第二十話「警告」(#48)
波無津鉄工所の事件が波紋を広げたが、其の波紋に人は二週間も経たぬ内に慣れていた。抑々、年末だからと云うのもあるかも知れないが……恰もL’2039の終わり迄一週間を切った、十二月二十九日。ほぼおせちは完成していると云っても過言では無かった。居敷で獲物を捕らえ、火を熾して捌いていたマコトやミツグは勿論上達した(少なくとも傍目には然う見えた)が、料理の知識が無かった僕でさえも、くつねの御蔭であらかた出来る様にはなった(ピミャは移り住んだ頃から料理をしていたし味も良かった)。
くつねと云えば、僕は暇な時彼れの魔法の実験台になっていた。魔法は何れも、霊魂を力の源として空間を介して相手に干渉するものだが、干渉する相手や与える影響で様々に種類分けされているらしく、僕が受けたものは何れも軽いものだった。慣れてきた中で、彼れは唐突に、「年末だから、此の時期位は魔法を貴方にかけるのはやめておくわ」と告げたのだった。
え、と困惑し調理の手が止まった僕を尻目に、緊急事態が起きたら嫌でしょと至極真っ当な事を聞いてきた。意味は分かるが、しっくりこなかった。以前実験で結果的に心の内、或いは記憶を見せ合ってしまった事があったので、何かを又韜晦する為な気がしたのだ。
魔法が引き起こす「緊急事態」とは何か尋ねた。
「所謂『筌蹄事案』と呼ばれるものよ。魔法の使用と云う目的が達成されても、呪文や魔法の発動陣は残る……魔法を受けた人間に情報として蓄積されているの。本当に偶に、其れが何かで新しく実行された魔法と干渉して循環参照や矛盾が生じる。其れが誘発されると想定外の現象……例えば発火や白化したり、精神崩壊を起こしたりする事があって、其れを『筌蹄事案』と云うのよ」
長い答えが返ってきた。要約せよとでも云いたいのか、解説になっているか微妙なものだったが、話し乍らでは筆削も出来ぬ。説明をする気はあるので此方も暫く反芻して理解した。聞いた感じでは珍しそうだが、念には念を、だ。
「魔法をかける側も等閑にしてかん処なんだけどね」
つい忘れている事を含意した言い方をしたくつねに、自分に残る魔法が心配になった。韜晦の尤もらしい理由と云うより、僕自身の人格に係わる話なので仕方ないと諦めると、其れを吹き飛ばす程の王女の訪問が直に聞こえた。
「今年も残す処僅か……」
「何やってるんだエリナー」
買い物に行っていたピミャがエリナーの地衿を摑んだ。後ろでマコトも冷ややかに見ている。折角来たのにと最初の頃とは全く違う態度で文句を言った彼れに、然うでも五月蠅くするのは礼儀の話だと冷静に応え、喧嘩になりかけた。
「まさか此の二人が其れ程迄に仲良しになっていたとはね」
とのミツグの言には二人以外肯った。
「何時の間にそんなになってたのか」
僕は不服で頬を膨らませた。宥めるのは何時だってマコトか僕かゞするのだ。此の六人の中で僕とマコトとが一番落ち着いて見えるかららしいが、最近マコトは前世の話をして自分の出自に無縁と言い切れない其れに不安を抱き冷静さを欠いている。
「……筌蹄事象だったっけ、最近の魔法は対策として発動した魔法の術者が何んな資格を持っているか確認して発動の調整を自動で行う様になったって聞いたよ」
エリナーが俄然言い、四人は信頼していた情報源のくつねが知らぬを言ったと驚いた。情報収集は欠かせぬぞ頗る誇らしげに胸を張った彼れに、白皙の狐人は何処で集めたか問うた。沈思黙考、其の後、彼れは云えぬ事だったと呟いて、
「此れ以上を知りたいならば信頼される人間になりなさいな」
と、高みから見下ろした、且低みを知る者の矛盾しかかった口調で告げ、外へ出ていった。
「何うして何も言わなんだのか」
「知る者は言わず言う者は知らずかもね」
ミツグの問いに、マコトが答えると、くつねは矢張と云う顔をし、僕は何かを奪われた様な奇妙な感覚に襲われ、ピミャは何も知らなそうな無関心な顔をし、ミツグは然うだねと返した。
