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宿に戻り、残りの荷をまとめて出発の準備を整えていく。
「またいつでも来い」
宿屋の店主が笑いながら言った。
大げさな別れもなく、引き止めもない。
旅人に慣れた町、というだけある。
昨日のあの明るい宴で気持ちを伝える、それがこの町の別れ方なのだろう。
馬の準備を頼まれて厩舎へと向かう。
厩舎では、すでにエルドさんが馬たちの支度をしていた。
コレットがこちらに気づき、小さく鼻を鳴らす。
荷車に繋がれるのを分かっているのか、いつもより目が輝いているようにみえる。
尻尾が強く揺れているし気のせいではないはず。
「手綱をたのむ」
そう言われ、私は少し緊張しながら灰色の馬、ロッテの手綱を受け取る。
数日共に過ごしたことで、少しずつ警戒が減ってきている気がする。
手綱を持っていても、不満そうだが怒りはしない。
やがて荷はすべて積み終わり、馬車の準備も整う。
「出るか」
団長の声で、荷車がゆっくりと動き出した。
やがて町の門が見えてくる。
入った時は書類を確認する手続きがあったけれど、出る時は特に何もないらしい。
門番がこちらを見て軽く手を上げる。
「演奏、良かったよ。またな」
来た時とは違う視線と態度。
少しだけ驚きながら、私は軽く頭を下げてその場を通り過ぎる。
門をくぐると、道が伸びていた。
水車の音がしたような気がして振り返る。
2つの名前候補、老人の言葉、消えたローブの人、夢のような演奏。
——私は前を向いた。
しばらくは街道が続いている。
両脇に草原、すこし遠くに丘。
荷車の軋む音と馬の蹄の音。
歩きながら取り止めもない話をしたり、静寂を楽しんだりしながら、皆それぞれ足を動かす。
「あれじゃないか」
ふいにブラムさんが前方を指した。
門から見えた丘を登りきると、小さな小屋が見えた。
煙が一本、細く空へ上がっている。
次は農村と聞いているのであの小屋が目的地というわけではなさそうだ。
なんだろうか。
「あれが目印だな」
目印、その言葉で1つの存在を思い出す。
影路。
皆で丘を降りる。
小屋が近づくにつれて、また影路に乗るのか、と少し緊張してくる。
怖さはなかったけれど、あの動きにはまだ慣れていない。
座って、遠くを見て、やり過ごすしかない。
小屋の前で、団長が手を上げた。
「ここでいい」
馬たちが合図を読み取り、荷車がゆっくりと止まる。
近くで見ると小屋は思ったよりも古かった。
壁の木は色が抜け、屋根の端には草が生えている。
人が住んでいる気配はない。
けれど、煙だけは確かに上がっていた。
「誰かいるんですか?」
思わず聞くと、フェリクスさんが笑った。
「いないよ、影路からの合図さ」
団長が小屋の前の地面を軽く踏み鳴らす。
「この煙も影ってこった」
足元の影が、ゆっくりと濃くなる。
地面の色が滲むように暗くなり、黒い揺らぎが街道の形に沿って広がっていく。
影路だ。
久しぶりに見るそれは、相変わらず生き物みたいに波打っている。
なるほど、小屋が目印なのだと思っていたけれどそうじゃない。
出ていた煙が目印だったのか。
まさか影路が煙になってみせているとは思いもしなかった…なんて、そんなのわかるわけがない。
わけがわからない。
やはり理解が追いつかない存在すぎる。
団長が影を軽く踏む。
影が嬉しそうに跳ね、揺れた。
「よし、来たな」
ユーシリアさんとセヴランさんが荷車の後輪や馬の前方、皆の立ち位置を確認している。
「全員しっかり範囲に乗ってるわ」
「よし、行けるぞ」
その言葉を合図に、景色がゆっくりと動き始めた。
歩いていないのに道が後ろへ流れていくこの感覚。
丘も、小屋も、あっという間に遠ざかる。
私はなるべく足元を見ないようにして、遠くの空に視線を向ける。
歩いていないのに進んでいく感覚。
一度慣れたと思ったけれど、甘かった。
やはりまだ少し怖い。
緊張して体がこわばっているのを感じる。
長く乗っていればまた身体が慣れてくるだろう、しばらくこのまま我慢だ。
街道はまっすぐ続き、周囲には遮るものがほとんどない。
草原の向こうには低い丘が連なり、遠くまで見渡せる。
フェリクスさんがぽつりと言う。
「今日は野営だな」
「え?」
思わず振り向いて聞き返すと、リュミも肩をすくめた。
「次の村までも遠いんだってー。影路でも1日じゃ着かないらしいよ」
団長が前を見たまま続ける。
「安全な街道を使うんだ、回り道にもなる」
私は、遠くまで続く道を見てからまた振り返る。
町はもう見えない。
どこまでも続く草原と丘。
その真ん中を、私たちは影に運ばれて進んでいった。
ギリギリアウト
11日に間に合わず悔しいです




