20
最後の音が弦から放たれて消えて演奏が終わる。
ふっと少しだけ空気が緩み、体の力が抜ける。
団長がユーシリアさんに向き直る。
「2小節目、少し遅らせる」
「あそこ?それなら入りを少し落とすわ」
短い言葉だけでわかりあい、どんどん調整していく。
そんな2人を見ながら、私は踊り終えて柔軟をしながら汗を拭いているリュミのそばへ、水を持って近づいた。
「ねぇ、リュミ」
小声でリュミに問いかける。
「今の……なに?」
「え?」
きょとんとしたあと、すぐににやっと笑う。
「あー、そっか、リネ知らなかったね」
少しだけ声を潜める。
「ユーシリアさんって昔すっごく有名だったんだよ」
「……え?」
「歌い手として。王都で名前知らない人はいないくらい」
その言葉に、さっきの声が蘇る。
あの歌声。納得するしかなかった。
リュミはタオルで汗を拭きながら、水の入った瓶を受け取る。そして一気に飲み干し、息をついてから続けた。
「今はあんまり歌わないけどね」
「そうだよね、私初めて聞いたよ」
「びっくりしたでしょ、ここぞって時だけ歌うの」
肩を回しながら軽く足を踏み鳴らす。
本番に向けて体を冷やさないようにしているのだろう。
「歌うのすごく楽しそうだったのに、なんで普段は歌わないのかな」
「さぁ。なんか理由聞くのも野暮かなぁって思ってずるずるきちゃって、今更聞きづらいんだよね」
少しだけ肩をすくめる。
「そうだ!リネ今度聞いてみてよ」
「えぇー?まぁ、聞けたらね」
私も同じだ。
気になるけれど、簡単に踏み込んでいい気がしない。
そんなことを話しながら、ふと視線を上げる。
団長とユーシリアさんは、まだ静かに言葉を交わしていた。さっきまでの熱をそのまま保ったような、張りつめた空気の中で。
その時。
コン、と扉が叩かれた。
「6番の皆さん、お時間です」
外からの声。
一瞬で、空気が切り替わる。
今、6番と呼ばれた。
つまり私たちは6番目。すでに5組が終えている。
ここから先は、本番。
これから演奏し、踊り、歌うのは——皆だ。
私は袖から、それを応援し支えることしかできない。
だからこそ。一瞬も目を離さないで挑もう。
返事をして扉を開けると、案内の係だろう。
男性が2人立っている。
「こちらへ」
先導する一方で、もう1人が荷物や楽器に目をやる。
「お荷物や大型楽器はお任せください」
静かにそう言って、手を伸ばす。
ふっと魔力が広がる気配。
次の瞬間、ブラムさんの大きな打楽器やフェリクスさんの複数の小型打楽器、私たちの荷物、全てが音もなく浮き上がった。
揺れない。傾かない。
繊細な張り具合も、調律も、そのままに。
「……すごい」
思わず声が出る。
隣でフェリクスさんも呆気にとられたように小さく頷いた。
「……ここまでとはな」
廊下を歩く。
足音が、石の床に響く。
ホール前についた。
とうとうその大きな扉が開く。
引き開けられた扉の内側から闇が溢れた。
明るい廊下との落差に、思わず目を細める。
瞬きを繰り返し、目を慣らしながら中へ進む。
舞台だけが、灯りに照らされている。
客席は暗い。
ホールは想像よりずっと広かった。
天井も高い。空間が、深い。
音の反響が廊下とはまるで違う。自分の呼吸さえ大きく聞こえる気がした。
左手の通路を進み、舞台横の扉へと向かう。
そこから階段を上がる。
一歩。
舞台に足を踏み入れた瞬間、床の感触が変わる。
磨かれた木の床。反響のある空間。
客席は広く、静まり返っていた。
楽器や荷物を運び入れると、案内係の2人は礼をとり去っていった。
皆は慣れた様子で受け取った楽器を確認し、それぞれの立ち位置を調整していく。
会話はほとんどない。
でも迷いもない。
私は袖に下がって、その様子を見守る。
こんな舞台に立つのは——というより、こんな場所に来るのも、初めてだ。
胸の奥がざわつく。額に汗が滲む。
皆はあんなに冷静だというのに、私の心臓だけがやけにうるさい。
落ち着いて。私は応援するだけ。自分で自分に言い聞かせる。
見ていればいい。
ただ、一瞬も目を離さないで。
そう言い聞かせながら、ふと客席を見渡す。
中央に、2人。
後方に、1人。
あの人たちが審査員だろうか。
その表情は遠くて読めない。
ただ、こちらをまっすぐに見ているのはわかる。
楽器の位置、踊りの範囲。
全ての確認が終わり、舞台に静寂が落ちる。
その時。
空気が、震えた。
言葉が魔力に乗って届いてくる。
そばに誰もいないのに、すぐ近くで聞こえる声。
客席全体に、均等に、やわらかく。
——演奏を始めてくれ
その言葉を合図に団長が深くお辞儀をする。
そして片手をあげて皆を見渡し、頷く。
アナスタシアさんの笛が、静寂を割った。