事も無げに慣用句が出て来るマコトは羨ましいが、此の感覚は然う言う類のものではなかった。自分に係る何かを、或いは自分の事を示している様だった。
「……其れより煮炊き」
「あっ」
くつねの言葉で自分が今何をしていたかを思い出した。今日はピミャの発案の「咖哩」だ。野菜と香辛料とを主に使った料理で、くつねに聞いた処彼れの前世(マコトの前世も似たものらしい)では一般的な料理だったらしく、創作物の中でも登場する事が多かったらしい。此の世界の植物は可也地球の其れと似ているらしく味も変わらないらしい(味覚の変化に就ては此処では不問とする)。
「咖哩?」
エリナーが漂ってきた匂いに気付き発した言葉は、彼れの知識量を暗に示していた。
「何処でそんな情報を手に入れたのさ」
ピミャの問いに、王女は具体的に言う事無く、又此の前と同じように微笑んで言う。
「信頼される人間になったらば教えたげる。使用権限、其れが無いと入る事すら許されないから。許しなく這入ったらば捕まるからね」
旨く胡麻化しておけばよかったとでも言いたげに、申し訳なく彼れは告げた。一回出した手札は其れが何か分かっていなくとも知らず〳〵相手の興味を引いてしまう。
「……貴方には貴方の夕食があるでしょ」
飯櫃を開けたくつねは食べたいと強請る女を諭す母の如し。其の行動に、エリナーは本来の目的があると云った。
「最近興味深いものを見つけてね。典型的な転生者の共通項としてよく取り上げられる料理に就てよ」
「……其れが咖哩か」
「其の通り。ピミャと初めて会った時に似た印象がしたから調べたのよ」
「僕は確かに前世でも咖哩が好きだったけど、そんなに鮮明だったか」
「ええ。」
皿に米を乗せていく間に話は変わっていた。
「米を主食とし、味噌汁を飲む梛流无弟禰杜、否、『東側』の文化は、旧出流兎亜時代からのもので、其の出流兎亜の支配をしていたものが其れを好んだらしいわ」
「詰り、転生者の共通項が其の支配者にも当て嵌まると」
「然。彼れが何をしたのかは図書館に通ってる貴方達なら周知の事でしょうけど、彼れのした事が現代の学問と、技術と、生活と、思想と、言語とに与へた影響は計り知れぬものだわ。だもんで、そんな人が『転生者である筈が無い』と本が何冊も出版されているけれど、分からない今、蓋然性の問題だ故、全ての可能性を考慮した方がいいわ、ってね。貴方達に話すには譬えが悪かったかもしれないけれど、本題は以上。私もご飯があるから帰るね。……」
咖哩の盛り付けが終わった丁度其の時、エリナーは戸を開けて、思い出した様に「よいお年を」と言ってから帰った。
「よいお年を」
「よいお年を……。エリナーは何を話したの」
畢竟、全ての可能性を考えよ云う事と教えられたという事だ。
全ての可能性……旅券をつくる際に去年の三月に受けた遺伝子検査の際に聞いた、「デオキシリボ核酸」と云うものを思い出した。調べても調べても、此の世界の人間が地球と関わりがあるとの記述は何処にも見当たらなんだ。
――「君もマコトと同じXY型らしい、が君は遺伝子的にはXX、女性だ。此の遺伝子がまるで人工的に付け加えられたかのように片方のX染色体にくっついて、Yの働きをするように変えてあると解った。病気かどうかは資料が少なすぎて判らない。まあ、云えるのは、結構精密に検査しないと然うと判らないくらい此の遺伝子が綺麗に君を男性化させているいうことだ。」
スクレイブハが彼の時僕に伝えた言。抑々、何うして、デオキシリボ核酸が人工的に挿入された事が判るのだろうか。其の訝りには誰にも答えられなさそうだったが、心に懸かれば常に意識されてしまう。他の疑問も、其れらが填まった場所が何か探そうと図書を手がかりにしようとしても、見つけたい場所は情報に埋もれていき、手は悴んで、まともに除ける事すら出来ないでいる。




