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Earchlo  作者: 稲土瑞穂
第三章/空白の四年間
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第十話「南北の攻防」(#38)

 其の日は、星も降らず、平穏な夜であった。唯一つ然うでない処があるとすれば、魘されていた事だろう。俺を魘す夢は最初、「姪」が自分に話しかける場面から始まった。

 其の姪は既に亡き人となっている。俺の親戚で一番最後まで生きていた人間だ。其れに気付く前に、姪は俺に叔父さん、どうして叱るかのと尋ねる。目を逸らすと、姪の後ろに居る友人二人が目に入るが、明瞭とした姿でなく、霞んでいた。不思議に思うと、姪が答えてよと云わんばかりに俺の服を摑む。着物は和服ではなかった。其れに気付かず、姪は更に近付く。姪に押され後ろに転倒すると、地面に接触する感覚が来る直前に場面が暗転した。

 其の次の場面は、昼、今の自宅に男がやって来る場面だった。男は見知らぬ顔で、於亜政府の職員を名乗った。名刺も渡してきた。其の名刺は実際の於亜農林水産省の物とよく似ていた。服装からして実際の着物と同じで、窓口の人の雰囲気を纏っていた。併し、幾ら省庁の窓口の役員らしくても、其の人が直接訪問するなど到底あり得ぬ話だ。暫く詐欺を疑って話を聞く。男は、法律が改正され、全ての農地が於亜農林水産省の管轄になると告げる。そんな筈無いとの心中を見通す様に、官報を差し出し、今直ぐでなくていいから考えて下さいと云って男は去った。其の官報は政府が発表しているものと同一で、俺は混乱しながら、本物の官報を家を出て公民館にある掲示板へ行って見ようと下駄を履く。其の瞬間、又場面が暗転し、目が覚めた。


「何があったのかい」

 井山は俺を何時もの様に心配してくれていた。魘されていたから殊に心配していた様だが、其の十枚に及ぶびしょ〳〵の布巾を見るに俺の方も甚だしい悪夢だったらしい。何処が其処迄俺に汗をかゝせたのか、夢の内容を思い出しても解る事は無かった。起き上がって机の上を確認すると於亜農林水産省からの通告があり、実際に土地の私有が禁じられ、全て国家農地となり、ウィンは以前所有していた畠の指定耕作者となった事が記されていた。夢の内容とほゞ同一だった。併し、販売を維持する為には以前の二倍もの年貢を納める必要がある、ともある。

 こんな内容にも拘らず、封筒の中にはもう一枚あった。附いていたのは平易な文章と丸みを帯びた書体で記された手引きだ。残酷な通達も、可愛らしい耕作機械にでも言わせておけば赦してもらえるとでも農林水産省は思ったのだろうか。

「ウィン」心配する弱々しい井山の声にも反応せず。俺の座布団を叩いても気付かない程呆然と居た。狼耳を触っても無反応だったので井山が思い切って尻尾に触れると、俺はやっと気付いた。

「糊口を凌いできたのに……」一気に疲れた様子の狼人の猩々紅の眼から、分泌液が溢れていた事だろう。「気弱なのは変わらないね」との烏人が言う。「此の絵、何なんだろうね」ウィンパー・ロバートは其の「耕作機械(トラクター)」を知っていた。

 日は照り、畠にある近々収穫される事を期待する玉蜀黍たちが風を受けて揺れていた。其の様子を見ながら通告を読返すと、トラクターの絵と共に、公地公民の実施の理由に「民間によって買収された農地で違法行為の発見が相次いだ為」とあった。俄にやって来た激流に、為す術も無く流されているかの様だ。

「……逃げれば」理不尽な通告を覗き見て、思いついたように黒い目の烏人が言う。

「……井山、健康保険証は何故あると思う?」俄然全然違う事を口にした狼人は、猩々紅の視線を烏人に向けた。「住民票でもいゝ。其れは、俺達が此の人間社会で生きていく事の証明だ。狼や烏の獣態(けものゝなり)鳥態(とりのなり)で生きていくにしても辛いのは分かり切った事だろう。生活の為に、国に租税を払い続け、病に罹れば原因を探ってもらえ、生活に困れば助けてもらえるのは、ムシロ、其の姿を主にして生きていく事の(しるし)なんだよ。」

「……」蓆も俺を見つめた。

「俺は逃げない。生きる為に。模索し続ける」

 奴隷解放運動の時の様に――。

 すべき事は、「此れ、すべし」と誰かが言わずとも、見つけたらば直ぐ理解わかるのだ。唐突に現れた澪標が、漕ぐ可き方を示すかの様に。

 俺は唯、生きてきた中でやっと会えた教え子(くつね)と、死ぬ迄係わって生きていきたいだけなのだ。

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