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Earchlo  作者: 稲土瑞穂
第三章/空白の四年間
38/55

第九話「幻覚と虚無」(#37)

 L’2039/6/8、新緑の季節となり、ダルンデネトの彼方此方には翠の青い葉が生い茂った。其れは北、於亜共和国の加納県加納郡加納市中山区青畠二丁目524番地のウィンの家でも同じだ。宇宙天気予報の新聞をラヂオで聞きながら、ウィンは空を眺めていた。数週間前にくつねからサラに関する事を聞いてから、斯様に日毎に少し想い出に浸る習慣が出来てしまったのだ。

 其れでは、今日も視聴者さんからのうたでお別れですと、予報士の声が別れの音楽に乗る。ウィンは擡頭し始めた組織の新聞が流れないかと思いながらも其れを聞く。題は『幻覚』、聞いても意味の解らない詩だった。和歌の評価の番組でないから解説も無く、投稿者自身の解説を読み上げて番組が終わった。

 宇宙天気予報が終わった。星…………前々から気にしているナオトからの連絡はない。井山はあれ以来故郷に就てすっかり話さなくなった。めっきり顔色が良くなった事以外全て心配だが、本人は何も言わずに居る。よいならよいが、矢張り気に懸かる。

 そんな彼れは珈琲を淹れた。香り立ち、啜る音、ぷはあと音を出したムシロも、ラヂオを聞いていた様で、季語が入っとる事以外さっぱり意味が解らなんだと言った。「比喩みたいだけどね……」珈琲を茶みたいに啜ってから付け加えた言葉には、自分の考えを理解してもらえない時にする様な表情をしていた。

「新聞の時間です。本日、水力発電推進機構の発表に拠ると、合為王国との国境に程近い、青山郡青山村に、新型の水力発電用堰堤、青山堰堤を建設する目途が立ったとの事です。今日午前九時から始まった、オアニスクの旅館にて行われた記者会見の中で発表がありました」

 ウィンからの視点で彼れの性格はよくわからない。青山郡青山村の生活を知らない為だ。ムシロは家族を人化可能烏人と云うより唯の烏として見ていた。人化を嫌悪する親を、牛を馬に乗り換える様に捨てたのだ。彼れは甘えの無い生活の辛さを知らない。烏としては家族と、人としてはウィンと生活してきたが、烏と人間とでは人間の方が知能が高い故に、人態ひとのなりを好んでいた。其れは個人の趣向であり、私が何う斯う言える問題でもないが、彼れの其れは人間贔屓で、烏派を真綿で首を締めるような行動も厭わず――否、寧ろ喜んでするものだった。彼れの性格は、縛られて脱出も出来ぬユクリフと違い、自由の信奉者の其れであった。

「――以上新聞でした」

 ラヂオを切っても暫く、彼れは笑って居た。其の笑みは鳥と人とを別物と捉えようとする苦悩を隠す笑みだった。

 併しそんな笑みも、彼れにとっては何ともないのか、其の儘何時もの如く朝の畠仕事を手伝った。我々はよく心の内を経験則から判断するが、此れも歴史から学び推測すべき事かも知れない――と云うのは主語が大きすぎるか。

 冷蔵庫の中の物が少なくなっていたので、畠を出てから、市場へ行く事にした。何時閉鎖になるかも知れないと云われていたが、ロイコクロリディウム人の対策がされたもののみ販売を許可すると云う御触書が出ていたのでやっていることは知っていた。併し、人として生活する中で何時の間にか必需のつらをする様になった其れの、効率に毒されたもののみの市場になる位なら、閉鎖された方が良かったのかも知れないとの考えが過ぎった。然うとは言え、規制が何う在れ、市場にムシロとウィンとの二人で赴くのは久し振りだったが、市には旬の野菜や虫が売ってあった。通貨の単位は新倉市と同じく、圓と銭とだった。周辺住民の集まる市だが、二人は何時もより人数の少なさを感じて何も買わず、賑わしい人達を見るなり引き返した。

