配信54枠目 序章、第二節。
「と言う感じで、高校時代の知り合いと久し振りに話せたんだ」
『へー、何も分からん』
銃声飛び交うPaPurとの配信中、特にこれと言った話題も無く、何気ない雑談の流れになり、先生から先日の出来事が話題に上がった。
《コメント》
【と言う感じってどんな感じだよ】
【リアルでその説明が通ると思ってんのか】
【ちゃんと話せ】
【脳内で完結するなカス】
【何も分からん】
【あーなる】
【あーなるやめてね】
「えっとね。青くんと遊びに行くでしょ?そうしたら、青くんが当時入ってた部活の部長も呼んでてね。嗚呼、数年振りだなぁって」
『えー?ユリウス?アイツさぁ。いつも遊びに誘ってるのに断られるんだけど、何で?』
「えっ!?おふたりって、仲悪いんですか!?PaPurとユリウスは仲悪い!?チームメンバーなのに!?おいって、はぁ!?マジで言ってる!?マズイマズイ!ここカットで!絶対拡散しないで!」
『ぅおーい!!!やめろ!タイムラインが荒れる!』
《コメント》
【PaPurとユリウスは不仲マジか】
【マジかよ…信じてたのに…】
【失望した】
【2人の推しでした。先生推すのやめます】
【マジかよ。先生最低だな。見るのやめるわ】
【お前もチームメイト定期】
【味方に敵いるって】
【人狼始まったな】
そんな会話の盛り上がる移動中、丘に差し掛かったあたりで、先生のHPが一気に8割と削られた。どうやら、スナイパーライフルで胴体を射抜かれてしまった様だ。その上、視界に3人の敵プレイヤーが目に入った。
「あっ、やっ……誰かーーー!!!」
『こっちもヤベーイ!たーすーけーてーーー!!!』
《コメント》
【死んだな】
【乙】
【GG】
【GG】
【乙〜】
【GG】
【乙】
【先生の来世にご期待下さい】
誰もが諦めた時、先生が放ったスナイパーが相手プレイヤーの1人を射抜いた。その上、その弾丸は相手の頭部に命中した様で、画面端のキルログにダウンの情報が流れる。
味方がダウンしたのもあり、敵の攻撃が一時的に鳴りを顰める。丘の上から見下ろされる位置関係は変わらないが、何とか体力回復の余裕だけは与えられた。
「やばい。めっちゃ濡れてる!脳が!脳味噌びちゃびちゃ!」
『くぅ〜!カッケェっす!パイセン!一生ついて行くっす!』
《コメント》
【うっま】
【うまいな】
【おっちゃんやるやん】
【脳汁びちょびちょで草】
【ちょっと″アレ″ですね…】
【濡れてる…?(意味深】
【びちょびちょ…?(意味深】
【思春期かな?】
【もう深夜だぞ。江戸ガキはさっさと寝ろ】
「棒立ちカカシくんで助かったよ。お陰様で綺麗に抜けた。ンンッ、キモティー!!!」
『うわ!相手がBOTで助かったマジか!プレイヤーだったらどうすんだよ!』
「いや、そうは言ってないなぁ…」
《コメント》
【先生「棒立ちしてる奴はBOT」】
【先生「BOTも抜けない奴は雑魚」】
【先生「スナで抜かれる奴はFPSやる価値ない」】
【エグいって…】
【そう言う発言は良くないですよ】
【まーた燃えちゃう】
【なんか焦げ臭くね?】
【ちゃんとガス栓閉めた?】
【とりあえず、落ち着いて一服するか…】
【ガチ草】
【ライターカチカチやね】
「…無茶苦茶過ぎる」
『ヘッド抜けないのにスナ持つ奴は今すぐFPS辞めろっ!?うわぁーーー!!!エグいって!先生!流石に良くないって!マズイマズイ!流石にヤバイ!訂正して訂正!』
「落ち着いて落ち着いて。いつまでカチカチしてるんです?まだ敵生きてますよ?」
『全員殺した』
「うわぁ!いきなり落ち着くな!」
画面の端にはPaPurの名前で何個ものログが突如として流れた。どうやら、全員倒したと言うのは嘘では無い様だ。先生が体力を回復させている間に、1人で丘の上まで移動していた。
