21
アナスタシアさんの笛が、静寂を割った。
細く、まっすぐに伸びる音。
けれど弱くはない。
空気をなぞるように広がりながら、この場の輪郭をひとつに整えていく。
空間が、その一音で揃えられる。
皆の意識がひとつになる。
そして、弦が重なる。
エルドさんとセヴランさんの音が、笛の輪郭をなぞるように入り込む。
音が、積み上がっていく。
私は舞台袖から、舞台を見渡した。
リュミが動く。
音に乗って、ではない。
音と一緒に、だ。
足が床を離れる瞬間。
腕が弧を描く瞬間。
着地の瞬間。
そのすべてが音と重なり合っている。
踊りと演奏のどちらが先なのか、わからなくなる。
普段のリュミを知っている。
明るくて、よく笑って、よく食べる、優しいお姉ちゃんみたいな人。
でも今、舞台の上のリュミはそうではない。
私と違う空気の中にいるみたいだった。
ブラムさんの打音が、床から突き上げてくる。
体の芯に当たる。思わず胸に手を当てた。
ブラムさんの横顔が見える。
視線は、ずっと団長へ向けられている。
団長の指先がわずかに動く。
その直後、打音が落ちた。
一切の迷いがない。
フェリクスさんは、少しだけ楽しそうだった。
眉間に皺を寄せながら、口元だけがわずかに緩んでいる。
あの顔は知っている。うまくいっている時の顔だ。
その手は休みなく動き続けている。
小さな打音が、隙間を埋めるように音を刻む。
強くはないけれど、その音があることで流れが崩れない。
エルドさんは動かない。
ただまっすぐに弦を弾く。音が揺れない。
どれだけ音が重なっても、そこだけは変わらない。
流れの中にいるはずなのに、まるで1人別に通った線みたいに、ずっと同じ場所に在り続けている。
セヴランさんは目を閉じていた。
自分の音だけではない、皆の音に集中しているのがわかる。
その弦から高い音が、すっと伸びて広がる。
他の楽器の音が重なっても、その輪郭だけは消えない。
一番上を旋律が軽やかに流れていく。
少しでも揺れれば、全部が崩れそうな場所。
それなのに、その音はまっすぐだった。
団長は、全員を見ていた。
歌いながら、調整をしながら、全員を。
誰かの音が揺らぐ前に、もう視線がそこへ向いている。
そして。
団長とユーシリアさんの視線が交差する。
ユーシリアさんが、息を吸う。
それに合わせて、音がさらに広がる。
全員が、同じ瞬間を目指しているのが分かった。
声が、放たれる。
低く乾いて熱を帯びた声。
練習で聞いた時とも、少し違う。
空間が広い分、輪郭が際立っている。
天井へまっすぐに伸びていく。
楽器の音が、その声に寄り添う。
包み込み、押し上げる。
さっきまでとは違う。
声を中心に、音が組み替えられていく。
気がつけば、私は呼吸を忘れていた。
客席後方。
審査員の1人が、わずかに身を乗り出した気がした。
暗くて遠いから見間違いかもしれない。
でも、そう見えた。
最後の音が静かに伸び——消える。
一瞬の沈黙。
それから、団長が頭を下げた。
皆が続く。
私も舞台袖で、深く息を吐く。
そして皆と同じように、頭を下げた。
——後ほど合否を伝えにいく、部屋で休まれよ
始まりの時と同じ、空間に響く魔力を通した声が頭上から落ちてくる。
その声に団長が再度頭を下げ、それから私たちに撤収を伝えた。
皆が切り替えて動きだす。
私は余韻から覚めきれていない。
さっきまでの音が、まだ耳に残っている。
足元が少しだけ頼りない。
夢から覚めきらないまま、それでも足を、手を動かす。
順番に皆を周り、衣装の紐をほどき、繊細な装飾を移動前に外していく。
来た時と同じように、案内係の男性が魔力で荷を浮かせる。
静かに、正確に運ばれていく楽器。
そのおかげで撤収は早かった。
部屋に戻る。
中に入り、扉を閉めた、その時。
「緊張した……」
ぼそりと小さな声。
思わず振り返る。
アナスタシアさんだった。
さっきまでと同じ人には見えない。
練習の時も、舞台の上でも。
あんなにまっすぐに立って、音で場を整えていたのに。
その人が、今は肩の力を抜き、あれほど大切にしている衣装を脱ぐこともなく、崩れるように地面に座り込んでいた。
「だ、大丈夫ですか!?」
近くで見ると、瞳がわずかに潤んでいた。
「手が……震えるの」
弱々しい声。
さっきまでの姿が、まるで嘘みたいだった。
どうしたらいいのかわからず立ち尽くしていると、肩をぽんと叩かれる。
「大丈夫だ」
振り返ると、フェリクスさんが笑っていた。
「大きい場所だと、アナスタシアはいつもこうなる。すぐ戻るから、ほっといていいぞ」
そう言われても、と思いながら視線を巡らせる。
——けれど。
様子がおかしいのはアナスタシアさんだけじゃなかった。
セヴランさんは何かをぶつぶつと呟きながら、紙にひたすら書きつけている。
なにかの旋律だろうか。ペン先が止まらない。
ブラムさんはいつの間にか床に横になっている。
寝息が聞こえる気がした。
エルドさんは窓を開け、上半身を外に出している。
外の空気を吸い込んでいるのだろうか、じっと動かない。
「……え?」
思わず声が漏れる。
さっきまで、皆あんなに凛々しい背中だったのに。
私が目を白黒させていると、ユーシリアさんがくすりと笑った。
「何回やっても、緊張するのよ」




