


そして曲が終わり——


「……」


誰も、言葉を出さない。

さっきまでの“整っていた演奏”が、今はもう、別のものになっていた。

衝撃で、まだ口が閉じられない。


「引っ張られないように、ね」


ふふっといたずらっ子のように笑うユーシリアさんに、皆と共に苦笑するしかなかった。

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