《コメント》
【草】
【うますんぎワロ】
【強過ぎる】
【これが世界か…】
【うんま】
【先生がコメ欄見てるうちに終わってんのは草】
【先生要らない説】
【そもそも、ソロでもトリオ相手に勝てる人だし…】
【何で先生なんかと組んだんだ…】
【やめたれ。だから先生も練習してるんや】
「いやいや、野良の人も居るのに何やって…俺達…」
『えぇっちょ、ファ!?野良が!?居なかったら!?ランクでも!?ふざけて良い!?コイツマ——』
「もういいよ」
———
——
—
上手く力の入らない手では、ペンを握り続ける事が出来ず、それは机の上を転がった。眉間に皺を寄せ気難しい顔をしている先生は、座り心地の良いチェアに身体を預け、重荷を下ろした時の様に呼吸を吐いて、真っ白な見慣れた天井を眺めた。
「酷い気分だ…」
ペタンと額に鈍い右手を当てる。泥酔した様にぐわりと揺らぐ視界の中でも、掌が冷たい汗で湿っているのが見てとれた。
なんて青ざめた顔だろう!今すぐに休むべきだ!だが、貴方に休む時間などあるのだろうか?休んだ所で、貴方の頭痛の種は無くならないばかりか、更に増えていくばかりだ。
しかし、貴方が休みたいと言うのならば、それは尊重すべき意見なのだろう。そうだ。今日は何も考えずに休んでしまおう。ベッドに横たわり、ゆっくりと瞼を閉じてしまうのだ。
一体、何を考えていたのか、突然に呆れ混じりの溜め息を溢し、少しの沈黙の合間を置いて、ゆっくりと口を開いた。
「…前々から聞きたかったんだが、君の目的は何なんだ?」
おや?もしかして、私に興味を持ってしまったのか?どうやら、貴方は私に何か壮大な真実を求めている様だが、私はただのナレーションであり、それ以上でもそれ以下でもない。この物語が語られる限り、私は存在し続けると言う事だ。
「そう言う設定でくるのか…もしもそうなら、もう少し真面目にやって欲しいな……」
溜め息一つと、額の右手をひっくり返し、照明からの光を手で遮りながら目を閉じる。冷房の音と、電源がついたままのパソコンの駆動音だけが、静かに部屋に響く。
(状況を整理しようか。ミカくんは実家を…皇家を嫌ってる。高校入学を契機に実質的な家出。今になり、父親の正司さんが跡継ぎとして連れ戻した…そこまでは理解出来る)
「わざわざオレと会った理由は何だ?」
(オレを呼び付けてまで、この件を事細かに伝えた理由。オレがミカくんを連れ戻そうとするのを阻止する為?いや、わざわざ俺の事まで詳しく調べて尽くしていたんだ。こんなやり方では逆効果になるのは分かっていた筈…)
考えを予測しようにも、たった一度顔を合わせた程度ではマトモに予測出来る筈も無く、何かしらの意味を持つであろう不可解な行動に、頭を悩ませる事しか出来ない。
(そもそも、正司さんがミカくんを連れ戻した理由が、跡継ぎにする為だけとは思えない。強硬手段に出なければならなかった理由があるのは間違いないんだ。ただ、それが分からない。…皇正司と、皇ハナの派閥争い。ミカくんを無理矢理に連れ戻した所で、ミカくんがすんなりと正司さん側に着くとは限らない。寧ろ、それは悪化を辿る筈なんだ。それとも、ミカくんと言う第三勢力を挟んだ三つ巴が狙いか?いや、それに利点はない)
既に何度辿り着いたかも分からない結論に、最早溜め息の1つも出せない。考え尽くした上でも、出来る事はただ、己の愚かさを悔やむ事だ。
(凛さんの情報が正しければ、あの家で派閥争いが起きてるのは事実。……いや…?何かがおかしい。…幾ら古株とは言え、直系どころか血縁関係でも無い彼女がどうやって当主と張り合えているんだ…?例え、ミカくんの存在を加味したとしても、とても張り合えるとは思えない。それ程、彼女には強力な手札。切り札があると言う事……彼女の派閥の人間で、この争いに参加出来そうなのは……皇ハナさんの孫娘——)
