第十四話「直人」(#42)
L’2039/7/8
あれからウィンは止め処なく流れる涙の中に過去を見た。乾いていく床に、白肌の教え子の泣いた日の事を幻覚した。遥か昔となったあの頃の友が、其の教え子であると知った日。
突然、来客の鈴が鳴る。臥せと誘う眠気の声を振る。戸を開ける。向こうに立つは懐かしの台長。其の老けた顔に、自分が現実に戻ってきたことを感じた。
「ナオトさん、御久し振りです」
「久し振りだな。ウィン、あれから急にどうしたんだ」
実は、と口を動かすよりも前に、ムシロが此方を覗いてきた。
「……合為から来た人か」ナオトが問いに頷くと、ムシロは案の定、星空偽装の話題を持ち出した。ナオトの事は話さなんだ故に誤解しているようだった。「誰だか知らんが、テロルをされる訳にはいかんのだ」
「私はテロリストと違う。於合国境を越えたは昨日でもない、一週間前だ」
ナオトは然う言って旅券と押印された越国境許可証とを取り出し見せた。日付もきちんと彼れの言った通りのもの、2039/7/1と書いてある。
「国交が無い国でも行けるんだ」
「然うだ」驚く烏人に狼人が語る。「龍人じゃなくてもある程度の手続きをすれば移動は可能だよ。……確か、魔王間の取り決めが引き継がれているとかだった気がするな」
へえと、知らない事を知れた烏人は関心した。暫くして、三人はすっかり逸れてしまった本題に戻り、又話し始めた。
「で、話したい話題は〈エフューラ・テサノタ〉に就て、だったね」
「然うです。台……ナオトさんはダイヌの出身でしたよね。でしたら幾つか知っているかと」
「然るが……」ウィンの問いにナオトは答えたものの、言い返す。「もう昔の話だ。ダイヌ……と云うか、ベーリス湖周辺全体が転生者が特権を持てれる地域になってから、土着の人が殆ど越したのは当時の新聞紙にも載っていたろう。其れにダイヌ島は其の物が転生者の記憶を反映した町になる事が決まっていたからもう有無を言わさず退去だったよ。従って新しい情報も新聞紙とダイヌ特区の広報と諸々の機関とが出してるもの以上は手に入っていない」
「…………」
「済まんな。態々、自分が携帯電話を持っていないばかりに」
此の話は手紙でも出来たなと言いたげなナオトの顔を。ウィンから違うんだとの科白が口を衝いて出て、自分でも驚きながら、唯、合為や旅路で聞いた話は無いかと問う。其れは確かに旅をしなければ聞けない話だな。併し……とナオトの口から発せられた言葉は、答えではなく、質問だった。「何故其処迄〈エフューラ・テサノタ〉に就て知りたがるのかな」
「其れは……友人を保護してくれた組織が、今の〈エフューラ・テサノタ〉の母体となったと知ったからです」
「サラ、だったか」
「いえ、ユクリフです。サラは青い目の子ですよ」
「ああ、そう、ユクリフか。黒い肌の狐人だらう。……奴隷解放運動以来、ダイヌ天文台に来る迄親交があった、だったか」
唐突に出てきた新しい人名を、女の事だと何故かムシロは勘付いた。質問に首肯するウィンを見て、焦りが生じた気がした。
「全ての人間が奴隷ではないと宣言されて、自然に奴隷解放運動が終ってから俺は天文台で働くようになりました。ですが、特区の事で天文台が解体されてから、家に帰って暫く彼れと交流があったのですが、今から十年前になりますが、手紙に、〈トリメネシュリファ〉と云う団体からのものがあったんです。現物がありますけど……見ますか」
頼む、と二人。棚から取り出された手紙は劣化を防ぐ魔法がかけられた箱の中にあり、取り出すと其処には見た事も無い活字の文字列があった。此れを羅甸文字転写すると以下の様になる。
mütsye1gNoe3 tülpono zaco'osoZe6la īkaw Knrmütsye1gNonoke4 luntapfu。
「『君の友人は保護した。安心し給え。』か。随分と古い言語を使うもんだ。其れに〈トリメネシュリファ〉は嘗て生活に困窮した者を保護して回っている組織の名前として聞いた事がある。実態がよろしくないことが明らかになって……何処かの省庁の捜査を受けて営業停止されたとか新聞紙に載っていたな。強硬な手段で『保護』していたから、とかの理由だったか。団体の名前は確か何処かの難解な言語で『守護者』を意味した筈だが……」ナオトは其処迄語って裏を見てみる。「送り主も無いか。……地名だけなんて聞いた事無いぞ」
「此の、書いてある地名の、於亜共和国、郡郡、木當村、字青石って処、郵便局以外だとさっき云ったトリメネシュリファが全ての土地を買い取っていたんですよ」
「へえ。確か昔、山奥なのに蝗害が起こった事で大きく取り上げられた街が、そんな事に……。なら、〈トリメネシュリファ〉で間違いなかろう。其れで、何うして〈エフューラ・テサノタ〉になったんだ。貧しい人を保護する事が目的の組織と宗教団体とでは何もかもが違うじゃないか」
「…………五年前のものなんですけど」然う、又彼れは公的機関から発表された新聞紙を取り出した。宗教団体化の申請を受理した旨が書かれている。「トリメネシュリファが〈エフューラ・テサノタ〉の於亜支部になった、とあったんですよ」
「成程」ナオトは深く頷いた。「連絡手段は無いのかい」
定期的なものはありません、と条件付きの答えをウィンが示す。「三ヶ月位前、此れに就て聞こうと決めた頃に、丁度〈エフューラ・テサノタ〉於亜支部の老人の男と、ユクリフが突然来たんです」
其の時に今迄の事を尋ねればよかったんじゃないか、と至極当然の答えが返って来る。
「御尤もです。併し支部の人が居る場では話せないと云われて有耶無耶になりました。……彼れに拠れば、転生者の為の組織であってAFNFや他の宗教、とは一切関係ないとの事でしたが……彼れの口から以外で其の趣旨の言葉は見聞きしていません」
突然反省会の様な空気に支配され、誰も口を出せなくなる。何故押し切らなかったのか。抑々、ユクリフは単なる宗教団体ではなく、異世界転生者の為の組織であり、AFNFとは本来一切関係ないと何故知っていたのか。其れに、重大な役割を何故一人に任せる様に取れる発言をしたのか。
「……他には何か言っていたか」
「転生者の組織であり、……将来は酷い組織になると」
「非道な事をするとでも言ったのか」
「直接的には言っていませんでした……其処迄の意図があったのかは分かりません。唯、酷い組織になったらば、止める様に動いて欲しいと云われました。何の意図で、何をするのかさえ分からないと云うのに、止めろなんて、無理な話ですよ」
「無理とは限らないよ」ナオトは然う告げた。急に口調の強くなり、続ける。「君は天文台で働く様になって、何個も小惑星を見つけたじゃないか。其れに、落下する隕石群の予測も、君が居たから出来たようなものだ。十一年前、あの隕石群が落ちた年は、やっと死傷者を零に出来たんだ。君は努力が実を結ぶ事を知っているさ。今からでも遅くない。昔から始めていればなんて悔やむ必要は無い。過去は変わらず、今からの事が、後の事のみ変えれるんだ。自分の出来る事をすればいい。……何ういう対策をするかは此れから考えればいいさ」
其の言を何う解すればいゝのか、ウィンパー・ロバートは暫しの思案に耽らねばならなかった。




