第十話「女子」(#14)
L’2038/1/10、土曜日、合為王国ダルンデネト特別区字山下67番地、五人の家。朝食を終えた五人は、一階の広い部屋にて昨日マコトとピミャとが遭遇した李茶奴の暗殺に就て話していた。
「立ち竦んじゃったけれども……気絶するもんだから焦ったよ」
ピミャがマコトを見た。マコトは既に正気で、死を見た恐怖も、気の狂った頃の俤も……況して精神に走った激痛の記憶も無く、只々、何時もの様に普通に視線を彼れに向けた。
「まあ、死ぬるってのは怖いものだからさ、……何で気絶したかはわからないけれども」マコトは其処で茶を一服した。吐息をついて続ける。「あの後病院で治療を受けて、禊いでもらったら正気に戻ったよ」其れを話すと亦一服し、茶を淹れに座布団から立ち上がった。
苦しがる様子も無くすら〳〵と喋った彼れを見て、他の皆は按堵した。特にピミャは其の様で、やはり普通だと息を吐いた。
「安んじてよかった……っ、……。」
くつねもほっ、として一言呟く。中途半端に声門音だけ出して終わったのは気休めかも知れないが、と加えようとして口を噤んだ為だ。其の名残で顔が変わるのに気づかずミツグが其れにうなづく。シルも続き、戻って来て湯呑を置いたマコトに何であんなことになったのさと訊いた。
「何でって、わからない……けど、何だか昔の光景の様なものが蘇ってきていたような気がする」
茶を入れながら思案してマコトが答えると、他の四人は其の光景に興味が湧いたようで、其の光景の詳細と理由とを知るための追及が始まった。
「血い見て怖くなったんか」
シルがずれた質問をすると、マコトは其れが因ではないと思うと云い、今度は思索する。
「あの時は、心臓に弾があることとかが解ってたんだけど、紅いのを見て何かを思い出しておかしくなったという感じだったから、紅いのを見たことが原因ではないだと思うな」
マコトは腰を下ろした。
其れからも質問は続いたが、答えていく内に、彼れの心の中に其の時に見た風景がはっきりとしてきた。
――青々とした森に囲まれた、大きい広場。居敷より広い其の場所にて、泣いている人。今ある筈の右手の欠けている様が目に入る。耐えきれない痛み。狼による咬創。――
自分の記憶とはっきり判る。……マコトは其れを詳しく語ったが、ずっと一緒に居た筈の二人は其の記憶に類するものを思い出せていなかった。
「其れは何と云うか、知らない処にての記憶にも思える感じのだったね。まるで此の星のでも無いかのような……」
「昔のことに囚われてると前が見えなくなるよ、マコト」くつねだ。「一緒に寝台で寝た時云ったでしょ」
「……然うだっけ」マコトは思い出そうとしながら云った。彼れは物覚えがいいと云われているものの、興味が無いものは当然、殊更面白い出来事でもない限り覚えようとしないし記憶にも残らない。
「マコトは記憶力がいいんじゃなかったっけ」ミツグが云ったが、彼れは思い出せず。
「……御免」
「然う。なら又今夜にでも。」
何時もの様な口調に戻って彼れは答えた。
「二人も一緒に寝たんだ」
シルが面白そうに云った。羞恥心が微塵も感じられない発言に隣のピミャが顔を赧くする。
「くつね……半ば強制だったじゃないか」
「飽く迄半ば、拒まなんだ貴方が悪いわ」
「へええ…………」
マコトの抗議にまた彼れがぶっきらぼうに答えると、扉の開く音と共に若い女の声が聞こえた。冷え切った風が吹き込んで五人が凍える。
「誰れ、貴方」
マコトとミツグとの問いに彼れは少し間を置いて言う。
「オコンネルの女の子、エリナーです」
庶民にしか見えない服を着た金髪の彼れは、どう見ても小娘だった。
「……貴方が父の云っていた国鉄の提案者ね」
彼れは懐から小さい布を取り出して、手拭いの様な其れを広げて床に敷き、マコトの前に置き其れに座った。
「ああ、うん。然うです」
突然家に入ってきた長髪の「おこんねるのめのこ」の言と彼れの手品のような座布団の出現とに驚きながら彼れが答える。
個人的な興味もあって来たと彼れが告げた故、本来の目的は何んなのかとピミャが問うと、彼れは、話し相手が欲しかったからと呟いた。
「如何して此処がわかったのですか」
マコトが問うと、彼れは又懐に手を入れ、小さな細い筒の様なものを取り出した。其れを伸ばすと、予測に反して筒は太くなる。
「此れがあったので」