———
——
—
縁側を小走りで歩くミカくんの足音からは、そこはかとなく苛立ちを感じる。視界でユラユラと揺れる前髪を乱雑にかき揚げ、浴衣の強く締められた結びを緩めた。
「坊ちゃん!」
「違え!俺は坊ちゃんじゃねぇ!」
呼び止める女中を一蹴して、ミカくんは足を早める。掃除中だった下女とぶつかりそうになるが、それを間一髪で避け、軽く会釈して再び逃げる様に足早にその場を後にした。
「おーい。こっちこっち」
少しだけ開かれた障子の隙間から、身を乗り出す20代後半くらいの女性が手招きで、ミカくんを誘う。助けの手を差し伸べられたミカくんは、喜んで部屋に入り込み、障子を閉じる。
「悪い、助かった」
「別に良いよ〜。私とアンタの仲じゃ〜ん。それで?今日はどしたの?」
障子の裏で2人並んでしゃがみ込み、耳を澄ませて追手の足音を探りながら、2人は慣れた様子で会話を始めた。
「知らね。聞く前に逃げてきた」
「あっは!それはいいねぇ!」
「うっせ!バカ!デケェ声出すなって!!!」
「あっはっはっは!アンタの方が倍くらいデカいじゃん!」
笑いのあまり、畳を勢い任せに掌で叩く女性。思わず、溢れててきた涙を拭い取りながら、静かに障子を開けて縁側に出た。その音を聞いて此方を見た下女に、人差し指を立てて口を封じる。
「さ、どっか行ったよ。この後はどうすんの?」
「どっかで暇潰すか、脱走する」
「いや〜。脱走は無理でしょ。暇潰しなら…まぁ、付き合ったげるけど?」
「マジでぇ!?」
「マジマジ〜。こっちおいで」
軽快なステップで、中庭に足を踏み入れた女性。Tシャツにホットパンツを合わせただけの、夏に合った涼しげな洋装ではあるが、この屋敷には全く似つかない。木々の隙間から覗き込む鋭い日差しが、その茶色の髪に反射する。
歯を見せて笑う彼女の後を追う様に、ミカくんも中庭に飛び出した。汗滲む熱気が頬を撫でるが、下駄を通して伝わる芝の暖かさに、最早清々しさを感じ始めた。
身体を蝕む暑さから逃れる為、2人は自ずと場所を木陰に移した。葉擦れの中に轟く蝉時雨に耳を傾ける時、小池の中に名も分からない小魚を見つける時もあった。
穏やかな時間の中では、互いに全てを忘れられていた。名家に生まれたと言うだけで、発生した面倒な事柄を、今だけは。互いに言葉にはしない。ただ、静かに平穏の終わりを待つ。
「…18年かぁ…そりゃ、歳も取るよねぇ…」
透き通る小川に手を入れ、水面に映る顔を揺らす。今、どんな顔して話しているのだろうか。しんみりとした声に、隣で地に手を付いて座っていたミカくんが興味を示した。
「どした?18年って?」
「アンタとの付き合いだよ。私等が初めて出会ってから、既にそんな時間が経ったんだよ。政略結婚が当たり前のこの家で、次代の当主が恋愛結婚したって噂でね〜。それで出来た子供はどんなのだろうって…そ〜んなちっぽけな好奇心だったなぁ」
瞳を閉じれば、お互いがまだ幼かった頃の記憶が、とても鮮明に見えてくる。直系から遠く離れた傍系の彼女にとっては、ただ側に近寄る事すらも簡単では無い。
重苦しい会合の中、なんとか遠目でチラリと見えたソレは、とてもつまらなさそうにしている少年。だが、どんな華やかに着飾られた人形にも劣らない。そんな麗しく端正な顔をしているのが分かる。
「今…家ではアンタの婚約者が選別されてる」
その声は、この雑木林の中では、耳を澄ましてやっと聞こえる小さな声だった。
「…おい。そんなん聞いて——」
彼女の意図を理解出来なかったミカくんは、突如として口を手で抑えられながら、抵抗する間もなく彼女によって雑草の上に押し倒された。
