第十五話「間諜」(#43)
間諜、其れは密偵と同義であり、其の存在が公になる事抔、素性が潜入している国にばれて指名手配された時位のものだ。併し、例外は時にある。今回は、其れが於合の安全を脅かす可能性のある存在の排除の為であった。合為王国にも於亜共和国にも軍は無い。其れ故に間諜を使わざるを得なくなったのか、其れとも最初から事を秘密裡に運べる間諜を使おうとしていたのかは最早判らないが、両国とも間諜を、国を脅かし得る、星空偽装をする謎の組織に対しての攻撃に用いる事となった。
二国間にある其の垣根は共有されていたが高く屹て、越える迄何もわからない過酷な垣根であった。二国間の間諜の協力により、於合の脅威たり得たかも知れない其の組織による星空偽装は秘密裡に解除された。果たして星空偽装の首謀者が誰であったのか、何の為に行われたのか、根より出た葉を優先した其れによって情報は最早手に入らなくなった。此の偽装の話題は一週間も経たずに忘れ去れた……かの様に思えた。
L'2039/8/1。其の日、於合国境の山脈の両麓に、異質なものが落ちてきた。
其れに、折畳狂いは興味を示した。
「え、今日ですか」
然うよ、とエリナーはアルマダ・サトウの質問に頷いた。
「今日貴方は政府広報官としてではなく、一般人として、二号線に乗って国境北駅迄行くの。而して明日迄に、帰って来て報告する。以上よ」
「一寸待って下さい」アルマダはぼさぼさの長髪を何とか纏め始める。「今日未明に高山麓郡で謎の巨大な物体が落ちてきた。其れの最寄り駅が国鉄二号線北端の国境北駅だから、其処に行けと。其れで、其処から何らかの方法で謎の物体の場所へ行き、其れに就ての報告をせと言いたいのですね」
完璧だね、と言うエリナーに又口答えの様に訊く。
「抑々消防に警察も出動しております。後、王都の科学者の集まりの人達もマコトさんの書いた……電子に関する論文の査読を後回しにして高山麓郡に言っておると聞きました。私が行く必要あるんですか」
「当然あるわ。貴方には何時も通りの避難の手伝いをしてもらう」
「誰の……」
「現地の人よ。ほら、山から転がって来た混乱期の兵器が蝗害を齎した事、覚えているでしょう。貴方が記者会見をしたぢゃない」
アルマダはオア共和国で昔あった蝗害を思い出した。郡郡木當村ではないが、確か加町郡の話だ。デルトア共和国との国境の近くの村で、出十亜が嘗て設置した兵器が再び動き出したのだった。アルマダは政府広報官として「アーウィック王国は此の事に一切関係がない」と発言した記憶がある。其の中で、何うして然う言えたのか思い出す……エリナーが実際に現地の人に聞き込みに行ったのだ。実は、貴方も行っていましたよねと言おうとして口を噤んだ。未だ二人だけの秘密である--いや、オコンネルはもう知っているが。
考えるのを止めて、分かりました、と肯ったアルマダは、早速服を着替え始めた。初めて北側に行くから何か方言で困る事は無いかと尋ねる彼れに、エリナーは「色々と歴代の摂政が……其の……云々してくれたおかげで地域の方言を残しながら共通語の普及が出来たから、特に困ることは無いわ」と返答した。
「又私を私用のスパイみたいに扱う気ですか」
「いや、違うわ。知りたいだけ。父さんは私が成る丈一人で外に出ぬ様にと五月蠅い程言ってくるから、斯うするしかないだけよ。貴方は私に色々な事を手伝うと云ったじゃない」
「……」過去の痛い所を衝かれて苦しい顔になったアルマダだったが、逆らう事は出来やせん。「行きますよ。貴方の命令なら。仮令暁に起こされても」
「有難うね」エリナーは皮肉を皮肉と気付かなんだ様子で、アルマダに手を振った。「じゃあ、明日迄に。明後日は会見だったよね」
彼れが部屋を去ると、丁度廊下でマコトとピミャとにすれ違ったらしく、二人はアルマダの部屋に居るエリナーを見て訝った。
「何で居るのか」
「……一寸、ね。女同士の……否、唯の秘密」誤解を招く表現を云い掛けた彼れに、二人は奇怪なものを見る目をして去らうとし、エリナーは咄嗟に叫んだ。「――逃げるな。折り畳むぞ」
其の脅し言葉で二人が立ち止まったのは言う迄も無いが、其れは別の話だ。
一方、アルマダは足早に街道を駈けていた。目的地は東門駅である。一号線は地下を走るが故に地上の他路線と較べ建設が遅く、未だ環状化は達成出来ていない。詳しく言うと、あの日李茶奴が精神に対する何らかの攻撃を受け体は其の儘に「脳死」した事がダルンデネトの伝承から考えるとよくない事らしく、殊に其れに深く関わっている一号線の工事や其の後の完工式で一々細かな儀式をしなければならなくなったようだった。其れの所為で予算は足りるが儀式の人手が足りなくなったとも聞いた。而してダルンデネトの信仰に関わる、数少ない神主の様な存在を労働基準を満たしながら儀式をしてもらう為に、とんでもない工期の延長をせざるを得なくなった、と云うのが環状化未達成の一番大きい理由である。