「……本当によかったのかな」青畠二丁目525番地の、ウィンの畠にて、ムシロは独り言の様に口にする。仮設廁に寄り掛かって沈黙する彼れに、ムシロは質問を変えた。「どうして一緒に虚無を感じたのかな」

 南中した日が艸と共に二人を照らす。近くの公園で燥ぐ子供の声と共に空を飛ぶ龍の鳴き声が聞こえてくる。楽しく過ごす声と、帰結の無い現実で踠き、目標に現実を晦まされたものの悲観の声とだ。其の悲観の声に紛れて、隣人の足音が聞こえてきた。重いものを担いで、老人らしくゆっくりと大地を踏んで歩く音。

「ああ、ウィンちゃん、こんな処に居たのか」蝸牛の翁は、携えた抱鞄から、漬物を取り出した。「家に居なかったからどうしたかと思ったよ。はい、此れ、何時ものね」

 どうして蝸牛夫婦はそんなに幸せそうに居るのか懐疑した烏人の心を見透かす如く、媼は周りと接するのが楽しいから、と言う。失敗さえも楽しく感じる二人の声は明るく、坐る二人の感情の凍結を溶かいた。融解が終わると、辺りには玉蜀黍が生え、蚓も居た。彼れは四人に、命儚しと言残して、乾涸びる。苦しさを微塵も感じさせずに亡くなった其の蚓は、ウィンに、君達と同じように、其の体の中に数え切れない程の別の命がある事を思い出させた。其の膨大な意識が、ウィンを気絶させた。


「熱中症だったみたいだね。未だ気温も其れ程高くないのに、まあ仕方無いか」

 ムシロの声で目が覚めた。ウィンは裸で、氷が腋を冷やしている。蝸牛の夫婦も近くに居る。寐ていたのはウィンの家の中だった。飲料水が頭の横にあり、郵便受けの中にあったと思しき郵便物が机の上にある。…………ムシロのわきには扇子がある。

「起きたね。急に倒れるなんて、喫驚してまったよ。調子は何うかい。えらくないか。」

 えらくないと伝えるとぢゃ服着なと先刻迄着ていた狩衣が投げられて来た。少し経って四人で一寸した話題から話し合いが始まった。

「気疲れしてたんぢゃないか。悩んどるならしっかり言え」

 媼は二人を心配して口にした言葉で、彼れは虚無の正体に気付けた。最近気がかりな事があまりにも多いのだ。

「最近は旧友と会うことが多くて、以前より生活が充実している気がしていたのですが、自分の教え子に、自分らしくないと云われた事で今の自分に疑問を持つ様になってしまったんです」

 ウィンは目線を下げた。何だ、そんな事かと云った蝸牛夫婦は、ウィンちゃんはウィンちゃんだよと励ます。「確かにウィンちゃんは、変った。此の数年で畠仕事にも慣れて、儂らの手助けも要らずに農業が出来る様になったし、野菜も美味しくなった。或る見方では其れは以前のウィンちゃんらしくは無いけど、ウィンちゃんが成長したって事なんだよ。当然だけど、久し振りに会ったのなら、其のらしくなくなった事は、相手じゃなくて其の変化がウィンちゃんにとって好いのか悪いのかで判断すればいいと思うな」

 其の言葉は、経験者の言葉だった。ウィンは土いきれが好きだ。だから畠仕事をしている面もある。然う雖も、蝸牛夫婦と出会わなければ其れには気付かなんだ。だから宝に気づかせてくれた二人には感謝しかない。移住し、解放をし、惜しいものを失った悲しみに途方に暮れていた俺に二人は「年上だから」と関係を持つ事を厭わなかった。併し、ムシロにも言えない事だ。

 ――秘密を打ち明ける事抔彼れには出来なんだ。既に知るもの以外が秘密を真面目に取り合うとも思えなかった。……遥か頭上の、光でも何億年もかゝる様なあの星の秘密をば明かすなど。

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