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Earchlo  作者: 稲土瑞穂
第三章/空白の四年間
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第十三話「星空」(#41)

L’2039/7/7

 夜になると、何故か気になって空を眺めてしまう。肉眼で、望遠鏡で夫々見る景色は、違い、且、同じだった。昔から、少なくとも千年間変わっていない星を観察して自分の過去を懐かしんでいる。狼の目と云うものは夜目が効く。星空も恐らく普通の人間よりも明瞭(はつきり)しているのだろう。加納の星空は空気が冷えている為か肉眼で見るには綺麗に見える。望遠鏡で覗くと上空の風に揺らぎ迚も綺麗とは言えないが、日付を鑑みてみる。今日は七月七日だ。夏にしては綺麗な方の筈だが、冷えた山から吹く風は微かに(あたゝか)いだけで、記憶にある夏よりも可也寒く、像がぶれていた。

 扨、腕の中に温もりがある。井山蓆は久し振りに烏の姿で居た。俺の腕を巣として、じっと動かず、寝ている。然ういえば烏の寝姿を見るのは初めてである。井山と過ごした少ないが、人であることに拘る彼れは滅多に人前で烏にならないのだった。併し、今回は何故か違った。一人で蒲団に入るよりも此方を選んだ。故郷での彼れを知らないが、烏は今、ぐっすりと眠っている。其れを抱えながら、俺は一人此の暗黒星雲や一つの伴銀河に彩られた光の景色を目に焼き付ける様に記録している。ヱヅに望遠鏡を向ければジェットが見えるが、他の星や星雲に向けると明るさゝえ変る。併し今日は覚えているものよりも星が何故か明るく感じられた。然れど幾ら考えても答えは浮かぶことはないだろう。其の儘床に就くしか無かった。


 次の日、其の答えは直ぐ提示された。余りにも早かった為好奇心が失せてもおかしくなかったが、新聞紙の一面に載った答えは寧ろ好奇心を刺激した。

「何者か 秘密裡に交流」其の見出しの記事には「何らかの組織による星空を利用した秘密裡の交流」とあった。組織と云われると、最近ユクリフやくつねとの会話で話題に上がった〈エフューラ・テサノタ〉を思い浮かべてしまうが、此の世界には其れ以外の組織も多くある。何らかの組織と云う情報のみでは、何処かの新聞社や、民間企業、公営企業、秘密結社、其れだけでなく他から隠されている集団である可能性も含まれている。第一、今俺達が一宗教法人に警戒しているのが異常なのだ。

 星空に隠されたもの、其の文面は俺を失笑させた。蓆が不思議に思うのは当然だが、其の思いは此れ迄の信頼の位置を変えた。無知が敵と云う事の齎すを目の前にした彼れは話しかけた。

「ウィン、何うかしたの」

「何でもないさ。一寸昔を思い出しただけ。さ、何時もの翁と媼との処に行かう」

 微笑みを向けたムシロの其の顔に、笑みはなかった。


 蝸牛夫婦の家は俺の家と異なり畳敷きだ。卓袱台(ちやぶだい)の上には殆どの場合四口の湯呑があり、二人が来る時は其れに茶が注がれる。四人の話題は余り自分で考える事は少なく、大抵新聞紙の情報が切欠である。

「今日の新聞には星空を使って何者かが合為に行ったかもしれないと云うものだったね」

 媼が話題を振った。夫婦は新聞紙を一先ずは読み終えていた様で、ウィンも其れに答える。

「表立って未だ国交のない国に行く事は難しいですからね。でも何故に普通の山越えでなく態々(わざ〳〵)星空を使うなど話題になりそうな事をしたのか不思議ですね」

「誰か知らんが合為に行く乃至(ないし)行かせる目的も分からん。此れも色々と生活に苦労してきた身ですが、元居た場所では成し遂げられぬ事をせむとしているのかな」

 ムシロの言葉に翁は「(なまじ)情報がある(から)憶測が乱立してよく分からなくなる」と点頭する。「私からも何か詳細を手に入れればええんですけどね。……然う、星空と云えばウィンちゃん、此処に来てからずうっと星空を観察してきたんぢゃないか」

