表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仮初を生きるもの  作者: 木南一果
その手を

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

101/101

21

アナスタシアさんの笛が、静寂を割った。


細く、まっすぐに伸びる音。

けれど弱くはない。


空気をなぞるように広がりながら、この場の輪郭をひとつに整えていく。

空間が、その一音で揃えられる。

皆の意識がひとつになる。


そして、弦が重なる。

エルドさんとセヴランさんの音が、笛の輪郭をなぞるように入り込む。

音が、積み上がっていく。


私は舞台袖から、舞台を見渡した。


リュミが動く。


音に乗って、ではない。

音と一緒に、だ。


足が床を離れる瞬間。

腕が弧を描く瞬間。

着地の瞬間。


そのすべてが音と重なり合っている。

踊りと演奏のどちらが先なのか、わからなくなる。


普段のリュミを知っている。

明るくて、よく笑って、よく食べる、優しいお姉ちゃんみたいな人。


でも今、舞台の上のリュミはそうではない。

私と違う空気の中にいるみたいだった。


ブラムさんの打音が、床から突き上げてくる。

体の芯に当たる。思わず胸に手を当てた。


ブラムさんの横顔が見える。

視線は、ずっと団長へ向けられている。


団長の指先がわずかに動く。

その直後、打音が落ちた。

一切の迷いがない。


フェリクスさんは、少しだけ楽しそうだった。

眉間に皺を寄せながら、口元だけがわずかに緩んでいる。

あの顔は知っている。うまくいっている時の顔だ。


その手は休みなく動き続けている。

小さな打音が、隙間を埋めるように音を刻む。

強くはないけれど、その音があることで流れが崩れない。


エルドさんは動かない。

ただまっすぐに弦を弾く。音が揺れない。

どれだけ音が重なっても、そこだけは変わらない。

流れの中にいるはずなのに、まるで1人別に通った線みたいに、ずっと同じ場所に在り続けている。


セヴランさんは目を閉じていた。

自分の音だけではない、皆の音に集中しているのがわかる。

その弦から高い音が、すっと伸びて広がる。

他の楽器の音が重なっても、その輪郭だけは消えない。

一番上を旋律が軽やかに流れていく。


少しでも揺れれば、全部が崩れそうな場所。

それなのに、その音はまっすぐだった。



団長は、全員を見ていた。

歌いながら、調整をしながら、全員を。

誰かの音が揺らぐ前に、もう視線がそこへ向いている。


そして。


団長とユーシリアさんの視線が交差する。


ユーシリアさんが、息を吸う。


それに合わせて、音がさらに広がる。

全員が、同じ瞬間を目指しているのが分かった。


声が、放たれる。


低く乾いて熱を帯びた声。

練習で聞いた時とも、少し違う。

空間が広い分、輪郭が際立っている。

天井へまっすぐに伸びていく。


楽器の音が、その声に寄り添う。

包み込み、押し上げる。


さっきまでとは違う。

声を中心に、音が組み替えられていく。


気がつけば、私は呼吸を忘れていた。


客席後方。

審査員の1人が、わずかに身を乗り出した気がした。

暗くて遠いから見間違いかもしれない。

でも、そう見えた。


最後の音が静かに伸び——消える。

一瞬の沈黙。


それから、団長が頭を下げた。

皆が続く。

私も舞台袖で、深く息を吐く。

そして皆と同じように、頭を下げた。



——後ほど合否を伝えにいく、部屋で休まれよ



始まりの時と同じ、空間に響く魔力を通した声が頭上から落ちてくる。


その声に団長が再度頭を下げ、それから私たちに撤収を伝えた。


皆が切り替えて動きだす。

私は余韻から覚めきれていない。

さっきまでの音が、まだ耳に残っている。

足元が少しだけ頼りない。


夢から覚めきらないまま、それでも足を、手を動かす。

順番に皆を周り、衣装の紐をほどき、繊細な装飾を移動前に外していく。


来た時と同じように、案内係の男性が魔力で荷を浮かせる。

静かに、正確に運ばれていく楽器。

そのおかげで撤収は早かった。


部屋に戻る。


中に入り、扉を閉めた、その時。


「緊張した……」


ぼそりと小さな声。


思わず振り返る。

アナスタシアさんだった。


さっきまでと同じ人には見えない。


練習の時も、舞台の上でも。

あんなにまっすぐに立って、音で場を整えていたのに。


その人が、今は肩の力を抜き、あれほど大切にしている衣装を脱ぐこともなく、崩れるように地面に座り込んでいた。


「だ、大丈夫ですか!?」


近くで見ると、瞳がわずかに潤んでいた。


「手が……震えるの」


弱々しい声。

さっきまでの姿が、まるで嘘みたいだった。


どうしたらいいのかわからず立ち尽くしていると、肩をぽんと叩かれる。


「大丈夫だ」


振り返ると、フェリクスさんが笑っていた。


「大きい場所だと、アナスタシアはいつもこうなる。すぐ戻るから、ほっといていいぞ」


そう言われても、と思いながら視線を巡らせる。


——けれど。


様子がおかしいのはアナスタシアさんだけじゃなかった。


セヴランさんは何かをぶつぶつと呟きながら、紙にひたすら書きつけている。

なにかの旋律だろうか。ペン先が止まらない。


ブラムさんはいつの間にか床に横になっている。

寝息が聞こえる気がした。


エルドさんは窓を開け、上半身を外に出している。

外の空気を吸い込んでいるのだろうか、じっと動かない。


「……え?」


思わず声が漏れる。

さっきまで、皆あんなに凛々しい背中だったのに。


私が目を白黒させていると、ユーシリアさんがくすりと笑った。


「何回やっても、緊張するのよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