「静かに。多分聞かれてる。私は、アンタにその気が無いのも知ってるし、私にもその気は無い。でも、この家には私達の気持ちを汲み取る気なんて、そんなの毛頭無い」
「…おう。確かに誰かがついて来てた。でも、つまり。それが…どういうことだよ?」
相変わらず意図を掴めないミカくんは、四つん這いの彼女の四肢で身動きが取れないまま問い掛ける。相変わらず、察しも悪く回転も鈍い頭に、笑いを堪えきれない彼女が答えた。
「アンタと協力してあげる。アンタはこの家から出るのが目標。私は悠々自適に生活するのが目標。お互いの目標は両立できる。そうでしょ?」
提案に思案を巡らせ、それを豊かに表情で表現している姿が、彼女のミカくんに対する信頼の理由に他ならない。かつて、この家に居ただろうか。彼女の言葉に頭を悩ませる者が。
「そんで?俺はどうすりゃいい?」
「私に乗せられて。そして、アンタの考えも聞かせて欲しい。私達は協力関係。互いに嘘は無し。ね?利害は一致してる。Win-Winでしょ」
無邪気に微笑みを浮かべ、起き上がって手を差し伸べる彼女の姿に感化され、ミカくんも笑顔でその手を握り返した。
———
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(皇雫。難関名門大学を卒業後、平定グループ内の企業へ入社。気怠さを感じる容姿とは裏腹に、人懐っこい性格が特徴であり、周りからの信頼も厚い。だが、それ以上に抱える秘密も多い…)
手慣れた手つきで朝食のベーコンエッグを用意しながら、凛からの資料に記載されていた彼女の記録を鮮明に思い返す。大々的ではないが、かなりの権力を持つ存在である事が、資料には濃く記載されていた。
(彼女を此方側に引き込めれば多分に希望はある。だが、問題はその方法。……いや、ダメだ。ハナ派の彼女をとても説得出来るとは思えないな。やはり、サブプラン止まりか…)
「先生?悩み事ですか?」
「…今日も居るんだね」
何処からともなく現れたヒナに、最早呆れて溜め息も出ない。今日はまだいつもの排気音を聞いていないが故に油断していたのもあり、本心がポロリと顔を出す。
「今頃、ゴミ箱のライバーはイベント準備に忙しいと思ってたんだけどね。それとも、部長さんはその限りじゃないのかな?」
「いやいや、それは私が優秀が故ですよ!事実、なーは来てないでしょ?」
「嗚呼そうだね。部長さんは優秀と言う言葉が良く似合うよ。さて、朝ご飯は食べて来たのかい?そうじゃないなら、是非ご馳走するよ」
先生の誘いを、ヒナは上機嫌で受け入れる。焼き上がったばかりの料理達を先生が適量を器に盛り付け、それをヒナが鼻歌混じりにテーブルへと運んでいく。
「なんだか、ご機嫌だね」
「好きな人と時間を共にしてる訳ですから。当然、鼻歌も出ますよ」
心軽やかにテキパキと食器を並べる顔には満面の笑みが浮かぶ。その眩しい顔に目を背けながら、手元では調理器具の洗浄を始めている。キッチンに戻って来たヒナも、慣れた手付きで引き出しから食器を取り出した。
「…少し気になるんだけど、オレと部長さんは、出会ってから精々1ヶ月しか経っていない筈だけど、そんな好印象を抱かれる様な事をしたかい?例え、配信のファンだったとしてもこうはならないと思うんだけど…」
「んー。それなら、逆に私も聞きたい事があるんですけど、先生は何で私を遠ざけるんですか?私こそ、嫌われる様な事はした記憶無いんですけどね」
「うん…そうだね…理由は多いけど。やっぱり、部長さんが魅力的過ぎるからかな…とても……」
口を開いた流れのまま、後に続く筈の言葉は静かに途切れた。彼女の華やかなピンクの髪から、鮮やかな赤色の耳が見えているのを見て、それ以上は口にするべきじゃ無いと判断した。
