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影路の上は静かだった。
音がない、というよりも音が遠い。
風が吹いているはずなのに、肌に届かない。
景色は流れているのに、匂いがしない。
薄い布を1枚、世界との間に挟んだみたいな感覚。
隣に座ったリュミと話していても、声は聞こえるし言葉も分かるのに、どこか夢の中で話しかけられているような感じがする。
悪いわけじゃない。
ただ、ここでは世界が少し遠い。
進んでいく景色と、遠い音。まだ慣れない。
私は足元を見ないようにして、流れていく草原に視線を向けた。
遠くを見ていると、少し離れた丘の麓に村らしきものが見えてきた。
「あれって…」
草原の向こうに小さな集落が見えてくる。
とはいえ、聞いていた予定と随分食い違う。
「え、近いね?」
「近すぎない?」
リュミと顔を見合わせると、フェリクスさんが腕を組んだ。
「あの村は違うんだよなぁ」
少し間を置いてから言う。
「あそこは酒もあるし宿もある。そして音楽好きも多くてな。小さいけど、いい村なんだよ」
思い出しながら話すその顔は、なんだかとても楽しそうだった。
「ただな、出禁なんだよ」
「え?」
衝撃的な言葉に思わず声が出た。
「出禁って……フェリクスさん、何をしたんですか?」
「待て待て! 俺は何もしてない!」
フェリクスさんが首を振りながらはっきりと言う。
「団長が酔っ払いに絡まれて、喧嘩買って、勝ったら尾ひれ背びれついて悪い噂になった」
「それで出禁に……」
「そういうこと」
私はそろりと団長の方へ視線を向けた。
団長は、いつの間にか馬たちの方へ移動していた。
コレットの首を撫でながら、小声で何かぶつぶつ言っている。
「……俺だけが悪いわけじゃ……」
聞こえた。
確かに聞こえた。
コレットは慣れているのだろう。
団長の手に鼻先を押しつけていた。
「だからあそこには寄れない。ちなみにこの後も村や町はいくつか出てくるけど、全部寄れないんだ」
「出禁多いですね!?」
思わず大きな声が出てしまう。
リュミは私とは逆に、呆れた顔で何も言わず団長を見ていた。
「違う違う。出禁はあの村だけ。余所者は病原菌だからって入れてくれない町とか、盗賊かもしれないって大人数だと入れてくれない村とか、いろいろあるんだよ」
なるほど。団長のせいではなかったらしい。
リュミと2人、そっと団長の方を見る。
「……いつもいつも……」
どうやらまだコレットに愚痴を言っているらしい。
疑ってしまってごめんなさい。
そのまましばらく影路に乗り、流れていく景色を眺めて過ごしていると、復活した団長が影路に声をかけた。
「よし、今日はここまでだな」
影路がゆっくりと薄れ、足元の黒が土に溶けていく。
それが完全に消えた瞬間、青い風が来た。
草原の真ん中。
遮るものが何もない。
荷車の幌が風を受けて、ばたばたと鳴る。
「風が強いな」
団長が手早く縄を引っ張りながら言う。
皆がそれぞれ動き出す。
私はリュミの隣に立った。
「これ、どこに?」
布を抱えたまま聞くと、リュミが迷わず指差す。
「馬の風よけ。あっちに張って」
「わかった」
柱に布を渡して固定していると、リュミが隣で縄を結びながら聞いてくる。
「天幕の杭、打ったことある?」
「ううん、ない」
「じゃあ次それ一緒にやろ。風強い日は深めに打たないと抜けるから」
「深めね、わかった」
あれは、これは、と声をかけ合いながら手を動かす。
前回よりも動ける。
何がどこにあるか、誰が何をするか、なんとなく分かってきた。
やがて天幕が立ち、馬の風よけも張り終え、焚き火の準備も整う。
全員が揃い、皆が休憩といった様子で草の上に腰を下ろした時。
「開けてる」
エルドさんが草原を見ながら言った。
「こういう場所は、盗賊が来やすい」
喉がひゅうと鳴った。
「ちょっとエルド!」
リュミがすかさず声を上げる。
「怖いこと言わないでよ!」
リュミは心配そうに私を見て、それから胸を張った。
「私がいるから平気。絶対守るから」
その顔があまりにも真剣で、心強いというより、なんだか微笑ましくて思わず笑ってしまう。
「ありがとう」
「まかせて」
リュミが得意げに頷く。
エルドさんは頭を掻き、それきり何も言わなかった。
ただ、見張りの位置を確認してから、静かに夜の草原へ目を向けていた。