彼れが然う云いながら其れを広げると、「梛流无弟禰杜特別区地圖」と右横書きの題が書かれた白黒の正確な地図が現れた。何処にどんな幅の道があり、どの土地がどんな字の番地か書かれた其れを見て一同は驚く。
「伊能図みたいですね……でも、こんなものは機密扱いで持ち出しも禁じられているものが世の常というものではなくって」
くつねが迚も精密精巧につくってある其の地図に注視した後、顔を上げて尋ねた。
「王女の特権」彼れは然う一言。暫くしても何の反応の無いのを見てあれ、と思い付け加える。「先刻オコンネルのめのこと云った筈なのですだが、どうかしましたか?」
「地図は前世で見た」
其のピミャの一言に、彼れはへえと又云ってにやりと好奇心のあふれた笑みをした。其の笑みの儘立って彼れへ歩き出し、其れが優しい笑みに変わると彼れの頭を優しく撫でる。
「……其れも『王女の特権』ですか」
ピミャの問いに彼れは笑みを顔に張り付けた儘視線を座布団の彼れに合わせた。
「然うね、其の通り。……君だけ調べても経歴が不明だったものですから。確認しておきたかったのです。ダイヌの関係者でないことはわかっていても、疑念はありましたし、君が配達で担当する処がどんな処かもわからなかったというのも記憶を調べた理由ですね。
……色々あったみたいね。似た者同士、よろしくね」
彼れの顔はやっと動いて、然う喋った。機械の様な顔の動きの無さを感じさせない、気持ちの籠った、母を思わせる――併しくつねには敵わない――笑み。其の一方でピミャは更に不快な顔をした。彼れはエリナーに三人にもまだ話していない過去が筒抜けになってしまったから当然だ。
「…………で、話し相手が欲しかったから来たんだっけ、……王の娘さん」
ミツグは尻尾を立てた儘訊いた。彼れの問い掛けにエリナーが首肯すると、お薄でも差し上げましょうか、とマコトが云った。
「…………」
エリナーは語の選びを間違っているとは気づかずに云った彼れに吃驚の顔をする。少し間を置いて、彼れは頂こうかしらと云った。マコトは何も気にせずに、湯を沸かしに厨に入った。
「……周りが女性ばかりなものですから、きっとマコトも女性語と気付かずに選んだのでしょう」
シルが彼れのしくじりを取り繕うように然う云って、エリナーは然うか、と納得した。
「まあ、私も然ういう事はよくありますから、解らなくもありません」
「然う云っていただけると幸いです」
くつねも然う云った。
「……敬語は使ったほうがよろしく御座りますか」
シルが訊くと、彼れは全然肯定し、全く気にしませぬぞ、と云った。
「ではわたくしたちも」
三人が同時に云った。――随分と気の合う仲間になったようだ、とエリナーは最初に来た時とは丸きり違う、偶然の一致に笑い合う此の四人を見て安心した。
淹れた茶を持ってきたマコトにエリナーが敬語はいいと告げた。彼れが座布団に座って話題を出すと六人は話し始め、其の団欒は、途中エリナーが廁に行って中断したものの、昼になる迄続いた。
「また来るわ」
エリナーは座布団を魔法の様に手拭いの大きさにしながら然う云った。五人ともまたねと言うと、彼れは手を振った後、扉を開け外に出た。
其れから、日没の後、くつねは望遠鏡を持ち出して、ある星に向けた。
「ちょっとしたお楽しみよ」
彼れは然う云った。どんな星かは言わずに、四人に覗いてみなさいと。先ず、シルが覗いた。
「わ……」
其処に見えたのは少し暗く輝く、星雲だった。
「もう少し南の地点からだともう一つ見えるんだけどね。……此の銀河系の伴銀河の一つ、ヱヅよ」
くつねは彼れに然う説明した。シルは其れを聞いて詳しく見た。
――――円く淡く広がった雲は、右が青く、左が赤く見えた。右上から左下に中心を斜めに貫くようにジェットが見える。傾きからして右上の方が此方に近いようだ。
其れから三人も順に覗いた。三人にとっても其れは本当に初めて見る星だった。
「ここいら辺は上空で強い風が吹くから像が安定してないんだけどね。また、機会があったらエディとか、そうね……ファクツーギっていう名前の島とか、南の方に行って見ましょ」
雲の無く、細い月の笑う夜空の下で、くつねは云った。彼れは機会があったら星座の事でも話すね、と云って五人の夜空を見上げた日は終わった。
――其れからくつねはマコトの寝台で、彼れに少しだけ自分の秘密を打ち明けた。




