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廊下を進み、階段をひとつ登る。
それから長い廊下を進んだ先で、案内してくれていた女性が足を止めた。
「こちらでございます」
静かに扉が開かれる。
中に踏み入れる前から、空気が変わった。
あたたかい。
中に入るとほんのりと白く視界が霞む。
湯気が肌に触れ、空気が温かくてやわらかい。
「左手が女性用、直進した先が男性用でございます。それぞれに見張りと係の者がおりますので、ご不明な点がございましたら、お気軽にお申しつけください」
どうやら案内してくれた女性はここまでのようだ。
「ありがとうございます」
皆が口々に言うと、ふわっと微笑んだ。
「旅の疲れを、どうぞゆっくりほぐしてくださいね」
硬いだけの丁寧さではない。
柔らかくこちらを気遣う言葉だった。
形だけではなく、本心からのものだとわかる。
それが、素直に嬉しかった。
この人は私たちを歓迎してくれている。
そう思えたことが、胸の奥を少しあたたかくする。
女性は静かに一礼し、踵を返す。
私はその背中をしばらく見送っていた。
「さぁ、いきましょ」
いつになく伸びやかなユーシリアさんの号令で、男女に別れて浴場へ向かう。
扉の前に女性と男性の兵士が立っていた。
私たちの姿を確認し、名前を名簿と照らし合わせてから扉の鍵を開けてくれる。
そこは衣服を脱ぐための広間になっている。
故郷のカンシーラでも町の大浴場にたまに行っていたから、造り自体は同じだとわかる。
けれど、煌びやかさも広さも、まるで違った。
「中どうなってるのかな」
リュミが待ちきれず、服を脱ぐ前に浴室へ続く扉を開ける。
私も気になり、それに続いた。
「わぁ……」
中を覗き込み、2人同時に声が漏れる。
石で作られた広い浴場。壁も床も淡い色で整えられ、灯りが水面に反射して揺れている。
奥には大きな湯船があり、静かに湯気を立てていた。
「……はぁぁ……」
リュミが力を抜いたように声を出す。
「すごい……ほんとに入っていいのこれ……?」
「いいのよ、だから案内されたんでしょう」
アナスタシアさんが靴を脱ぎながら淡々と言う。
けれど、その口元はほんの少し緩んでいて、声も明るい。
私もそっと服を脱ぐ。
床はほんのり温かくて、足裏に心地いい。
服を脱ぎながら、ふとさっきの視線を思い出す。
胸の奥に残っている小さな棘。
「リネ、どうしたの?」
ユーシリアさんの声に、はっとする。
どうやら手が止まっていたらしい。
小さく首を振る。
「なんでもないです」
今は、目の前の幸せを逃したくない。
「先入るねー!」
気づけばリュミが先に脱ぎ終わり、湯船へ駆けていく。
「熱っ……あ、でも気持ちいい!」
その声に、ユーシリアさんと顔を見合わせて笑ってしまう。
私たちも浴室の中へ入る。
湯浴み専用の従業員が壁際に立っていた。
係の者がいるとは聞いていたが、3人もいることに少し驚く。
そのうちの1人に案内され、リュミは湯に入る前に体を洗われている。
さっきまでの勢いはどこへやら、大人しくされるがままだ。
「……人に洗ってもらうなんて、母さんがいた頃以来で緊張するぅ…」
心配したが、その必要はなさそうだ。
すぐに受け入れて、夢心地だわぁ、と堪能し始める。
さすがリュミ。
私は緊張したまま体を洗われ、泡を流してもらう。
ようやく湯に入れる。
旅に出てからは日々、清浄魔法で清めるだけだった。
久しぶりのお風呂。
ゆっくりと足を入れる。
「あ……」
思わず声が漏れる。
あたたかい。
じんわりと、足先から体の奥へと熱が広がっていく。
肩まで沈み、ゆっくりと息を吐く。
「……はぁ」
力が抜けていく。
さっきまで胸の奥に残っていたざわつきが、少しずつほどけていくのがわかる。
ぼんやりと水面を見つめていると、隣でユーシリアさんがふっと微笑んだ。
「リネ」
名前を呼ばれ、顔を向ける。
「疑問、たくさんあるわよね」
やわらかい声だった。
「あります」
小さく、でも確かに頷く。
団長のこと。
この街のこと。
聞きたいことは、いくらでもある。
「大きいものも、小さいものもあるわよね」
そう言って、少しだけ目を細めて天井の光を見る。
「大丈夫。明日、ちゃんと話しましょうね」
穏やかに、でもはっきりとした声音。
「今は考えなくていいわ。今日は、休む日」
「…はい」
自然とそう言葉が出る。
ユーシリアさんはただ微笑み、小さく頷いた。
そのやり取りを聞いていたのか、アナスタシアさんが言う。
「そう。今の問題は、保湿よ」
真剣な声だった。
「この宿の感じなら、何種類か置いてあるはず」
髪をまとめながら、ちらりと係の人を見るその瞳が力強く輝いている。
「普段は諦めてるけど、こういう時こそ手をかけてあげなくちゃ」
完全に意識がそちらに向いている。
「絶対、最新の物があるわ」
妙な確信をもって言い切る姿に、思わず笑ってしまう。
「えー?なにか違うの?」
リュミが顔だけ出して聞く。
「違うに決まってるでしょ。日々美容は進化しているの」
即答だった。
「へぇ……」
頷いたあと、ぱしゃっと湯を叩く。
「よくわかんないけどさ、お風呂最高だねぇ!」
ぱたぱたと腕を動かし、楽しそうに笑う。
「静かにしなさい、はしたない」
「久しぶりだからさぁ」
「それは理由にならない」
そう言いながらも、アナスタシアさんの口元も緩んでいる。
そのやり取りを見て、また小さく笑ってしまう。
さっきまで感じていた居心地の悪さが、嘘みたいに遠くなっていた。




