第十三話「下手」(#17)
L’2038/2/27、土曜日。五人の家に突然の訪問があった時はピミャが一人で勉強をしている時だった。
机に向かって筆を走らせていると、扉を叩く音が聞こえた。こん〳〵、と優しい動作での音である。こんな叩き方をする人をピミャは知らなかったが、態々鍵をかっていない扉を叩くのだから来客だろうとは予想がつく。
硯の海には未だ墨汁が残っているが、仕方が無いと彼れは筆を置いて、玄関に向かう。丁度訪問者は扉を開けるところだった。訪問者と彼れとの目が合った。黄色い髪。簪もつけずに長い儘。其の髪色と青い目の色、庶民の様な服装。下駄。五人の家を知る人でこんな身なりの人は一人のみだ。――洋式の豆腐のような家に、普通の服に身を包んだ王女がやって来たのだ。
「おはよう」
「おはようエリナー」
然う気さくに挨拶を交わして直ぐに、彼れは此の前の事を思い出した。ある程度自分で解釈したとはいえ、「似た者同士」の真意とは何かまだ解り切っていない。
「二ヶ月振りね」
問いたい気持ちを抑えてピミャは彼れに云った。表面上彼れに悟られない様な云い方を選んだが、彼れには御見通しだった。
「然うね。あの……」
併し彼れは尋ねられていない事に答える程馬鹿でも阿呆でも戯けでもない。其れに二人は二度目である。彼れも少し云い掛けて言葉を濁した。
「何かい。此処で云いにくいことだったらば家に入って話しもいいよ」
ピミャは提案したが、彼れは首を横に振るだけだった。ピミャには彼れの本心を解る程能く察する人物ではない。ピミャが然うであるように、彼れも又快活に見えて実意を示すことをよく躊躇い、「明るく」見せるのが得意な人物だろう。彼れが似た者同士と云ったのは然う言う意図なのだと略解していた。
「貴方の事を調べた」
彼れは俄に告げた。
ピミャは驚くしかなかった。又「王女の特権」を使ったと彼れが付け加えていたとしても其れに反応することは出来なかったろう。吃驚の顔しかしない「おめん」の様に、ピミャの顔は暫く微動だにしなかった。
過ぎた反応のようにも見えるが彼れは其れを無視せず、一寸間を開けてから再び口を開いた。
「で、倉庫の中から此れを見つけたから渡しておく」
彼れは懐に手を入れ、二個の小さな指輪を渡した。
ピミャは何処かで嘗て見た結婚指輪と云うのを思い出した。籍を入れた者同士が性別で決まった指に嵌めると云うものだったか。丁度此れも其の指の大きさに合っているようにも見える。併し二人共結婚可になる年齢を満たすには数年要る筈だった。
「本社の二人の部屋にある秘密の通路の鍵よ。渡し忘れてたから渡しに来た」
彼れは裏では変な妄想をしながら不思議がった彼れに然う述べる。其れが本題だったようで、云い終わると直ぐ様踵を返そうとする。
ピミャは此の前の事を訊こうと呼び止めたが彼れは其の儘歩き出す。ピミャは暫く戸惑い墨で汚れた手を見るが家を出て駈け出した。
外は雪の降る、薄暗く影の無い白い街だった。
何度声をかけてもエリナーは振り返らず、其の儘、助走も無く途中川を飛び越えた。ピミャは気が進まなかったが、丁度櫓の死角でもあるし、と水上を辷ろうと堤防を越えて埋まる程雪の積もった中洲に飛び降りるも瀬が速いことに気付いて引き返した。
可惜しく好機を逸してしまったことを後悔しながら家に戻ると、丁度帰ってきていた歯磨き粉の入った大きな袋を背負ったくつねとマコトとに会った。
「二人共御帰り、散歩に行ってた」
彼れは二人に真偽が判らないように噓を吐いた。彼れは快活に見せかけると同じ位然う言うことが嘗ては得意だった。従って二人には直ぐに判った。
「こんな寒い中外に出るとはなんかあったのかい」
くつねが紙袋を下ろしながら言う。ピミャにとって彼れは初めて一緒に旅をした仲間であり、且正直になれる人でもあった。
マコトは彼れの下ろすのを手伝った。「歯磨用塩」と書かれた其れを置いてからは袋を支えながら何も云わず彼れを見ていた。
「エリナーからマコトと僕との二人分の赤坂の本社の秘密の通路の鍵を貰った。用途に就て説明が無かったから尋ねようとしたけれども彼の女は飛んで帰っていった」
ピミャはマコトの知らない言語で呟いた。聞いた事の無い子音連結にマコトは顔色を変えた。
「何て」
「カネムツァ。大多数の龍人の母語。名詞と動詞を区別しない。」
内容を問うたマコトにくつねは言語の説明をしただけで、何事も無かったかのように扉を開けに動き出した。
「…………無理はするな。偶には気を抜いてね」
マコトは然う云って袋を抱えて家に入った。
屋根から雪が落ちた。庭には水溜りがあり、薪割りに使う株が濡れながらも少し顔を出していた。くいぜはそこにただあった。