「いや、なんでもないよ。忘れて欲しい」
「上手く流しましたね…」
「流した、だなんて。どうやら語弊があるみたいだ。真摯に向き合った上で答えたんだけどね…」
未だ顔を合わせられない彼女に向けられた直球な言葉達が、その初心な耳を更に赤く濃くしていく。火照った熱が冷めないヒナは、心を落ち着かせる為に喉を鳴らした。
「あんな勘違いさせる様な事は、気のない相手に言うべきじゃないと思いますよ…これは無垢な少女からの忠告です」
「勘違いね……部長さんも?」
なんて、冗談みたく笑いかけて見れば、放心状態で手から力が抜けているのが目に入った。手を離れた食器達を、地面に落ちる前に「おっと」と、軽く拾い上げる。
「…さっきから、真顔でよくそんな恥ずかしい事をずけずけと言えますね…」
顔を隠す様に俯き、不満を伝える様に上目で睨み付けているが、その程度では怯まず、先生は脱力状態の手の上に置き、掌で包み込む様に優しく食器を握らせる。
「…恥ずかしいも何も。僕は心から魅力的だと思っているよ」
沈黙が場を包み、時計の針が何回と時間を刻んだ時、リビングの扉が音を立てて開く。
「おはよう」
「嗚呼、おはよう。今日はブラックがいいな。それより、僕、ちゃんと歯が生えてるかい?さっきから歯の感覚がなくてね。いや、誰の所為とは言わないけど。それ、素でやっているのかい?」
「…あはは」
笑顔の裏から滲み出る暗い感情に思わずたじろぐ。オブラートに包まれた言葉の、その棘も鋭さを落とす事なく身体を貫き、反論を考える事すら思い付かないまま、乾いた笑いを漏らす。
「それに、部長さんも」
「わ、私にもあるんだ…」
熱が引かない熟れた頬を両の手で覆い隠しながら、彼から放たれるであろう鋭い言葉に貫かれる覚悟を決める。
「らしくないんじゃないかい?いつも『手玉に取って支配してやる〜』なんて、大事ひけらかしてたのは何処の誰だっけ?まぁ、僕に応援なんて毛頭する気ないけど、進展もなく浅いままの関係なんて、無駄ばかりで目も当てられないなぁ」
「め、面目ない……」
先とは違う理由で頬に熱がこもっていくのが分かる。自分以外にたった2人しか居ない筈の空間にも関わらず、満員のコンサートホールで失敗を嘲笑された様なこれまでにない恥ずかしさに悶え苦しんでいる。
「…ふふっ」
先生は2人の様子を見て、1人で優しく微笑む。今年度から環境が大きく変わった自らの弟。その今までの感情に乏しい表情とは違う、見た事のない楽しそうな顔に、感極まると同時に、何処かに寂しさを、或いは、満たされない気持ちを感じた。
どうやら、貴方は自らの過去を悔いているようだ。初めは、気付く事すらままならない小さな種子だったが、目を背け続けいつしか果てしない大木になっていた。その大樹は、既に手に負える体躯ではない。
(分かってる。だから、オレは向き合わなければならない。過去にも…未来にも……その為に、先ずは皇家の事を終わらさなければ)
今更、貴方に何が出来ると言うのだろうか?既に、貴方の作戦は彼等に伝えられ、後は決行日を待つだけだ。今は英気を養うべきでは無いだろうか。
(だからって、親友が苦しんでいるのをただ黙って見てはいられない。オレはもう、後悔するだけしか出来ないのは二度として御免だ)
エアコンの環境下で年中を過ごす先生でも、エアコンの乾燥した空気には水分を奪われる。気付けば乾いていた喉の為、疲労で重い身体を引きずる様に冷蔵庫を開く。
扉を閉めるまでの間、冷蔵庫から漏れる光が、暗いキッチンの床に長い自分の影を作る。不意にそれを見た時、凹凸の無い平坦な自分の顔と、まるで目が合っている様に感じた。
それは驚いた。貴方がそんな考えだったとは。
「…?一体、何が言いたいんだい?」
貴方はいつまで誰かの為だけに生き続けるのだろうか?
