第十一話「過去」(#15)
L’2038/1/11、朝、ダルンデネト特別区字山下67番地、マコトの部屋(天気:曇天)。
マコトは寝台で起き上がると、隣に寝ている狐人を見た。昨日、精神的性別が女であること(中性的とはいえ当然気付いていた)と搔い摘んだ彼れの過去とをマコトに伝えたのだった。過去を聞いて、信じられない、というのが率直な思いだった。女、に関して声は元々中性的であった。其れに知っている女性は……昨日のエリナーも含めて、皆胸が平らだったが気付いていたものの、彼れは唯でさえ白皮症なのに、更に然う云ったものを内に抱えているとは思ってもいなかった……昨夜のことを思い出しながらくつねの此れ迄の言動を思い返す。――特に何か悩みを抱えているようには見えなかった。隠しているのか、其れとも気にも留めていないのか、彼れの「つち」の噺や示唆に富んだ言からは、標本と為り得るものが少な過ぎると云うのもあるだろうが、判らない。というか、其の言動の一つ一つが抑々くつねに、ではなくマコトに関するものと、「何か」の暗喩とが多数を占めていた。
何かとは何だろうか。「彼れ」自身に係るものか、其れとも社会の隠喩だろうか。然う思案しても、彼れは埒が明かないと思った。経験が少なすぎるのだ。愛読の辞典をはじめ数百冊は読んだと雖も、「一般的」でない人物の思考や人生に就ては書かれていないのからだ。くつねには奴隷であった過去があるが、どの本も奴隷解放運動に関わった者の伝記や自叙伝なんて王立図書館には無かったし、「知ろうともしていなかった」。ああ、また此れか。興味を持っていなかったことに気付くと彼れは恥じた。然う思っていると、日光が一条差し込み、二人は眩しがった。
「おはよう」
「ええ、おはようくつね」
目覚めたくつねへのマコトの挨拶は、以前と全く同じものだった。
二人が部屋を出ると、ミツグの部屋から他の三人が一緒に出てきている場面に会った。
「ああ、おはよう」
早速揃った五人は其の儘和室に向かい、淡々と食事をした。
――其れから数十回陽が巡ると、曇天だった空は久しぶりに青色を見せた。
「綺麗だったわ」
L’2038/2/26、金曜日の昼、薪を割り終えたくつねが下駄箱に靴を入れるなり言った。彼れはマコトが応えて言う声を聴こうとしたが、其れは誰かが扉を叩く音によって掻き消された。
「すみません」
こん〳〵と優しめに叩かれた木の扉を開けると、其処にはマコトたちと同じ年齢に見える少年が立っていた。封筒を手にして、気さくそうな顔立ちをしている。彼れは小澤誠て人いますかねと云った。
其の中からマコトの音素を見つけるのに時間が掛かった。苗字に邪魔されたせいだ。
――――こざわ。彼れはそんな苗字だったか。
確認してきます故と云って彼れを呼ぶ。数分で降りてきて代わると、謎の少年はサクシャからだと封筒を渡した。彼れが帰ってから心当たりはあるかと訊くと、マコトは何もと、マコトに苗字はあるか訊くと、彼れは知らないと云った。
「……また後で開けようかな」くつねは然う言う彼れに目で今すぐせ、と伝える。「……」
彼れは右手で封筒を叮嚀に開けて書類を取り出した。中身は鉄道だ。「土地買収」と題された其れは国鉄線の各計画線の土地がほぼ買収済みでマコトの名義となっていることを示していた。
「何か心当たりは」
「全く無いね」
彼れはマコトは実は何も知らない記憶喪失の子供だったのではないかと思った。彼れの記憶は彼れの心の中に閉じ込められてしまい、鍵で閉じられているのかもしれない、実は嘗て友人だった人などが彼れの案の採用を聞いて手伝ったのかもしれない。
