第三話「動」(#03)
L’2036/5/2
此れ迄の二人きりの滞在にも学習の面はあった。だが其れは大抵、「ピミャに」学習させるもので、「私が」学ぶことは、其の土地の気候、天文、食料以外殆ど無かった。
今学んでいるものは彼れら――三人の話す言だ。古典語、とピミャが云った通り、文語的な面もあった。併し私の出生地が古語を多く残した方言を話す地域だった為か、或いは其れ以外の理由か思ったよりかは梃子摺らなかった。
「あれは何か」
ミツグが指差すのは闊葉樹だ。
「木」
「『キ』」
「合ってる」
シルの答えを復唱すると、ピミャが正誤を伝えた。
大体こんな感じで、単語を覚えていくのだ。後は会話を聞く。紙の教材などがあればいいが、五人共そんな技術は持っていない。代わりに其れを流暢に、恐らく母語として話す三人の会話を聞いて意味を推測したり、音韻に慣れる。独学だが此れが私にとっての最良の方法だった。
代わりに私は文字を教える。彼らが移りたいと云っていた北西の町に行くためだ。此の音節には此の文字、と教えていく。幸い私の知っている文字には三人の言語と音韻が一致乃至類似する文字があった。私は多くの言語を知っているが、取り敢えず此の地域で使われている音節文字のみを教えている。併し彼らは独自の表語文字も持っていた。二種の使い分けはむつかしいだろうと思っていたが、私の教えに三人は、まるで其れを昔から知っていたかのように驚きの速さで学習していった。
「――洪水とか」
「其れがあったらば大変なことになるね」
言葉の学習と字の伝授とが一通り終わった後、大体私はぼんやりと眺望を感じ、ピミャは三人に作り方を教わった布団で寝、三人はぺちゃくちゃ喋っている。不思議なことに、三人の言葉には此処から遠く離れた「砂漠」や「※(⿱毎水)」のような場所について示す詞もあった。三人は旅をした事が無いと云っていたが、知識は広く亘っているようだ。
「※(⿱毎水)って何んな色なのかしら……」
偶々耳に入ったミツグの素朴な疑問に私は昔旅した路にて見た幾種の※(⿱毎水)を思い浮かべた。道を流れる人の川向こう、其処には其れよりも幾百倍の時をかけて環る※(⿱毎水)水の流れがあった。何時でも変わらぬ様に見えて時には凍ったり、牙を剝いたりする青い其れは、人が此の星に生まれるより前、今生で世を知る遙か昔に出来たらしい。其の美しさは見たものでなければ分からぬものだ。それに私は「青」、詰り淡い色を詳しく分ける云い方を知らなんだ。
「今は町に移り住むのが先だし良いけど、何時かは行きたいわね」
三人の会話は其処で終わった。
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L’2036/7/19
―正子―
「さあ、出るよ」
日付が変わった頃、くつねが僕らに然う云った。彼はもう既に僕らの言葉を自在に操れるようになっていた。森の外へと歩き出した僕達は、時折空を飛んでいく龍に恐れることも無く、順調に進んでいく。
こんな夜分に出歩くのは、「此の時間に出れば湿原の外側の警備団にも気づかれんだろう」という、彼女の目論見によるものである。前はこんな夜遅くに出歩く事など無かった(抑々普段ならば寝ているような時間帯だ)。其れでも彼れは最適解として夜の出発を主張したのだった。僕達三人が全く外のことなど知らないのを利用して彼れ此れ強要しているように思えるが、少なくとも出会ってから此れ迄の行動では人がいいという評価だった。よくないとする拠り所も無かった。
「あっちだわ」
先導するくつねとピミャが、幽霊が出てきそうな黒洞々とした夜の暗闇の中で、目を光らせながら云った。透視でもしているみたいだ――もし此処に魔法があるのなら、若しくはくつねが超能力を持った異星人なら。あったらば何うしようという考えも無いが、少し妄想してしまった。
足に何かが引っ掛かり足元を見た。其処にあったのは蛭ではなく、埋まった木だ。進行方向に垂直になる様に埋まっている。すうっとくつねの居る前の方へ眼をやっていくと、其の木が前へ前へと連なっている。「枕木だ」――然う声が聞こえて、頭が痛む。
「マコト、どうかしたの」
ミツグは然う云って立ち眩んだ僕を擁いた。
「あ、いや、なんでもない。ちょっと『枕木』が気になって、ね。……大丈夫だから。またちょっと立ち眩みしちゃっただけだよ」
咄嗟に取り繕った所為でさっき聞こえた詞が口を衝いて出てしまっていたが、僕は其れに気づかない儘、又歩き出した。今度は倒れないようにとミツグとシルと手を繋ぐ。