「君…」
だって、貴方にそんな記憶はないのだろう?
扉が閉まる音と共に、床に差し込んだ光が消えた。不気味な影も床中に広がったか、その姿を消した。先生は何を言う事も無く、ただ静かにそれを見つめる事しか出来なかった。
———
——
—
「よっ」
喫茶店で突如、怪しげな男性に声を掛けられ、思わず飛び退こうと椅子を飛び降りる。警戒心を強めながらその相手を見つめると、それが知り合いである事に気付き、思わず気が抜けてしまった。
「…誰かと思ったよ」
まるで不貞腐れた子供の様な顔をして、義父は椅子に座り直した。いつもの気を張っている余裕の多い大人びた表情では無く、脱力した彼本来の素の表情だった。
「そんな驚くか?そんな焦った顔なんてらしくも無い。お陰で良いものは見れたけどなぁ」
「…そりゃあ、真面目を絵に描いた様な少年が、機能性の無い変なサングラスを掛けた陽気なおじさんになってたら、誰でも目と脳みそを疑うさ」
何を説明させられているのかも分からないまま、冷えた珈琲に口をつける。深い苦味が口内に広がり、身体の熱を冷ました時、その時になって、自身が記憶喪失だった事を思い出した。
「はぁ?少年って何年前の話だよ」
「……もう一杯貰えるかい?」
———
——
—
今に至るまでの経緯を、グラスの氷が溶けて無くなる程の時間を掛けて、ゆっくりと言葉にしていく。時折、軽口や冗談も挟み、薄くなった珈琲を飲み干した所で、長い話も終わりを迎えた。
「はー。遂にお前もかぁ…通りで、俺の顔なんて見慣れてるだろうに、下手にオーバーな反応だと思ったよ。…やっぱ、お前でも無理か」
「まぁ…原因がそうだとは限らないけどね」
そう言って、伸びた前髪を掻き上げる。黒と白の混ざった髪の下からは痛々しい傷と、それを縫い合わせる黒い糸が見えていた。軽く触れただけで血が滲み出てきそうだ。
「うぉ…こりゃ痛そうだ。隠せ隠せ。食欲が失せる。止血帯もいるか?」
「…そうだね。貰おうかな」
「ったく。何やってんだよ…」
そんな悪態を吐きながら、救急箱から必要な物を取り出し、傷を消毒してからガーゼを貼り付けた。立場も見た目も大きく変わっているが、記憶に残る面倒見の良いマスターに、傷は痛むが笑みが溢れる。
「…何ニヤニヤしてんだよ」
「いや、いつもと変わらないなぁ…って。20年と経ってるのに変わらないね。見た目以外は」
「嗚呼、見た目以外はな。それで。記憶は何処まで戻ったんだ?」
その問い掛けに、言葉を詰まらせる。家族写真に映る彼女の姿を見た時、数多くの記憶と思い出が脳裏を過ぎ去っていったが、所々が欠け落ちている。
「…大学生かな。いや、既に入社して…うん。少なくとも、彼は居たね」
「んー。少なくとも、アイツの卒業後なら2年だろ?…消えたのはここ20と数年分くらいか」
「いや、その辺りハッキリしないんだ。濃霧に包まれたみたいに…思い出せる中で1番新しいのがその記憶ってだけだよ。結局、彼がどうなったのかも分からない」
「…そうか」
静かに頷く声は、嬉しそうにも悲しそうにも聞こえる。その一言で、彼が一体どんな結末を迎えたのかを知ってしまった。これ以上は、願いも祈りも虚しさを生むだけに過ぎない。
「……少し、暗い話になっちゃったな。奥さんとはどうだい?」
「いや、奥さんじゃねぇよ!…とは、言わない。言えないしな…」