そんな一号線と二号線とが繋がる東門駅に着いて数分すると歩廊に電車が来た。列車の時刻表が一時間置きに発着する事を示していた。列車の接近を告げるのは音楽ではなく肉声。扉も手動であり、電車は一分以上駅に停まる。そんな現在の国鉄だが、其れでも皆には未だ〳〵珍しいらしかった。
「此の電車、二号線、国境北行きです。間も無く発車します」
車掌が鈴の音を鳴らすと閉まっていなかった扉が閉まる。而して駅を発ち、電車は広い野原を辷り進んでいく。隧道も数本通り、凡そ一時間かけて国境北駅に着いた。国境北駅周辺は野原と呼ぶに相応しい場所で、何も無い。季節が来ると颪が吹くだけの田舎である。但し今日は其の雰囲気が普段でない事位感じ取れた。其の原因は、当然落ちてきた「異質なもの」だ。駅出口からも、「異質なもの」は見えた。其れはまるで小さい隕石の様だった。辻龍(龍による辻自動車に似たもの、)で其処へ行くと其れが黒いとわかった。周辺が閉鎖されていた為其れ以上近づけなかった。
龍を降り、其れ以上何も出来る事が無くなったと判って直ぐに「携帯電話」を剥がした。其れは皆が思う物より小さかった。詰り此れはエリナーの手によるものだ。
「…………」
付け爪の様な其の極小の携帯電話は、エリナーが今の彼れになる切欠とも言えるものだ。彼れが折畳に対する思いを隠して居た頃、転生者らによる携帯電話が売り出され、折り畳むものが生まれた事に、彼れは以前より熱中して折畳に力を注ぐようになった。此の携帯電話は機織機や地図など比較的簡単なものを作った後に彼れがつくったものだ。合為王国成立以前の世論を変えた携帯電話は、彼れの好奇心を刺戟した。
其の真似をして出来た此れも、量産は全く考慮されていない。併し多くが一つしかない折畳のものの中で唯一、此れだけは二機ある。エリナーのと彼れと親しいアルマダのとである。暫く彼れとの思い出に耽っていたアルマダは、何んな携帯電話にもある普通の機能である通話を始めた。
「エリナーだ」聞こえてきた声は先程と全く変わっていない人間の声。何故か此の時だけ、彼れはアルマダに合わせた口調になるのだ。「異質なものの情報は手に入ったか」
「ええ。手に入りました。見えた異質なものは黒う御座いました。見えたものが動かせそうにはない程大きかったので恐らく落ちてきたもの其の物でしょうが、『爆撃機』に似ていました」
「爆撃機、と云うと混乱期の時に出十亜が使用した黒い……飛行機、か」
[注:此の世界での爆撃機の意味は一般的なものを指すと云うより出十亜共和国の於合紛争介入時に使用されたステルス爆撃機の事を指す事が殆どである。其れ以外で使用された事が全く無いためである]
「そうならば、……爆撃機は紛争の介入と其の後で試験機含めて全機体が破壊されたし、設計した民間企業も反戦デモで燃やされたから、本物とか、新造の可能性は薄いね。破損は何う」
「全く見当たりませんね。焦げた反応も全くないし、純粋に、破損しない高度から落下したと見るのが妥当かと」
其の報告に暫く口を閉ざして、エリナーは語り出した。
「確か此の星全体を覆う障壁のある……高度百粁位迄飛んだ記録が龍人の証言にあったけど、強度は不明だし、抑々同じとみていいから不明だから、専門家に任した方がいいね」
其の言葉にアルマダは溜息を吐いた。
「……最初から専門家に任すのなら私の行く必要はなかったぢゃないですか」
「然うだね。でも、風見郡出身のアルマダなら、主観的な事は余り出来ない専門家とか、記者とかと違う意見をきっと持つと思ったんだけど」
「……」アルマダにとって其の言葉は何回か聞き覚えがあった。黙っていても仕方が無いと諦めて口に出す。「若しかすると、……麟吐玉書かも」
「瑞兆だって言うの」
アルマダの私見を言い換えた王女に、彼れは頷いた。
「然うです。私の個人的な意見ですがね、貴方は然う言う人だと云う事を忘れていました」
「有難うね。……」
「通話の時間は此れ位で十分ですかね」
「あ、然うだね。じゃあ戻って来て頂戴。時間は十分もかからないし、許可証も出してあると返ってきた。じゃあ」
「えゝ」
通話が切れると、アルマダは普通の方向とは逆に携帯電話を折り畳んだ。畳まりきる前に携帯電話は形を変える。アルマダの両手に形を併せる様に変形していき、両腕を包み、服は硬くなる。アルマダは「携帯電話」を握りながら、変形した服の背面から生えたエンジンが動き出すのを感じた。
アルマダは空を駆けた。