「枕木……」くつねのつつめきは、誰にも聞こえなんだ。
そんなつつめきから数十分後、泥濘っていた土は撓まなくなり、砂地になっていた。
「もう外に出たから、休もうか。此処からだと数時間で町に着くよ」
くつねが然う云ったのは街道沿いの、雨避けの廂が連なる、非定住者向けの場所の一角だった。疾うに警備団の場所を過ぎていたらしい。
「此の時期は余り混まないから、丁度良いんだよ」
ずっと黙って居たピミャが補足した。
「特に警察も怪しまないから大丈夫だって。此処は寝れるし、廁に厨もあるから、安心しな」
僕は警察があるのかと思った。彼れは外に就て意図的に何かを話していない気もした。
四人共、彼の言葉に従って、持ち運んできた布団代わりの編まれた草を敷き、寝た。
―昼―
寝泊まった場所は平墾郡墾田村、大字西墾道小字墾道という地名だったらしい。路に立っている円柱に書いてあった。表語文字で、正しい読みは判らねど、大体の意味は解る。表語文字の利点だと彼れは云っていたっけ。
其の標識はぽつぽつと濡れ始めていた。
「……」
皆の寝て居た方を見ると、全員起きていた。此処には布団を引っぺがす者は居なかった。だが皆を長く待たせてしまったらしい。特に文句を口にする人も居なんだが、何だか空気が気まずい。
其の空気を無視するかの如くに僕ら五人は此の場所から少し先にある停留所にて馬車を待った。くつねの言に拠ると「此処から安くなる」らしい。三人分しか乗れないとのことだったので、成り行きで寝坊した僕とくつね(朝は苦手らしい。意外だった)が歩くこととなった。「罰ゲーム」みたいだ。馬車は半時間もすれば着くらしいが、此方は其の十倍くらいかかるとのこと。
馬車は、甍の町には似合わない気がした。
半時間経っても雨は降り続いていたが、未舗装の道を裸足で歩いている身にはきついものだ。村雨だと思っていたのだが、如何やら然うではないらしい。風も出てきた。
「やっちまった」
くつねは然う呟くと、何処からか傘を取り出して建物の無くなった街道の脇で立ち止まった。此の降雨を予見できなくて悔しがっているようにも見えた。
「マコト、傘要るでしょ」と言って僕にもう一本の傘を渡してくれた。
「難有う」
然う感謝の気持ちを述べた途端に風が颱風のように強くなり、傘は意味を成さなくなる。吹き飛ばされていようがいまいが同じだ。甘雨とは到底云えない雨足だった。
遠くに霹靂。空は既に一面灰色だった。
「建物の中に!」
くつねが手を引いて僕を走らせる。こんな処に建物などがあるのか。半時間前の場所ならば、何棟もの瓦屋根の家があったが、重力と触覚と以外意味を打ち消された此の辺りには一棟さえ見えない。だが、僕は彼に云われるが儘に走った。泥のようになりかけた道の砂が水を含んで足に張り付き始めていた。何時もの青い水は何所へやら、淡く薄い景色に包まれる中を只管走った。僕は、何故か、自分が今山の中の線路の上に居るような気がした。天は晴れ、日は沈み始めている。自分の意志で走っている。――如何にしてこんな景色が浮かぶのだろう?全く見たことのない景色を思い浮かべて何になるのだ?しかし其の妄想は止まらなかった。まるで自分が現実から切り離されたみたいに、「此方が現実だ」と言いたげな、簡易な■■線路を奔る世界は私を冒していく。困惑する私は声を聴いた。誰かの声、人の声。■■■■と言っている。其れは何か大事なものに聞こえた。しかし訊くことはできずに、私の精神を冒した空間は一瞬で立ち去って行った。
「マコト!」
僕は慌てて周りを確認した。二人共々濡れそぼちているが、もう雨は入ってこない。僕らは建物の外に取り付けられた、寝泊まりしたところより本格的な雨避けの下に居る。彼の心配している声が目を覚まさせたようだった。
「さぶいでしょ、一通り乾かすから」
然う云って彼れは脱がせた上着から水を絞り出して素早く(目にも留まらぬ速さだった)乾かし、僕に返した。
「難有う」僕は上着を着ながら云った。
「今日雨が降るとは思わなんだ、御免なさいね」
彼れは僕が考え込んでるのを見ているのか見ていないのか、接続詞も無しに話題を変えた。何もここ数日の様子を見て今日なら晴れだろうと予測していたが読みが外れたらしい。
「間違いの一つや二つ誰にだってあるよ」
然う返した僕に濡れ鼠のようになって水を滴らせている彼れは、抱え込むこともね、と返す。明らかに今の僕のことを指していた。