マスターの言葉に時間の流れを強く感じる。彼等のやり取りを夫婦漫才だと、揶揄して楽しんでいた時間は既に遠い過去の話になってしまっていると同時に、思いを馳せる事しか出来なかった未来が、目前にある事に喜びも感じた。
「…それはまた、おめでたいね。式から何年くらい経ったんだい?」
「まぁ…その…何だ。子供が起業するくらいは経ったか…」
何処か気まずそうな態度に、まさかとちょっとした邪推が脳を揺さぶる。距離が近いとは常々思っていたが、まさか、そこまで進んでいるとは思ってもいなかった。
「…あれ?もしかして……その…デキちゃった感じ…かな?」
「嗚呼そうだよ!!なんか悪いか!?俺達世代なんてそんな奴ばっかりだろ!?どうせ、俺はお前等程誠実じゃ有りませんよ!ええ!!」
「ごめんごめん。弄りすぎたよ。こんな話をするのもなんだか久し振りだからさ。御祝儀でも包もうか?」
「もう十分貰ってるよ!記憶喪失になる前のお前から!娘への小遣いもな!お陰で俺よりもお前にべったりだ…今も」
恨めしく睨み付ける姿の親友から、父親としての一面を感じるが、奇しくもそんな記憶が無い以上、見知らぬ濡れ衣を着せられた様な気分になってしまう。
「悪いね。何の事だかさっぱりだよ」
「お前な…記憶喪失じゃなかったら、悪い男にも程があるぞ…」
そうして、2人で静かに笑い合う。他愛も無ければ、益体も無い、そんな意味を持たない無駄話が、記憶喪失によって芽生えた孤独を、少しずつゆっくりとだが埋めていく。
少ない所持品の1つ。固く閉ざされていたスマホのパスワード。それを1日をかけて解除した時、その時になって、父親としての自分が存在している事を強く実感した。
知らない自分が、自分を名乗って生きている。自分を名乗り、自分の仕事をしている。自分を名乗り、自分も知らない役割を担っている。
でも、彼と話して、その恐怖を受け入れる事が出来た。
「はぁ…それで?俺に会いに来た理由があるんだろ。本題は何だ?」
「…彼の事。結末を知りたい。出来るなら、会えたりしないかい?」
膝の上で不安そうに両手を絡ませる。人前で不安を見せる行為は白雪家の家督を継ぐ者として絶対に許されない。例え答えが分かっていても、それでも、藁に縋ってしまうのだ。
「そんな事…いや、そんな事じゃないか…お前が求める答えかは分からないが…そうだな。会って確かめたら良い」
「…何を持っていくべきかな」
「俺はお前と違って、アイツが好きな花なんて知らねぇよ…」
伝票を置いて去っていったマスターの後ろ姿には、後悔と哀愁が漂っている。手元の伝票に目を向ければ、下に挟まれた紙が目に入る。
何処かの住所が書かれているそれが、″彼″の居場所なのだろう。そして、その住所には見覚えがあった。何度も足を運んだ記憶すらある。当然、そこがどの様な場所なのかも全て。
「…そっか。そりゃそうだ。分かってはいたけど……」
結露が滴るグラスを傾けた時、机の上に雫が垂れる。一滴、また一滴と滴り落ちるも、もうこれ以上滴る事はない。空の乾いたグラスは、とうの昔に机の上に置かれている。
水に濡れた手で、住所の書かれた紙を強く握り締め、財布から伝票に書かれた金額と同じ小銭を取り出す。そのまま、誰に振り返る事もなく静かに店を後にした。
お久し振りです。生きてます。
気付けば10月が終わろうとしていました。次はもっと早く仕上げます。これからも宜しくお願いします。
それにしても、投稿が遅れる度に一話毎の文字量が増えている様な…




