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Earchlo  作者: 稲土瑞穂
第二章/首都の生活
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第五話「市」(#09)

L’2037/6/3

 越してきてから数週間が経ち、私達は此処にての生活に大分慣れてきていた。そんな私達が地域の人と交流する機会の殆どは、今マコトと来ているような市だ。威勢のいい声。忙しく働く人。正に紺屋の白袴。

「今日買うのは先ず、甘藍(きゃべつ)だね」

 マコトが千切った手帖の頁を見乍ら云った。マコトに解り易い様にと、ピミャの書いた字が其の狭い一葉を埋め尽くしていた。

「他に何か食材はあるけ?」

「人参と干魚。川魚が好まし。」

 彼れは其の儘字をすら〳〵と読み上げた。漢字の草書体に変体仮名迄あるのにいとも容易く読んでいるのを見て然う思わずにはいられぬ人はおらぬだろう。

「木材は」

「薪。風呂用の」

「わかった、有難う。……行こうか」

 二人は「新倉(にいくら)市」の幕が右横書きで書かれた所へ入っていった。先ず野菜の処で人参を買う。此処の通貨の単位は何処か床しい「圓」と「銭」で、一圓だけでも可也の大金持ちといえる価値を持つが、今は十圓程、銭にすると千銭程持っている。此れでも今の財産の半分も無い……色々あったのだ。

 人参、一束と甘藍一玉下さいとマコトが言うと、商人は十本一束十銭に、一玉廿銭で卅銭だと云った。其の儘何も云わずに勘定し、新聞紙に包んでもらった。勘定が終わると袋に詰め、魚を買って市を出て次の場所へ向かう。

 薪は安かった。商人がマコトの知り合いだったらしく楽しそうに会話していた。彼れは、丁度国が政に関して要望を集めるとか云っていたから出してみるといいとマコトに話していた。

 帰り道、御触れがある場所に寄ってみたいと彼れが云い出し、序でにと向かった。彼れの云った事と殆ど何も変わらない事が堅苦しく書かれていた。「言論の自由が」云々、「其(=言論)の回復を目的として行う」と謳っている。最後の行に連絡先が書かれており、彼れは其れを手帳に書いた後、うき〳〵しながら一緒に帰った。記されていた名は聞いた事の無い人名だったが、彼れが其の人に何を頼むのかは分かり切っている……牛舎や馬車を超える輸送手段として「鉄道」を提案する――目を見ただけで分かった。

 彼れは帰宅して冷蔵庫に買ったものを一通り詰めたの後に、一枚の葉書――彼れにとっては一葉だろう――を早速書き始めていた。

 今日は居るが、私とマコトが二人っきりの間にも、三人は働いて税を納めている。此の葉書を受け取るのも、其の血税を使うのも、其の独裁者だとは、気付いていなかった。誰一人知らない。皆、王だとばかり思いこんでいた。

 新聞紙に入っている散らしを一通り見ていると、望遠鏡の安売りのがあった。廉価版でミツグは好まないだろう。流星群の極大が近づくと、好機を逃すまいと会社がこぞって望遠鏡を大量に製造する、と昔聞いた事があった。確か……何処かの都市の、泊まった旅籠屋にて聞いたのだったか。大分昔の話だ。国さえ思い出せない。――然し本格的な望遠鏡となると圓は超えるだろう。百圓以上あるかもしれないが、彼れを驚かす為には其れ位する質の良い望遠鏡が要ると思っていた。財布を握っているのは私一人ではないが……小遣銭の使うのを数か月隠忍すれば何とか払えそうだった。

「じゃあ、郵便箱に葉書入れてくるね」

 然うマコトは投函しに鳥渡出かけて行った。私も新聞紙を眺めるのに飽きたし、夕飯迄体が空いている故、外へ散歩しに行くことにした。鍵をかう必要も無い位平和な街だ。

 三人に散歩に行くと云って外に出ると(ぬく)い風が黒い外套ごと私を撫でた。傾き始めた陽が雲が半分を占めている中光り、明日は悪い天気になると告げている……軒を連ねる家が田畑を隔てて見える……未だ何もない家の敷地の小さめな畠で蚓が元気そうに土に潜っている……何処かで烏が鳴く……極当たり前の市井の風景。家を出て直ぐ歩く気が失せてしまい、畠に座り込んで耕されていない土を手に取って、考えに耽った。悪い癖だとわかっていても中々止められない。たったの一歩で死ぬる菌類が生きているという此の体……何故圓と銭に懐かしみを覚えたのか……政の意義…………。答えが出ないようなこと許り考えてしまう。「何故こんなことを考えてしまうのか」、と云うのが最大の疑問点であった。

 其れもマコトの声で中断した。立ち上がって家に戻り、拙い字でも大丈夫だったかな、と彼れの懸念を貴方ならいけるよと背中を叩いて打ち消す。有難うと彼れは云った。最近彼れは事ある毎に其の台詞を口に出していた。

 疑問があれば考え、疑問が無くても考え、不安な人がおれば励ます、人間の心とはなんて不思議なものだろうね――其の言葉は思い付いたけれども彼れには云わなんだ。突拍子も無く言う程馬鹿じゃあ無い。唯でだに彼れは自分を知らぬというのに此処に越して心にも疲れが溜まっているだろう。そんな彼れに悩みを打ち明けるのはもう少し後だ。

 三人が帰り、夕飯を終え、数時間して寝た。見たのは悪夢だ。何もかも白く染まる夢。光さえ逃げれない、皓々とした空間に現実が侵食されていくものだ。実体ばかりか記憶さえ真白になり、自分が誰かだに思い出せなくなってしまう。気味の悪い夢だ。心も健康でいたいものだ……と、私は目を覚ましてから思った。例え、きちんと生活習慣を整えていても、心が不健康ならばどうしようもない。世に処する中で悩みはどうしても出るものなのだ。幼くとも老いていようとも。

 旭の照らす頃。朝食を終えて三人は家を出た。私達は家を掃除した後、雑談をした。

「戦争があったって本当かい」

 然うマコトは話題を持ち出した。

「ええ、そうよ」

 意外な話題に驚きながらも答えた。思い出してみると一番近い前の戦争でも五十年も経っている。其れに驚かずにはいられない。

「どんな戦争だった?」

 彼れにしては単純で簡潔な文だった。たった其れだけでも訊きたい事が伝わるような関係になったということだ。

「……惨いもんよ、町は焼かれ人は銃創も出来ていないのに死んでいくんだもの。人は皆他人を護ることもできなかったことを末期に悔やんでた」

 私は当時のことを思い出した。故郷の福島郡東村も独立を称した「デモ行進」に巻き込まれて焼かれた。「正気」の人々は町を破壊して正気でない人を――し、血が淋漓と流れた。斬られたのが首であろうが何処であろうが確実に殺す気だった事が解る斬り方。然して瓦斯で人が突然且一斉に倒れたあの場所。

「……」

 彼れの好奇心の目は後悔の目に変わった。興味本位で聞いたようだ。

「また詳しく話そうか」

 彼れの様子を見るに、心の準備が出来ていないらしい。……自分が語り部になるとは想像もしていなかった。

「……うん」彼れは頷いた。「人を護ることがいいこととなったのも、人の愚かさの所為かもしれないね」

「……」

 彼れは俄然意味の深いことを、三思九思もせずに哲学者のように云った。何と云うか、凡て人の心は解らぬとはいえ、彼れとは未だ分かり合えていない気がする私であった。

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