「若しかしたら貴方の悩んでいることについての手助けになるかも知れない事なんだけど」彼れは服を絞りながら自信満々に告げた。何もかも見透かすような眼が僕を刺いてきた。「ちょっとした、私の知っている物語。短いやつだけど、気に入っている噺なの。そしておそらく僅かな人しか知らない。……」
彼は何うやら、此処で其の話と云うものをして雨の止むのを待ち、そして其れを僕に聞かせようとしている様だ。僕も暇なので、丁度暇を潰すものが見つかった、と、其れを聞くことにした。
数え切れぬ程遠い処に、数え切れぬ程の時を掛けて生まれた「つち」達が居た。其の内一つのつちは幾多の命を生むことになる「はは」であった。ははは周りのつちと共に「みづ」を湛えた命を育むつちとなった。
つち達は協和して穏やかに暮らしていたが、ある日のこと、別のつちが育んた命と出会った。つち達は命を育むことは出来ても、其れ以外のことについては何もできぬ故、入ってくるのを止めることは出来なんだ。ははに住む命は彼らと争い、勝った。しかし此れがははに住む命達に倫理を与えた。
暫く、と云っても命の全てが入れ替わった後、又別のつちから命がやって来た。今度は共に生きることを選び、また穏やかに暮らしていた。が、またある日、ははは自らの育んだ命がははを傷付けていることを知る。命も傷付けていることに気付きやめたが、もう手遅れだった。
命はははに送り出されて別なる所へ移るため空を飛び回り、狼の様な明るい「つち」を見つけた。彼らは其処に移り住んで穏やかに暮らし始めた。めでたしめでたし。
「どうかしら」
くつねは自信満々な様子で尋ねた。
「どうと云われても、ねえ……個性的としか云えんね」
僕の感想は其れだけだった。抽象的過ぎて何を云いたいのかが解らなんだ上に、其れにはははのみが居た。ちちも居るのが好い筈だ。あと「つち」とは何ぞやと疑問を呈したい。それに、即興でつくった話な気がする。
「つちはそのまんまの意よ」
答えを聞いて然うかと思った。僕の知識が足りないだけなのかもしれない。
「でも、話としては、--まあ僕もうまいのは全く作れないけど、ちょっとねえ……他のは無いの?」
僕は「つち」に関する答えが一向に出ないことから、質問した。
「あるわ。じゃあ、えっと……こんなのは如何かしら」
ある村に、一人の少女が居た。彼女に名前は無かった。子供には本当の名前を付けないのが其の村の風習だったからである。彼女は獣の特徴を有していた故、其の獣の名で呼ばれた。
ある日のこと、村のある国は戦を起こされた。村は壊滅してしまい、少女は難を逃れて旅を始めた。しかし戦が終わってから、彼は元居た国に見つかって獣の特徴から被差別民となって帰らされた。やってきた場所は村ではなく、処刑場だった。「あれこれ、したことしないことの過ちを取り繕って憑りつかれる」――処刑寸前、国民による叛乱が起こってまた〳〵難を逃れたものの、見も知らぬ人とはいえ処刑を目の当たりにした恐怖で頭がおかしくなっていた。彼は救われたはずの人に人格を消されて売られてしまい、其れ迄何度か旅をしたことのある筈の国へ奴として連れていかれた。彼は字も知っていたし、言葉も幾種類か話せた。其れを訝った購入者は、彼を一般人と偽って教育を受けさせ、優秀な奴にしようとした。其の企みは天から降ってきた不祥事で立ち消え、彼は未だ旅をしている。
今度は文体もよさそうだった。
「いいんじゃないかな。批評家じゃないけど大分良いと思うよ」
「そんな奴は居ないよ」くつねは笑いながら云った。「そういう専門の職業はあの町には未だ無いよ」
一瞬「消した」のかと変な想像をしてしまっていた自分に気づいた。赤面しているのに気づかれないように、外を見ると、もう晴れていた。月が輝いて二人を照らした。
「ねえ、マコト。最後に、ちょっとした短い言葉でもどうかな」
くつねは一瞬躊躇ってから、僕の方を又向いて云った。
「どんなだい」
「そうね。月はわかるわよね。」
「勿論」
つきのうさぎはほんとうにいる。
「此れだけかい。」
「そうよ。あなたならきっと理解できる。少なくとも私は然う思う。あなたの目、『然ういう目』だからね……じゃあ、飛ぼうか」
くつねは其れ迄と何の脈略も無く云って、すっかり乾いた服を見て僕の手を摑むと、少し躊躇ってから抱き、飛んだ。
「……………………」
月の概念は皆の知っているものと同じ筈だ。貴方が私と同じ場所に居るのならば。--■■■。