先刻の人に名前くらい聞いておいた方がいかったかも知れない、と又考えた。
「宇宙戦争に……」
「何か云ったかい」
「あっ」マコトに呟きを聞かれ、優しい声で尋ねてきたのに慌てて話題を変える。「何でも無い」
「然う云えば此の前戦争の話しようって云ったよね」
彼れの突然の言葉にマコトはまあ、と戸惑いながら頷いた。彼れの首肯の後二人共、厳粛な顔になり、くつねが暫く考えてから、口を開いた。
「小さかったころだから、他人の言ったことも交えて話すね。其れと此れは主観だから。客体の貴方とは考えが違う筈だから。流されない様に。
……私は、二〇〇一年の九月二十日余り九日に、今も合為と北に隣接する共和国於亜との間で帰属が争われている福島郡の東村で生まれた。其の頃福島郡は合為の帰属の土とされていたから、私は合為の国籍を持つことになった。両親は私が白皮症であっても大切に育ててくれたらしい。両親も戸籍を持っていたけんど、其の後の混乱で戸籍は無くなった。其の混乱と云うのは、二〇十五年から始まった、当時のアルマトン独裁政権下への退陣要求と、数か月後に始まった其れに対する政権の反発とによる、大規模な紛争よ。」
其処迄云った処で彼れは頭の耳に手を動かし、息を吐いて尻尾を大きくぶんと振った。マコトは其の束の間に茶を飲んだ。静かに。
彼れは又椅子に座り直してマコトの方へ身を少し乗り出した。すうっと息を吸って続ける。
「……私は幼くして退陣要求の反発である軍の行動に巻き込まれることになった。彼れは……一六年だったかな、其の秋に東村役場が先ず被害を受けた。秋高く馬肥ゆなんて言葉があるけんど、真反対の出来事だったわ。其れを聞いてか、親が地域の人と避難の仕方を話し合っている様子を一人畑仕事を終えて帰ってきた時に見たわ。異常なことが起ころうとしているとは成人間近だった私にも直ぐ解った。それから数日して、親に今日は畑に行かなくてもいいと云われた日があった。何故かと問うても親は何も答えず、云われるが儘に荷物を持って近所の人と一緒に山道を逸れて、逸れない様にゆっくり併し着実に進んで夜の山を駈けたわ。」
彼れは淡々と語る。其の語りは何時ものであるものの、ぶっきらぼうな話し方ではあったが、語り種の為か、思い出したくないのか、少し低い声で回顧していた。マコトは音を立てずに茶を飲んでいた。何時もよりも湯呑を口に運ぶのも頻りにでは無かった。
「其の時に初めて斯様な外套を着たわ。服も繁い森も黯いから大分目立たずに出られた。然して私らは於亜の団体に保護されながら移動して日々を過ごすことになった。星を眺め方位を知り、外に出れる、日焼け止めが手に入る充実した二年余りの旅だったけれども……」彼れは一瞬下を見た。「雪が降った日に於亜の役人が来て強制送還させられたわ。まあ違法と云うのは尤もな意見なのだけれどもね。然うとは雖も何か別の方法があるのではと思ったわ。唯、彼れらにとっては其れが正義であったと云うのも一つの真であった。
其れから私は特に仁徳を犯した者として処罰されることとなった。其の見せしめの為に私は合為が威信をかけて敷設した『鉄道』に乗せられる処刑者の一人に選ばれた。其処に意志などは無く、私を監視した人の云わくにはアルマトンの独断だったそうよ。そんなこんなで私は、駅……名前忘れちゃった……迄馬車で運ばれ、其の三番線の歩廊に立たされた。」
彼れは終始過去と距離を置いて話していた。マコトは彼れの境遇に驚かざるを得なかった。鉄道のことが然うであったらば反対意見が出るのも仕方が無い、然う思えた。
二人は其処で一旦休憩とし、昼食をつくりに厨へ向かって料理した。其処は静寂の支配する場所だった。




