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野生動物がくる、そう言われて慌ててしまう。
何か武器になるものを用意すべきだろうか?
2人でこの野営地を守れるのか、皆を起こすのか——
「結界ってどんな役割なんですか?さっき結界の魔法使いましたよね?入ってきます?」
不安から早口になりつつ畳み掛けるように質問をしてしまう。
そんな私を見て、少し呆れたような声でセヴランさんが言う。
「さっき張ったのは防壁魔法だ、防壁と結界はまるで違う」
まずは落ち着け、と宥められつつ訂正される。
「防壁は物理的に侵入を防ぐ。結界は防がない。敵が入ったことを味方が知るためのものだ」
「結界だと入れてしまうんですか?」
「そうだ。この2つは用途がまるで違う」
「さっき使った魔法は防壁なんですね?」
「そうだ」
草原はまだ静かで、風だけが低く流れている。
「なるほど…」
「落ち着け」
「…はい」
セヴランさんが、小さく鼻を鳴らした。
「まあ、実際に見ないと安心できないものかもな」
来るぞ。
そう言いながらセヴランさんがすっと立ち上がり、防壁の外へ目を向ける。
私も慌てて立ち上がり、同じ方向を見る。
けれど暗い草原に動くものは見えない。
目を凝らして夜の闇の中を見つめ続ける。
自分の胸の音がうるさくてセヴランさんにも聞こえそうだ。
少しして、草の揺れ方が変わった。
2頭。
音もなく近づいてくる。
細い脚、大きな耳、太い尻尾。
賢そうな琥珀色の瞳がこちらをまっすぐ見ている。
1頭の前足が防壁にぶつかった瞬間、2頭とも動きがぴたりと止まる。
見えない壁の存在を確かめるように、鼻先を近づける。
それから横へ動く。
また止まる。
また横へ動く。
それを繰り返していく。
「賢いな」
感心しているのか、それとも当然だと思っているのか。
声に感情がないままセヴランさんが言う。
「ヴァルフというんだ。見たことあるか?」
「初めて、です」
声を無理やり出す。
緊張で喉が渇いていて、かすれた声になってしまう。
「賢い生き物さ」
やがて2頭は土を掘り始めた。
前脚で勢いよく地面を搔く。
私は息を呑んだ。
でも、防壁は地面の下まで続いているようで入れなかった。
ほっとして息を吐く。
しばらくして、2頭は諦めたように踵を返し、姿を消した。
「……行きましたね」
ほっとして言うと、セヴランさんが首を振った。
「終わりじゃない」
「え?」
「偵察だ。賢い獣は必ずそうする」
草原を見たまま、静かに続ける。
「報告に戻った」
やがて、草原の向こうに気配が戻ってきた。
今度は数が多い。
先頭に、ひと回り大きな個体がいる。
その後ろに、何頭も仲間が続いている。
ボスなのだろうか、先頭の大きなヴァルフが防壁に触れる。
押す。
弾かれる。
もう一度、今度は体重をかけて押す。
防壁は、びくともしなかった。
私は息を詰めて見ていた。
「野生の動物なら、この防壁で十分だ」
セヴランさんが静かに言う。
「もっとも、これが魔獣になると話が変わる。魔獣は力だけでなく魔力で壊しにかかる。防壁にも限界がある」
群れが踵を返し、姿を消していく。
今度こそ諦めたのだろうか。
ほっとしたのも束の間、草原のあちこちで草がわずかに揺れる。
「えっと……囲まれてるような……」
「あぁ、そうみたいだな」
セヴランさんは、変わらず落ち着いたままだ。
「いっせいに体重をかけて、防壁が壊せないか試す気だろう」
「大丈夫なんですよね?」
思わず、縋るように確認してしまう。
いっせいに飛びかかられたら、防壁が壊れたりするのではないだろうか。
怖い。
「大丈夫だと言っただろう」
セヴランさんが、小さく鼻を鳴らした。
「俺の言葉を信じろ」
次の瞬間、草原の影が一斉に動いた。
私は思わず目を閉じた。
衝撃音が来る。
ドン、と。
続けて、ドン、ドン、ドン。
重い体がぶつかる音が、四方から響く。
地面が、わずかに揺れた気がする。
「目を開けろ」
セヴランさんの声が、落ち着いて言う。
「そんなに怖がるな」
恐る恐る、目を開ける。
ヴァルフたちが、防壁に阻まれていた。
ぶつかって、弾かれて、また体当たりして。
それでも入れない。
防壁は、びくともしなかった。
やがてボスが低く吠えると他のヴァルフは後ろに下がる。
そしてボスだけが前に出て、透明な防壁に爪を立てた。
キィー、と高い音が鳴る。
ボスの琥珀色の目がまっすぐこちらを見た。
怖がっている私を、見ている。
値踏みするように。
弱さを確かめるように。
「賢いな」
セヴランさんが静かに言う。
「怖がらせて、内側から崩せないか試している」
やがてボスが踵を返した。
群れが、音もなく草原の闇に溶けて消えていく。
静寂が戻ってきた。
全身から力が抜ける。
気づいたら、私はセヴランさんの腕にしがみついていた。
「す、すみません」
慌てて手を離す。
セヴランさんが小さく息をついて笑った。
「…役得と思っておくよ」
「え」
らしくない言葉に、思わず顔を見る。
けれどセヴランさんは、すでに草原の方へ視線を戻していた。
夜はまだ長い。
旅には知らないこと、怖いことがたくさんある。
それをまた1つ実感した夜だった。