 あゝ、と首肯したウィンだが、「星の明るさなんて幾ら狼が夜行性だからと云っても気にしませんよ」と返した。

「仕方ねぁな。儂らは蝸牛態になっても視力は良くなるばかりか落ちる。其れに此の人態に蝸牛の特徴なんて一つもありやせん。……そう〳〵、儂の医者が、もう蝸牛態になるな言ってな。人間で皺皴の状態ならもう蝸牛態で水分が維持できなくなるそうだ。まあ儂らは……ウィンちゃんと出会って卌其処らだから、百年位か、もう十分に生きてきた心算だから、死を受け入れられそうな気がしてるよ」

「もうそんなに……」俺は呟いた。

 百年位。たかゞ百年と侮っていた其れが如何に長いが改めて気付いた。若者は老人となり、国は変わり、自然も少し変わって地形の変化が起こっている。ウィンと蝸牛夫婦との関係は長い付き合いのように思えた。百年を思い出しそうになって、其の遥か昔の記憶への門が見えて回顧への歩みを止めた。其の先に待つ今の俺の感情の激流を、今は見たうなかった。

「三人居たうちの息子の先生をしてくれたのよ。息子は全員蝸牛として生きる事を選んだんだけどね」

 置いてけぼりだったムシロに媼が説明を入れてくれた。

「へえ……然う言えば教員免許取ってたんだっけ」

「そうだな。が--」ウィンが更に付け加える。「此処廿年は誰にも教えてない。其れに指導要領も変わったから、ついていけないと思う。……歴史の指導が特に変わると云うのは何回か新聞紙でも取り上げられてきたし」

「目、と言えばさ、ムシロちゃんは何うなの」

「視力ですか」

 翁が烏人に問う。首を縦に振る翁に、さあ、此れも気にしたこと無いのでと答える。

「烏の目は烏態で普通に使いますが、目の大きさも見え方も違いますので……哺乳類系の獣人でないと獣的な特徴は人態に現れない事が多いと聞きますし、割と近い鳥類でも……」

「私ら無脊椎動物人からすれば凄く近いさ」

「えゝ。……でも、翼とか……あ、起源は同じですが……」言葉に詰まりかけたが本題を思い出して返答する。「目は……よくない気がしますね」

「そうかい」翁だ。「又医者の話になるけどさ、儂の……眼科の先生がさ、視力が人態でも大分落ちてきてるって言って」

「……貴方、去年卒寿で今迄落ちてなかったなら迚もよかったとも思いますけどね」

「……眼科の先生の提案で全身の診断をて、したら、本当は長い言葉の羅列だったんだがさ、要約するとさ、体の状態からして、もう、全然死ぬる為の衰えが始まって来てると云う事らしくてね。十年は生きられないらしいんだよ……其んでさ、」と、翁は軽い口調を止めた。「ウィンちゃん、何時か約束したろう、何方かが先に死んだらば、残った方で葬儀をするって」

「しましたね」

 確か、蝸牛夫婦の三番目の息子が蝸牛として生きる事を決め、役所から人間から蝸牛扱いに変更する手続きが終わった後、夫婦二人きりになってしまうから、と頼まれたのだったか。当時から近くに住んでいたし、了承した事を今でも覚えている――俺は必死に記憶の廊下を辿り、求めている記憶への扉だけを開けて、然う回顧した。

「……気が早い気もするんだけどさ、……葬儀の事、此れから考えたいんだけど、いいかな」

 人の死に立ち会うのは何年振りだろうか、と俺は思った。唯頷くしか出来ない。想像だにしなかった死を、こんなにも易々と受け入れられている人を見ると、何だか逃げ続けて来たものと愈々向き合わされる気がした。

「ええ」

 声が震えていた。

「……急すぎたね。御免ね、然うだよね、あんまり受け入れられるものじゃないよね、うん。……ほら、泣かないの」

 翁は軽率な行動を反省したが、時は既に遅かった。

 ムシロは人間性の一面を目撃していた。


 ――何時か見た、右足の沓に踏まれた蝸牛。直前の、殻の割れる音。易く死の訪れる世であるとの実覚。其れはぼうっとしていた人間には余りに衝撃的で、命の失われる瞬間を幾度も経験する、自分でつくり出した状況への恐怖に、俺は呑まれていた。

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